評価点:67点/2012年/イギリス・アメリカ/143分
監督:サム・メンデス
007、50周年の〝逆説的〟記念作品。
007のジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)は機密情報が入っているハードディスクを確保しようとしたが、敵のパトリスというエージェントに盗まれた。
その中にはMI6の工作員の名簿があった。
一時身を隠していたボンドだったが、ロンドンのMI6が襲撃された事件を知り、現場復帰する。
パトリスを探し出したボンドは、雇い主を聞き出そうとしたが、聞き出せずに死んでしまう。
残された手がかりから、マカオにいることを掴んだボンドは、マカオに潜入するが……。
ダニエル・クレイグ主演になってからの3作目、サム・メンデスシリーズ初監督作品である。
この作品も非常に評価が高く、ファンの間でも記念碑的な作品のようだ。
全く思い入れのない私は、しかも、「スペクター」を先に見てしまった私は、眠気眼で見ていた。
(しかも見ていると部屋にGが出現して、違う緊張感を味わってしまったので集中力はだいぶそがれた。
しかもそのときにGを倒せなかったので、カタルシスも得られなかった。)
例によって文脈や伝統というものを知らないので、基本的には作品単体での評価となる。
私は、「スペクター」のほうが好きである。
▼以下はネタバレあり▼
50周年の記念作品と言うこともあり、過去のシリーズを知っていれば楽しめる、という要素がふんだんにあった(と思われる)。
私にはそれが楽しめないので、より的外れな批評を自覚しながら惜しげもなく披露しよう。
全体的な結構について、圧倒的に情熱が足りなかった、ように思う。
一つは、結局は世界を救うというような大義名分があっても「内輪の話」にすぎない、ということ。
それによって世界は圧縮されて、中国に行こうとどこに行こうと、世界の狭さを印象づけてしまった。
もう一つは、敵の内面が描き切れていない、ということ。
シルヴァというヴィラン(ハビエル・バルデム)を用意しながらも、その執着や内面がいまいちよくわからない。
上っ面では理解できるが、その心情に粘着力がないから、怖さが半減する。
「ダークナイト」のジョーカーを彷彿とさせる展開もありながら、強力な執着心の所以が見えてこない。
(奇怪な容姿、わざと捕まる、捉えどころのない悪意など)
だから、危機感がものたりない。
そして、最後の見せ場である「スカイフォール」という舞台に、必然性を感じない、という点だ。
MI6が産んだというシルヴァが、M(ジュディ・デンチ)に復讐するというのが大きな流れだ。
Mに生きる道を見出したボンドと、人生を疎外されたと信じるシルヴァが戦うわけだ。
やはりここにも、ただのヒーロー的な外部としてのボンドではなく、自分の人生と深く関わる人生の主人公としてのボンドを掘り起こそうとしている。
まったく空から落ちるような描写がないのに、「スカイフォール」というタイトルにして自分の故郷を闘いの舞台にした。
そこには、ボンドが人生を賭して乗り越える、という覚悟を見出すこともできるだろう。
だが、そうすることによって、結局はイギリス諜報部の内部の話、という限定された展開になってしまった。
何人MI6のエージェントが死のうと、市井の人間にはその危機感が伝わってこない。
たぶん、先に「スペクター」を見ていて多少世界に影響力があるような描写や展開になっていたことと、比較して見てしまったことは否めない。
派手な爆発やその報道を見ても、それが世界の危機という感じには受け取れない。
また、アクションの見せ場がことごとく閉鎖的だったことも影響しているだろう。
(だから「スペクター」ではあえてヘリを祭りの最中に落としたりしたのだろう。落ちてないけど)
上海にしてもマカオにしても、別に違う名前でも違和感はなかった、そのくらい「その街らしさ」が描けていない。
結果的に、結局はあんたらで勝手にやったことじゃないですか、という冷めた目線で物語を鑑賞してしまうことになる。
(イギリスが勝手に作った諜報部で、勝手に危機に陥っただけというアイロニー)
世界各地で戦闘を繰り広げればひろげるほど、余計にその狭さを示してしまうわけだ。
シルヴァについても同じことだ。
細かい設定は多々あるものの、結局何がしたかったのだろう。
わざわざスカイフォールまで赴いて、しかも多数の手下を引き連れて、そこまでMだけに固執したのはなんだったのだろう。
さらに二人で死のう、という発想はまったく理解の外だ。
そもそも元諜報部であるということ以外に特殊な力が見いだせない彼が、なぜあそこまで組織的な犯罪をできるようになったのだろう。
私もGと戦っていたので、もしかしたら見逃したのかもしれないが、やはり説得力が足りない。
先にも書いたように、執着心の根本がなければ、それを超克するボンドの姿が見えてこない。
見せ場を作るために用意された、敵、のように見えてしまう。
手下たちは彼の何に惹かれて言うことをきいているのだろう。
そしてスカイフォールについては、私にとっては全く不可解極まる展開だった。
わざわざ古風な闘いを用意するために、(50周年ということが先にあって)無理に用意された展開に見える。
戦い方はおもしろいが、だからなんだ、というのだ。
それまでに指紋認証の拳銃などが登場してきたのに、いきなり野戦のような戦い方になって、しかもそれが「自ら招き入れる」という勝算があるのかわからない展開だ。
それなら、命からがら逃げたところが、もはやスカイフォールしか残されていなかった、というやむを得ない展開にしたほうが理解できた。
こういう展開になればなるほど「あ、どうせ勝ってしまうのね」という安堵感がかえって強まる。
特にMが死んでしまうことを先の作品を見てしまったために知っている私にとっては。
全体的には逆説的な印象を受ける。
やろうとしていることと、手法が矛盾してしまっている。
最新作「ノー・タイム・トゥ・ダイ」に期待したい。
監督:サム・メンデス
