secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ジェミニマン(V)

2021-09-06 20:02:09 | 映画(さ)
評価点:57点/2019年/アメリカ/117分

監督:アン・リー

映像技術ではなく、シナリオが昇華(消化)しきれていない。

ヘンリー・ブローガン(ウィル・スミス)は凄腕スナイパーでアメリカ国防情報局(DIA)のエージェントだった。
動く列車のターゲットを狙撃したとき、迷いを感じ、引退を決意する。
その後引退したヘンリーのもとへ、友人のダニーが訪れ、列車のターゲットは生物兵器科学者ではなく、民間人だったと告げる。
闇があると感じたヘンリーは、真相を探ろうと動き始めるが、突如何者かに命を狙われる。
逃げながら真相を追おうとするヘンリーに、自分とそっくりな動きをする若者から襲われる。

ライフ・オブ・パイ」などのアン・リー監督のアクション映画。
50歳を超えるスナイパーと、20代の自分のクローンとの闘いを描いた作品。
何がすごいかと言えば、主演のウィル・スミスのクローンとなる若者は100%CGで描かれているということ。
表情や動き、質感すべてが人間そのものにみえる。
今までならそっくりさんを起用したり、化粧などで似せたりすることが知られていたが、実写映画に実写と見紛う(というか同じ)を忍ばせて、映画を完成させている。

映像技術はここまできたか、というレベルだ。
しかも高度な解像技術で撮影され、その上映ができる映画館は世界でも限られている、という非常に野心的な作品だ。
私はアマプラで見たのでその恩恵には全くあずかれなかったことも明記しておこう。

▼以下はネタバレあり▼

結論から言えば、映像技術が高いことは認めるものの、映画としての完成度が高いかどうかは微妙なところだ。
ま、有り体に言えば、おもしろくはない。
凡庸、その一言で終わる映画だった。

トレーラーからすでにクローンの映画であることは分かっているし、そこからどのように派生していくのか読めてしまう。
その設定で既に映画としては終わってしまっている。
それ以上に何もない。
凄腕スナイパーが、自分のクローンと戦って、おしまい。
その設定を、映像化した、という点以外に見るべきところがない。

クローンという設定でありながら、ヘンリーについての人間性が深く彫られていない点がまず厳しい。
どんなトラウマがあるとか、どんな習慣があるとかいうのを、クローンに言って聞かせる。
だが、そんな薄っぺらい設定では人間味は生まれて来ない。
そもそも自分のクローンだと分かったとしても、殺そうとしてくる相手に、すんなり共感が芽生えるだろうか。
むしろ、恐怖や畏怖が生まれてくるものではないか。

もちろん若いジュニアのほうも同じだ。
クローンの自分と、育ててきた父親とされるクレイ・ヴェリス、どちらが彼にとって重要な人間なのか。
戦闘員として育てられてきた男が、そんなにすんなり素直にターゲットの言うことを鵜呑みにしてしまうだろうか。
彼のリアクションを見ていると、12歳くらいの少年のような純真さだ。
まったく殺し屋としての怖さがない。

スナイパーとして良心が芽生えてきた、という50歳のおっさんと、ひたすら殺すことを教え込まれた男。
この二人が一気に心情的にシンパシーを感じてしまうというのはいかにも不自然だ。

この映画は、遺伝子操作された画一化された人間よりも、多様性ある人間のほうが有効である、というメッセージ(プロット)も隠されている。
だから、世界のあっちこっちに行くし、ヘンリーを助けてくれる人間は多種多様な人種である。
だが、その対比と、二人のヘンリーの心情的一致は、全くテーマとそぐわない。
結局遺伝子が同じであれば、同じ生き方、同じ性格、同じ傾向がある、ということを物語全体で示してしまった。
自分ができなかったことを、クローンにさせよう、という発想じたいが、非常に危ういところに立脚している証左だ。

それは、多様性ではない。
お前も俺と同じ気持ちでいてくれるはずだ、という遺伝子至上主義の裏返し(あるいは絶対的信奉)に他ならない。
だから、二人が対立しない(相手に恐怖を覚えない)ことが、気持ち悪いのだ。

その居心地の悪さのまま物語は大団円を迎えてしまう。
結局、彼らは何と戦ったのだろうか。

ジェミニという企業が掲げていたものも、やはり不透明で不明確だ。
ヴィランであるヴェリスは、ジュニアに対してどういう感情を抱いていたのか。
「兵士を死なせる必要はなくなる」と言いながら、愛しているというジュニアを戦争にかり出す。
ゆがんでいる、というよりは、ぶれている。
だから相手を打ち砕いてもあまりカタルシスを得ることができない。

どれだけ精巧にCGを作り込んでも、そこに描くべき個性がなければ映画としてはおもしろみは生まれない。
それはおもしろいアニメもあれば、おもしろくない実写もあるのと同じだろう。
説得力を生み出すためにはCGは有効かもしれない。
けれども、技術がいい映画を生み出すとはは必ずしも限らない。
高い技術であれば高い技術であるほど、狙いとは逆の結果になっている。

それは、映画全体を貫いている。
主人公達は世界中を動き回るが、まったく必然性を感じないし、まったく映画の世界観は広がらない。
むしろチープなご都合主義的な飛行機のカットが入る度に、「後ろ盾もないのによく移動できるよね」というような変な安心感と狭さを感じてしまう。

それも全ては、何を描きたいのか、という点を抜きに、映像化してしまった結果だと思う。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 007 スカイ・フォール(V) | トップ | ミッション:インポッシブル(... »

コメントを投稿

映画(さ)」カテゴリの最新記事