評価点:85点/2009年/日本
監督:細田守
キャラクターデザイン:貞本義行
間違いなくこの夏ナンバー1アニメ。いや、ナンバー1映画。
OZというソーシャルネットワークが世界を取り巻く近未来。
OZは全世界のありとあらゆるネットワークを、その高いセキュリティ・システムによって構築していた。
ある日、全国高校生数学オリンピックで見事優勝しそこねた数学オタクの、小磯健二(声:神木隆之介)は、物理部の先輩篠原夏希(声:桜庭ななみ)にバイトをしないかと持ちかけられる。
言われるがまま長野の先輩の実家に行くと、そこで明かされたバイトの真の目的は、先輩の彼女のふりをすること。
その陣内家は、武田信玄につかえた武家として、各界に大きな影響力を持っていた。
その陣内家をとりまとめているのが、89歳の栄(声:富司純子)だった。
親戚が続々と集まってくる陣内家に、戸惑いながら一日目を終えた健二のもとへ、不審なメールが送られてくる。
「時をかける少女」で一躍アニメ界のホープとして注目された監督、細田守。
その最新作が、この「サマーウォーズ」である。
日本では依然としてジブリだの、コナンだの、言われているが、世界で注目されているのはそんなアニメーターではない。
我らが「マッドハウス」は、今敏に加えて、細田守という原石を磨き上げたわけだ。
「時をかける少女」はまだ観ていない。
だが、この「サマーウォーズ」を見る限り、この監督はすごい。
これだけ荒唐無稽なモティーフを見事に料理しきった手腕は、見事というほかない。
この夏、観るものがない?
それなら、これを観に行きなさい!
▼以下はネタバレあり▼
ヴァーチャルリアリティに、甲子園、旧家の大豪邸に、肝っ玉おばあちゃん。
そして、一夏の恋に、あやしいバイト。
さらには、数学オタクの物理部員に、コロニー落とし。
ここまで混沌とした要素に、誰もが不安を覚えることだろう。
正直、僕は観に行くつもりだったが、内心不安だらけだった。
予告編の映像を見ている限り、全く世界観がつかめなかったからだ。
だが、心配する必要はない。
すべての人に、圧倒的な映像体験をもたらす本作は、王道中の王道のシナリオを持って、観客を魅了する。
大きく二つの世界に別れている。
一つは現実世界。
つまり、夏希先輩に恋人役を強要される世界で、こちらは近過去というべきアナログな世界だ。
長野の上田で、今ではもう懐かしいとさえ思えなくなった日本の大家族の原風景である。
当主である栄は、90歳になろうとしているしゃきしゃきしたおばあちゃんで、夏希の曾祖母にあたる。
日本中にその末裔が活躍しており、人脈も広く強い。
その陣内家の強い絆が発揮されるのは、OZのハッキングによって大混乱したときだ。
アナログな黒電話で一人一人に呼びかける栄おばあちゃんの姿は、現代では見なくなった真のヒーローを思わせる。
これだけインターネットやデジタル機器が発達しても、結局は人と人のつながりなのだと実感させられる。
ネットの向こう側にいるのが、抽象的な人であるかのように錯覚しがちの僕たちにとっては、脳天を揺るがされるような衝撃だ。
それだけに、栄が死ぬ時、大きな衝撃が走る。
死ぬだろうとは思っていたが、展開としては予想以上に早かった。
この裏切りが、次の展開への期待と不安を生み出す。
引き締まったシナリオ展開である。
その後の陣内家の人々のキャラクターもおもしろい。
男はOZに無謀な戦いを挑もうとするし、女はとりあえず栄の葬式をどうするのか思案する。
両者ともにすごく日本的な対応で、ほほえましくさえある。
確かに、葬式の手配などは、多忙を極める。
涙を流す暇さえないほどに、段取りに追われる。
そのせわしなさを、コンパクトに、端的にうまく表現している。
この辺りは、アニメといえども、大人の目線が明確だ。
男たちも、イカ漁船をそのまま持ってきたり、大学に納品するはずのスーパーコンピューターを拝借したり、自衛隊のレーダーを持ち込んだりするあたりが、痛快だ。
