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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

HERO

2008-05-11 12:03:55 | 映画(は)
評価点:80点/2003年/中国

監督:チャン・イーモウ

「初恋のきた道」のチャン・イーモウ監督の歴史大作。
ちなみにキムタクのほうではない。

中国の全土を支配しつつあった秦王(チェン・ダオミン)は、宿敵趙国の三人の剣士を倒したという無名(ジェット・リー)に謁見を許した。
無名に三人をどのように倒したかという話を聞き出す秦王だったが、やがて、出来すぎている無名の話に疑問点を見出す。

ジェット・リーが出ているということで、観客の七割はアクション映画を期待したのではないか。
けれど残りの三割は、チャン・イーモウという映画監督を知っているのでだいたいの画風は読めただろう(と思いたい)。
この映画はエンターテイメントを前面に押し出したようなつくりにはなっていない。
もちろん、映画はエンターテイメントという側面はあるのだが、映像メディアによる芸術という側面もまた有している。
その芸術的な側面を特化させて描いた作品が、この「HERO」だろう。
だから、ばりばりのアクション超大作を期待していると肩透かしを食らう。
もし観るなら、監督のほかの作品を観てからの方が、よく理解できるのではないか。

▼以下はネタバレあり▼

そういう意味ではハリウッド映画とは全く反対の方向への可能性を見出した作品とも言えるかもしれない。
ハリウッド映画が「殆んど思考を要しない映画」であるとしたら、この映画もまた、「殆んど思考を要しない映画」であろう。
頭でどれだけ考えても、感覚的に映像や音、世界観などに馴染めなければこの映画の面白さを味わうことが出来ない。
ストーリーやプロットを追う、というよりも、その芸術的空間を漂う、という映画鑑賞の方法だ。
まあ、全く頭をつかわなかったら、駄目だとは思うけどね。

この映画の大綱は、秦王と、その刺客を倒したという無名との対話となっている。
この秦王は、後に始皇帝と呼ばれる暴君で有名な王であり、彼はあまりの敵の多さのため、100歩以内に謁見者を近寄らせたことがないほどだった。
その王に趙国の三大剣士である長空(ドニー・イェン)、残剣(トニー・レオン)、飛雪(マギー・チャン)らを倒した無名がその名誉によって10歩以内まで近づくことを許される。
彼ら三人を倒した詳細を話すうちに秦王は矛盾点を見つけ、無名が実は10歩以内に近づくことを目的とした暗殺者であることに気づく。
物語は二人の対話を「現在」として、いかに剣士を倒したかという「過去」を回想するという構成になっている。

この時点で、すでにストーリーとプロットを追うサスペンス効果は皆無に等しい。
この展開によって考えられる「謎」は「本当に三人を倒したのか」「倒したとしたらどのように倒したのか」の二つだけである。
そしてこの二つの謎が直接、真相である「無名は暗殺者だった」ことにつながっていく。
ドラマとしてはあまりに弱い設定である。
それは、エンターテイメントというベクトルを目指していない監督の意志をそのまま表しているといえるだろう。

しかし、その空間は見事に描かれている。
特に回想シーンで繰り広げられるアクションシーンは肉体的な戦いではなく、内なる戦いをテーマとしていることがはっきりとわかる。
雫がしたたる雨の中を、剣戟の高い響きが鳴り続ける。
しかも両者は意識の中で激しく争うのである。
両者の戦いは肉体的な死をかけているというよりも剣士としての誇りや、心的な強さを争っているのである。
だから相手の槍を折ることが「勝つ」ことであり、相手にとっての「死」を意味するのである。
どんな映画にもリアルさを求めるあまり、どうしても「吊りすぎ」と思ってしまうが、これは物理的飛翔ではなく、精神の飛翔を表しているのだと思われる。

色の使い方も芸術的だ。
秦王を欺くための回想は赤に統一された世界。
秦王が見抜いた世界は、真っ青。
そして無名が真実を語った世界は白である。
赤は激しく燃える恋愛の象徴であり、青は秦王を倒すために託した友への義侠を示す。
そして白は、真実を表す現実的な配色。
その中で、残剣が秦王を攻めたという三年前を回想する色は、緑である。
これは一種の心理への到達を意味しているのだろう。
こうした配色によって、そこに貫かれている心的な世界を表すのである。
これの「色の世界観」は、理屈ぬきで美しいと思える。
ここを「美しい」と感覚的に捉えられなければ、この映画を肯定的に観ることは難しいだろう。

そう考えれば、大河ドラマ的な設定であるにもかかわらず歴史的な出来事を扱っていないことも理解できる。
中国で、歴史的解釈について問題があったらしいが、あくまで映画。
これをそのまま鵜呑みにするほうが馬鹿らしい。
しかも作風が史実に基づいたようなものとは一線を画していることもあってこれを始皇帝の真の姿として考えることは不可能に近いだろう。

チャン・イーモウの世界は独特で、ハリウッド映画とは真っ向から対立する。
確かにハリウッドが映画を育てたという側面は強いけど、こうした映画がもっと日の目を見てもいいのではないだろうか。
この監督がすごいところは、「興行収入をねらった」と言い切るところ。
それでいて独特の世界観をみせられるのだがら、すごいというほかない。

役者については、正に豪華キャストといった布陣。
ツィイーとリーが出ているというだけで僕としては満足だ。
でも、ツィイーはもう少し、かわいらしい表情の多い役だったら良かった。
あれじゃあ、かわいくないよ。
特に「赤」の回想のキャラは、理不尽なバカ、という感じだった。
どうにかしてほしいところだった。

「興行収入をねらった」といっても、一般向けする映画ではないと思う。
はまれる人はとことん良いと言うだろうし、逆に期待していたものとは違っていたり、世界観が好きになれない人の心には、ヒットしないだろう。
でもこういう映画もあっていいじゃないか!

ちなみに、続編が作られるそうだ。不安半分、期待半分。


(2003/8/20執筆)

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