007、50周年の〝逆説的〟記念作品。
007のジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)は機密情報が入っているハードディスクを確保しようとしたが、敵のパトリスというエージェントに盗まれた。
その中にはMI6の工作員の名簿があった。
一時身を隠していたボンドだったが、ロンドンのMI6が襲撃された事件を知り、現場復帰する。
パトリスを探し出したボンドは、雇い主を聞き出そうとしたが、聞き出せずに死んでしまう。
残された手がかりから、マカオにいることを掴んだボンドは、マカオに潜入するが……。
ダニエル・クレイグ主演になってからの3作目、サム・メンデスシリーズ初監督作品である。
この作品も非常に評価が高く、ファンの間でも記念碑的な作品のようだ。
全く思い入れのない私は、しかも、「スペクター」を先に見てしまった私は、眠気眼で見ていた。
(しかも見ていると部屋にGが出現して、違う緊張感を味わってしまったので集中力はだいぶそがれた。
しかもそのときにGを倒せなかったので、カタルシスも得られなかった。)
例によって文脈や伝統というものを知らないので、基本的には作品単体での評価となる。
私は、「スペクター」のほうが好きである。
▼以下はネタバレあり▼
50周年の記念作品と言うこともあり、過去のシリーズを知っていれば楽しめる、という要素がふんだんにあった(と思われる)。
私にはそれが楽しめないので、より的外れな批評を自覚しながら惜しげもなく披露しよう。
全体的な結構について、圧倒的に情熱が足りなかった、ように思う。
一つは、結局は世界を救うというような大義名分があっても「内輪の話」にすぎない、ということ。
それによって世界は圧縮されて、中国に行こうとどこに行こうと、世界の狭さを印象づけてしまった。
もう一つは、敵の内面が描き切れていない、ということ。
シルヴァというヴィラン(ハビエル・バルデム)を用意しながらも、その執着や内面がいまいちよくわからない。
上っ面では理解できるが、その心情に粘着力がないから、怖さが半減する。
「ダークナイト」のジョーカーを彷彿とさせる展開もありながら、強力な執着心の所以が見えてこない。
(奇怪な容姿、わざと捕まる、捉えどころのない悪意など)
だから、危機感がものたりない。
そして、最後の見せ場である「スカイフォール」という舞台に、必然性を感じない、という点だ。
MI6が産んだというシルヴァが、M(ジュディ・デンチ)に復讐するというのが大きな流れだ。
Mに生きる道を見出したボンドと、人生を疎外されたと信じるシルヴァが戦うわけだ。
やはりここにも、ただのヒーロー的な外部としてのボンドではなく、自分の人生と深く関わる人生の主人公としてのボンドを掘り起こそうとしている。
まったく空から落ちるような描写がないのに、「スカイフォール」というタイトルにして自分の故郷を闘いの舞台にした。
そこには、ボンドが人生を賭して乗り越える、という覚悟を見出すこともできるだろう。
だが、そうすることによって、結局はイギリス諜報部の内部の話、という限定された展開になってしまった。
何人MI6のエージェントが死のうと、市井の人間にはその危機感が伝わってこない。
たぶん、先に「スペクター」を見ていて多少世界に影響力があるような描写や展開になっていたことと、比較して見てしまったことは否めない。
派手な爆発やその報道を見ても、それが世界の危機という感じには受け取れない。
また、アクションの見せ場がことごとく閉鎖的だったことも影響しているだろう。
(だから「スペクター」ではあえてヘリを祭りの最中に落としたりしたのだろう。落ちてないけど)
上海にしてもマカオにしても、別に違う名前でも違和感はなかった、そのくらい「その街らしさ」が描けていない。
結果的に、結局はあんたらで勝手にやったことじゃないですか、という冷めた目線で物語を鑑賞してしまうことになる。
(イギリスが勝手に作った諜報部で、勝手に危機に陥っただけというアイロニー)
世界各地で戦闘を繰り広げればひろげるほど、余計にその狭さを示してしまうわけだ。
シルヴァについても同じことだ。
細かい設定は多々あるものの、結局何がしたかったのだろう。
わざわざスカイフォールまで赴いて、しかも多数の手下を引き連れて、そこまでMだけに固執したのはなんだったのだろう。
さらに二人で死のう、という発想はまったく理解の外だ。
そもそも元諜報部であるということ以外に特殊な力が見いだせない彼が、なぜあそこまで組織的な犯罪をできるようになったのだろう。
私もGと戦っていたので、もしかしたら見逃したのかもしれないが、やはり説得力が足りない。
先にも書いたように、執着心の根本がなければ、それを超克するボンドの姿が見えてこない。
見せ場を作るために用意された、敵、のように見えてしまう。
手下たちは彼の何に惹かれて言うことをきいているのだろう。
そしてスカイフォールについては、私にとっては全く不可解極まる展開だった。
わざわざ古風な闘いを用意するために、(50周年ということが先にあって)無理に用意された展開に見える。
戦い方はおもしろいが、だからなんだ、というのだ。
それまでに指紋認証の拳銃などが登場してきたのに、いきなり野戦のような戦い方になって、しかもそれが「自ら招き入れる」という勝算があるのかわからない展開だ。
それなら、命からがら逃げたところが、もはやスカイフォールしか残されていなかった、というやむを得ない展開にしたほうが理解できた。
こういう展開になればなるほど「あ、どうせ勝ってしまうのね」という安堵感がかえって強まる。
特にMが死んでしまうことを先の作品を見てしまったために知っている私にとっては。
全体的には逆説的な印象を受ける。
やろうとしていることと、手法が矛盾してしまっている。
最新作「ノー・タイム・トゥ・ダイ」に期待したい。
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