あの栄ばあちゃんに、この息子、孫あり、という豪快さは、違和感だらけのはずが、妙に説得力がある。
それまでの栄ばあちゃんのキャラクターがしっかりしているため、他の登場人物も生き生きとしている印象だ。
一方、もう一つの世界がOZだ。
ソーシャルネットワークからインフラ、メディア、ゲーム、ショッピングまでを統括するOZは、まさに感覚的に何もかもが実現する仮想世界として描かれている。
この世界が、観客たちにとってすんなり受け入れられた影には、技術的なことを一切排したことにある。
主人公の健二や佳主馬(声:谷村美月)たちが、ラブマシーンに対抗する際に格闘するシーンなどは、何がどうなっているのか全くつかめない。
だが、それをあえてヴィジュアル的に示すことで、臨場感が増し、感情移入する余地を与えた。
絶妙なバランス感覚だ。
この映画の肝はここにあった。
現実世界とは全く違う世界を描き出しながらも、僕たちをそこに没頭させる、感覚的な世界。
その質感、リズム、音楽、すべてがそろわなければ、ここまで物語をおもしろくできなかっただろう。
映像を観ているだけでおもしろいと思わせる、その手腕はすごいの一言だ。
やがて物語は、コロニー落としを彷彿とさせる「あらわし」落としへと「現実化」する恐怖へと展開する。
ここでヒロインの夏希が、「こいこい」で勝負を挑む。
すこしここで夏希と、そのあこがれの相手侘助(声:斉藤歩)「について分析しておこう。
夏希は侘助にあこがれていた。
東大卒、アメリカ帰り、旧家の出身というのは、曾祖父の隠し子である侘助にあこがれていた。
なぜだろう。
一つはスマートに生きているように見える侘助は、この陣内家から一歩外にいる人物だ。
想像するに、家から外にいる行き方に多少のあこがれがあったのだろう。
栄と侘助双方を失った夏希は、思わず涙を流してしまう。
それは、庇護される者としての子供の終わりであり、恋の終わりであり、大人への昇華でもある。
よって、侘助が戻ってきたが、それは彼への気持ちを呼び起こしたという意味にはならない。
彼へのあこがれを、つまり陣内家から出たいというあこがれそのものを乗り越えたからこそ、戻ってくるように連絡するのだ。
一方、侘助にも深い悲しみがある。
彼は10年前一家のお金を盗み出し、家を飛び出してしまう。
それは、彼が隠し子であったことと深く起因している。
彼は一家の一人として容姿に迎え入れられるが、どうしてもなじめない。
一家の一人として認めてもらうために、一旗揚げようと考える。
それがラブマシーンというAIだった。
だから、陣内家に帰ってきたとき、本当はほめてもらいたかったのだ。
あるいは、陣内家のひとりとして認められたかったのだ。
栄がそれを知って槍を突き立てたが、それはラブマシーンを開発し、それが多くの被害を出しているからではない。
「そんなものを開発しなくても、おまえは陣内家の一員だろう、なぜそれがわからないのだ!」
というひどく悲しい怒りだったのだ。
「いざとなった時に読む手紙」に書かれていた侘助への思いは、栄の夫への不貞に対する怒りや恨みではなく、喜びだった。
彼はそれを知らずに、アメリカまで自分を認めさせる方法を探していた。
それは、自分の陣内家の居場所を探しているに等しかったわけだ。
それらの思いをのせて、夏希はラブマシーンと戦う。
アカウントのチップがなくなりそうになったとき、世界中の人々が夏希にアカウントを差し出す。
それは、単なるアカウントではない。
魂に等しいOZでのアカウントは、愛に飢えたラブマシーンに対抗するべく、二つの世界を融合させる。
ここで大きな感動とカタルシスが生まれるのは、孤独を抱える侘助が作り出したラブマシーンと対峙することと、孤独を抱える現代人たちが陣内家のように一つになるという二重性によるものだ。
