secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

127時間

2011-06-27 22:52:46 | 映画(は)
評価点:82点/2010年/アメリカ

監督:ダニー・ボイル

岩をも動かす、監督の手腕。

2003年、4月26日金曜日。
エンジニアで、休日クライマーのアーロン(ジェームズ・フランコ)はいつもの通り、週末にブルー・ジョン・キャニオンに出かけた。
車で数時間、自転車で4時間。
歩きでさらに数時間。
狭い岩肌を一人で歩いているとき、不意に岩壁と岩とに腕を挟まれる。
もがいてみるがどうにも動かせそうにない。
24時間が経ったとき、彼はある大失敗を意識する。
「俺は誰にも行き先を告げていない。」

トレインスポッティング」のダニー・ボイル最新作。
日本ではそうでもないが、その道のアメリカ人には有名な実話をもとにしている。
そのため、オチは誰もが知っている状態で、しかも94分間の上映時間の殆どは一人芝居になるという映画だ。
監督からしてみれば、非常に「不利な状況」であろう。
そこには意外な展開もなければ、衝撃的なオチもない。
それどころか、文字通り一歩も動けない状態に陥った話なのだ。

この映画化に際して、ボイルは自ら切望したという。
版権を持っている人物も、原作者も映画化ではなくドキュメンタリーでの映像化を考えていた。
それを彼は覆したのだ。

その意気込みは、並大抵のものではない。
単館上映だったのに、みるみるうちに話題になって、オスカー候補まで上り詰めた。
非常に面白い。
ネタバレしていても、これほど面白い映画はそうはない。
おそらく映画館に行く時の足取りと、帰りの足取りは全く違ったものになるだろう。

覚悟して「挟まり」にいくべきだ。

▼以下はネタバレあり▼

94分は映画の上映時間としてはかなり短いほうだ。
やはり120分程度が平均時間だろう。
それなのに、この映画は127時間分の苦しみを観客に要求してくる。
見終わった後、驚くほどの倦怠感を覚えるだろう。
勿論、そこには得も言われぬカタルシスも交ざっているわけだが。

物語の構造は分析する必要もないほどわかりやすい。
非日常的なブルー・ジョン・キャニオンへいき、そして日常へ帰ってくるという往来の物語である。
彼はその往来の中で、人間として、動物として、覚醒する。
行きと帰りでは彼の内面と外面は大きく異なる。
どこかで読んだがまさに「変身する物語」なのだ。

アーロンは底抜けに明るい性格だ。
ちょっと空気が読めないところはあるものの、多少の怪我も何のその。
一人で荒野を駆け巡ってもその明るさは健在だ。
自転車で転んでも、その姿をデジカメで撮影するくらい明るい。
基本的に、ものごとを真剣に受け止めるということをしない。
だからこそ、この危機を乗り越えられたのだろう。
そういう用意周到な部分がなかったので、事故が深刻な事態を招いたともいえる。

彼は24時間閉じ込められて真剣に考え始める。
いつになったら自分の捜索が始まるだろうか、と。
あるいは◇と◇はパーティに来ない自分を疑い、警察に届けたりするだろうかと。
そして大失敗に気付くのだ。
誰にも行き先を告げなかったアーロンにとって、救助というヒーローの登場は全く見込めなかった。
それでも彼は底抜けに明るい。
だから、その自分の内面を朝のトーク番組風に吐露する。
「誰にも行き先を告げなかったって?」
「そりゃまずい。大失敗だ」

127時間は彼の潜在的生命力を覚醒させるのにぎりぎりのラインだった。
意外にも、僕には彼の覚醒が劇的なものには感じられなかった。
むしろ必然であり、ほとんど無意識に腕を切断するという決断に至ったようにさえ見えた。
壮絶でありながら、彼がそれを選ぶのは自然の流れだったのだ。
「生きたい。死ぬわけにはいかない」

彼は腕を切断することで、この危機から逃れる。
行きは軽快な足取りだったのに、帰りは一歩一歩踏みしめるように荒野をさまよう。
行きの彼からは信じられないようなことばが口をついて出る。
「助けてくれ」

見事なのは、その脱出に至る経緯が観客には完全に感情移入できてしまうというその演出だ。
もしあの時のドリンクがカバンの中に入っていれば。
あの時取り損ねた万能ナイフをきっちりカバンの中に入れていれば。
腕に挟まれていなければいまごろバーでパーティに明け暮れていたのに。
行き先を告げていれば。
大雨が降ってきて、脱出できれば、あの時の彼女に想いを伝えられるのに。

孤独であればこそ、後悔しながらもがき続けるその心理を描く演出は見事としか言いようがない。
いや、むしろパンフにあったように、彼は孤独でさえなかったのかもしれない。
荒野で一人取り残されながらも、なぜか現代的だ。
彼は大都会で「はまった」のだ。
それは、大都会で生きる僕たち観客も同じ境遇なのかも知れない。

そう思わせるに十分な重さがある。
だから、僕たちも映画館を出るとき、いつもと同じ感覚で帰ることはできない。
もはや腕を失ったアーロンと同じである。

徹頭徹尾、全く驚きのない展開だ。
原作?に忠実に彼は助かるし、腕を失う。
そこに意外性もなにもない。
けれども、絶大な〈同化〉効果だし、〈異化〉効果だ。
これ以上、監督の腕の良さを表す映画はないだろう。
脱帽、それ以外にことばはない。

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