僕は不覚にも泣いてしまった。
あまりにも、その構図がうまかったからだ。
あこがれを捨てた夏希は、陣内家の一員として、今度は健二へ好意を抱く。
お約束だけれど、そこにあるのはありきたりな恋愛ドラマではない。
現実世界と仮想空間に生きる現代を象徴するようなハッピーエンドなのである。
監督:細田守
キャラクターデザイン:貞本義行
間違いなくこの夏ナンバー1アニメ。いや、ナンバー1映画。
OZというソーシャルネットワークが世界を取り巻く近未来。
OZは全世界のありとあらゆるネットワークを、その高いセキュリティ・システムによって構築していた。
ある日、全国高校生数学オリンピックで見事優勝しそこねた数学オタクの、小磯健二(声:神木隆之介)は、物理部の先輩篠原夏希(声:桜庭ななみ)にバイトをしないかと持ちかけられる。
言われるがまま長野の先輩の実家に行くと、そこで明かされたバイトの真の目的は、先輩の彼女のふりをすること。
その陣内家は、武田信玄につかえた武家として、各界に大きな影響力を持っていた。
その陣内家をとりまとめているのが、89歳の栄(声:富司純子)だった。
親戚が続々と集まってくる陣内家に、戸惑いながら一日目を終えた健二のもとへ、不審なメールが送られてくる。
「時をかける少女」で一躍アニメ界のホープとして注目された監督、細田守。
その最新作が、この「サマーウォーズ」である。
日本では依然としてジブリだの、コナンだの、言われているが、世界で注目されているのはそんなアニメーターではない。
我らが「マッドハウス」は、今敏に加えて、細田守という原石を磨き上げたわけだ。
「時をかける少女」はまだ観ていない。
だが、この「サマーウォーズ」を見る限り、この監督はすごい。
これだけ荒唐無稽なモティーフを見事に料理しきった手腕は、見事というほかない。
この夏、観るものがない?
それなら、これを観に行きなさい!
▼以下はネタバレあり▼
ヴァーチャルリアリティに、甲子園、旧家の大豪邸に、肝っ玉おばあちゃん。
そして、一夏の恋に、あやしいバイト。
さらには、数学オタクの物理部員に、コロニー落とし。
ここまで混沌とした要素に、誰もが不安を覚えることだろう。
正直、僕は観に行くつもりだったが、内心不安だらけだった。
予告編の映像を見ている限り、全く世界観がつかめなかったからだ。
だが、心配する必要はない。
すべての人に、圧倒的な映像体験をもたらす本作は、王道中の王道のシナリオを持って、観客を魅了する。
大きく二つの世界に別れている。
一つは現実世界。
つまり、夏希先輩に恋人役を強要される世界で、こちらは近過去というべきアナログな世界だ。
長野の上田で、今ではもう懐かしいとさえ思えなくなった日本の大家族の原風景である。
当主である栄は、90歳になろうとしているしゃきしゃきしたおばあちゃんで、夏希の曾祖母にあたる。
日本中にその末裔が活躍しており、人脈も広く強い。
その陣内家の強い絆が発揮されるのは、OZのハッキングによって大混乱したときだ。
アナログな黒電話で一人一人に呼びかける栄おばあちゃんの姿は、現代では見なくなった真のヒーローを思わせる。
これだけインターネットやデジタル機器が発達しても、結局は人と人のつながりなのだと実感させられる。
ネットの向こう側にいるのが、抽象的な人であるかのように錯覚しがちの僕たちにとっては、脳天を揺るがされるような衝撃だ。
それだけに、栄が死ぬ時、大きな衝撃が走る。
死ぬだろうとは思っていたが、展開としては予想以上に早かった。
この裏切りが、次の展開への期待と不安を生み出す。
引き締まったシナリオ展開である。
その後の陣内家の人々のキャラクターもおもしろい。
男はOZに無謀な戦いを挑もうとするし、女はとりあえず栄の葬式をどうするのか思案する。
両者ともにすごく日本的な対応で、ほほえましくさえある。
確かに、葬式の手配などは、多忙を極める。
涙を流す暇さえないほどに、段取りに追われる。
そのせわしなさを、コンパクトに、端的にうまく表現している。
この辺りは、アニメといえども、大人の目線が明確だ。
男たちも、イカ漁船をそのまま持ってきたり、大学に納品するはずのスーパーコンピューターを拝借したり、自衛隊のレーダーを持ち込んだりするあたりが、痛快だ。
あの栄ばあちゃんに、この息子、孫あり、という豪快さは、違和感だらけのはずが、妙に説得力がある。
それまでの栄ばあちゃんのキャラクターがしっかりしているため、他の登場人物も生き生きとしている印象だ。
一方、もう一つの世界がOZだ。
ソーシャルネットワークからインフラ、メディア、ゲーム、ショッピングまでを統括するOZは、まさに感覚的に何もかもが実現する仮想世界として描かれている。
この世界が、観客たちにとってすんなり受け入れられた影には、技術的なことを一切排したことにある。
主人公の健二や佳主馬(声:谷村美月)たちが、ラブマシーンに対抗する際に格闘するシーンなどは、何がどうなっているのか全くつかめない。
だが、それをあえてヴィジュアル的に示すことで、臨場感が増し、感情移入する余地を与えた。
絶妙なバランス感覚だ。
この映画の肝はここにあった。
現実世界とは全く違う世界を描き出しながらも、僕たちをそこに没頭させる、感覚的な世界。
その質感、リズム、音楽、すべてがそろわなければ、ここまで物語をおもしろくできなかっただろう。
映像を観ているだけでおもしろいと思わせる、その手腕はすごいの一言だ。
やがて物語は、コロニー落としを彷彿とさせる「あらわし」落としへと「現実化」する恐怖へと展開する。
ここでヒロインの夏希が、「こいこい」で勝負を挑む。
すこしここで夏希と、そのあこがれの相手侘助(声:斉藤歩)「について分析しておこう。
夏希は侘助にあこがれていた。
東大卒、アメリカ帰り、旧家の出身というのは、曾祖父の隠し子である侘助にあこがれていた。
なぜだろう。
一つはスマートに生きているように見える侘助は、この陣内家から一歩外にいる人物だ。
想像するに、家から外にいる行き方に多少のあこがれがあったのだろう。
栄と侘助双方を失った夏希は、思わず涙を流してしまう。
それは、庇護される者としての子供の終わりであり、恋の終わりであり、大人への昇華でもある。
よって、侘助が戻ってきたが、それは彼への気持ちを呼び起こしたという意味にはならない。
彼へのあこがれを、つまり陣内家から出たいというあこがれそのものを乗り越えたからこそ、戻ってくるように連絡するのだ。
一方、侘助にも深い悲しみがある。
彼は10年前一家のお金を盗み出し、家を飛び出してしまう。
それは、彼が隠し子であったことと深く起因している。
彼は一家の一人として容姿に迎え入れられるが、どうしてもなじめない。
一家の一人として認めてもらうために、一旗揚げようと考える。
それがラブマシーンというAIだった。
だから、陣内家に帰ってきたとき、本当はほめてもらいたかったのだ。
あるいは、陣内家のひとりとして認められたかったのだ。
栄がそれを知って槍を突き立てたが、それはラブマシーンを開発し、それが多くの被害を出しているからではない。
「そんなものを開発しなくても、おまえは陣内家の一員だろう、なぜそれがわからないのだ!」
というひどく悲しい怒りだったのだ。
「いざとなった時に読む手紙」に書かれていた侘助への思いは、栄の夫への不貞に対する怒りや恨みではなく、喜びだった。
彼はそれを知らずに、アメリカまで自分を認めさせる方法を探していた。
それは、自分の陣内家の居場所を探しているに等しかったわけだ。
それらの思いをのせて、夏希はラブマシーンと戦う。
アカウントのチップがなくなりそうになったとき、世界中の人々が夏希にアカウントを差し出す。
それは、単なるアカウントではない。
魂に等しいOZでのアカウントは、愛に飢えたラブマシーンに対抗するべく、二つの世界を融合させる。
ここで大きな感動とカタルシスが生まれるのは、孤独を抱える侘助が作り出したラブマシーンと対峙することと、孤独を抱える現代人たちが陣内家のように一つになるという二重性によるものだ。
僕は不覚にも泣いてしまった。
あまりにも、その構図がうまかったからだ。
あこがれを捨てた夏希は、陣内家の一員として、今度は健二へ好意を抱く。
お約束だけれど、そこにあるのはありきたりな恋愛ドラマではない。
現実世界と仮想空間に生きる現代を象徴するようなハッピーエンドなのである。
そこで一つ提案させてください
サマーウォーズ批評に関してひきつづき
もうすこし語っていただきたいんです。
のこり15点分の言葉を。
サマーウォーズに対して、
「冗長である」「無駄なシーンが多い」とか
「ご都合主義」「伏線が巧くない」「演出が甘い」とか
「花札のルール説明が少しくらいあってもよかった」「なぜロングショットにこだわるのか分からない」といったさまざまな批評批判がありますが、
そういった、
完璧とはいえない物語や
観客がおいてけぼりになる可能性など
この作品に対する
批判的な所見、
お持ちであれば
おききしたいんです。
僕自身は作品は、ありかなしか、
面白いか面白くないか、
それくらいシンプルにみていい、
雄弁は銀、くらいに思っています。
この映画は、僕はなしでした。
ただ、まとをえた批判文章がネット上で
みうけられない。
客観的、というか、
表現方法について興味深く批判している
サイトがない。
ぜひ残り15点減点分を語ってください。
http://d.hatena.ne.jp/asakura-t/20090823/summerwars
http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20090801#1249461034
http://d.hatena.ne.jp/TaniR/20090804/1249320081
気づいたら三時間くらい昼寝していました…。
>ズッキーニさん
書き込みありがとうございます。
点数の85点というところは実はあまりこだわりがありません。
15点分減点があるから85点というわけではありません。
90点もないだろう、80点はあるだろう、じゃあ85点くらいかな、という程度なので、あまり気にしていただかない方がいいかもしれません。
90点ほどではない理由の一つは、狂言回し的な位置にいる主人公の健二の内面があまりにもブラックボックス化してしまっていることがあります。
数学オリンピックに出場するクラスの高校生で、なおかつ世界をコントロールしているネットのバグ修正バイトまでしている。
夏希先輩からは一目置かれ(今回の事件前までに何の取り柄もなければきっと“バイト”候補にはならなかったはずだ)、間違いではあれセキュリティを解いてしまう一人になる。
そういったすごすぎる一面を持ちながら、彼の内面を描こうとするシーンがほとんどない。
彼は最初から最後まで「なぜか出来てしまう奴」で押し切られている。
いわば真のヒーローはおばあちゃんではなく、彼になっている。
陣内家の内面をそれぞれ描いているのに、そのアンバランスさが気になりました。
だから、健二に感情移入しようとすればするほど、物語から自分が置いてけぼりを食らうことになります。
もう一つは、人間がラブマシーンに対抗する手段が、ラストの「花札」以外見ていて「よくわからない」ことがあります。
巧みにビジュアル化することで、本来素人には全く見えないはずのプログラミングにおける争いをクリアにしていますが、なぜ格闘することでラブマシーンと争えるのかいまいちわからない。
ダイナミックではあるものの、「なぜそれで解決するの?」という疑問にとらわれてしまうと、先の物語に感情移入することはできない。
ざっと、このあたりでしょうか。
僕が思うに、問題は、映画は作品ではなくテクストだということです。
作品とは作者(制作陣)のものですが、映画は受け手となる観客がいるテクストです。
テクストはそれぞれの受け手と作り手との間にある「時空間」を意味します。
よって映画テクスト自体におもしろみを感じる人は、そう感じる自分の生き方、構え方があります。
逆におもしろくないと感じた人にも同様にそう感じる生き方、構え方があります。
僕は最大公約数的に「批評」という形で文章にしていますが、それだって僕という自分自身に迫ることに違いありません。
おそらくズッキーニさんの疑問に対する完全な答えは、「ズッキーニさん自身に迫る」という過程を経なければ得られないだろうと思います。
だからこそ、他人との感想に齟齬が起こると、気になってしまうものなのです。
僕も似たような経験をしたことがありますが、僕の解決策は似たような印象をもつ映画を探すことと、しばらく忘れることです。
……こんなオチでいいですかね。
>over-netさん
書き込みありがとうございます。
横槍全然OKです。
人の意見を読むのが嫌いな人間なので(だからこんなブログをやっているわけですが)見ないたちですが、今回は少し読ませてもらいました。
正直な感想を言えば、「う~ん、言っていることが僕にはよくわからない」という感じです。
的を射ているか射ていないかではなく、説明している言葉じたいがまず理解できませんでした。
あまり読むと、自分の意見が見えなくなりそうなので、やめておきましたが。
長くなってしまったので、紹介していただいたサイトへの僕の意見は書かないでおきます。
それにしても、僕もそろそろ人の意見を紹介するようにならないといけませんね。
いかんせん、考えが狭い!
トラックバックのやりかた、この夏で覚えようと思います。
「自分に迫る」という言葉の使い方があっているかわかりませんが
まさにこれから
自分に迫るというこうていへ
いこうとしています。
中途半端なところにいるから
気になってしまう。
僕の解決策は
とにかく創ること、
ということです。
ありがとうございました。
教えていただきありがとうございます。
「たまたま」という言葉が
痛快でした。
少し自分の考えを整理できました。
僕は「たまたま・ご都合主義」という部分ではなく、
「なかなか動かない」という部分が
気持ちよくなかったのだと思いました。
ヴィジュアルの話だけではなく。
脚本もシーンもカメラも
どんどん動いてほしい。
ご都合主義とか細かいこととか
気にならないほどに。
あと、サマーウォーズは
わびすけさんを中心に語るのが
気持ちいい批評だと思いました。
>ズッキーニさん
石原千秋か誰かが、文学評論をしている本でこんなことを書いていたような気がします。
学生に卒論を書くとき、自分の好きな作家や作品については書くな、と指導します。
なぜなら、好きな作家や作品を取り上げてしまうと、結局それは「なぜその作品が好きなのか」という自分自身に迫る研究となってしまい、つらい思いをすることになるからです。
たぶん内容は正しいと思います。
済みません、中途半端な引用で。
僕にとっても、結局常に批評とは自分自身との対話に他なりません。
だからこそ、一つの映画で自分自身のアイデンティティや考えが揺らいでしまうことがよくあるのです。
僕はその揺らぎこそが映画を観るという営みの本質なのだと考えています。
もちろん、アニメであれマンガであれ、読書であれ、なんであれすべての表現を享受するということは、根っこは同じなのだと考えています。
だからこそ、こういうブログをやっているわけで…。
こういう議論や疑問、感動や苛立ち、違和感が沸かない映画ほど、おもしろくない映画なのでしょう。
本当にそうだと思います。
自分の理解がおよばない何か。
よくも悪くも
そういうものに出会えた
ということですね。