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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

かぐや姫の物語

2014-01-26 13:52:53 | 映画(か)
評価点:61点/2013年/日本/137分

監督:高畑勲

至極退屈。

昔々、竹を採って生計を立てていた造という翁(声:地井武雄)が光る竹を見つけ、その中からかわいらしい女の子を見つけた。
大切に育てていると、たいそう大きくなり、美しい女性(声:朝倉あき)へと成長した。
翁は同じ竹林で黄金の詰まった竹を見つけることも度重なり、都に上り、貴族として暮らし始めるが……。

2013年に公開したジブリ映画第二弾。
こちらは高畑勲監督作品である。
誰もが知っている物語を、誰もが知らない映像で描き直す。
ちまたでは既に絶賛する声が上がっている。
この一報が入ったとき、誰もが「そうきたか、ジブリ!」と思ったはずだ。

もう公開されてずいぶん経つ。
今更だが、批評を書いておこう。

▼以下はネタバレあり▼

「竹取物語」はおそらく最も国民に広く知られているお話だろう。
幼児向けの絵本から、童話、そして古典作品として、多くの日本人がこの物語を学んだり、聞かされたりしてきたことだろう。
私もその一人だ。
そして、学生時代、もっともよく「読まされた」古典作品といってもよい作品だ。
日本国民の「竹取物語」への知識に関して、平均値をとるとしたら、私は確実にそれよりも高いだろう。
そのことは、私のこの作品を見たときの印象に大きく関わっているものだと推測する。
私はこの映画を評価しない、その一つの要因になっていることを断っておこう。

その原稿用紙50枚程度の小品をどのように映像化するのか。
どのような現代的なテーマを見出すのか。
その一点がやはり確認しておきたいことだった。

そして、この二時間を超える作品を見て、私は終始退屈な印象を受けたのだ。

ほとんどが原作通りといってもいい。
私が教師なら、この作品を見せて軽く補足説明すれば、教材として成り立つかも知れない。
アメリカ映画なら、これを大胆に改変して、現代風に再話してしまうだろう。
それをせずに、ほとんど原作通りに、しかもほとんど当時のしきたりや文化的コードをそのままに描いたことはすばらしい。
しかもそのタッチが、当時の雰囲気をも表現するような描写をとっている。
それはいかにも日本的で、(絵のタッチがではなく、そのような再話のスタンスをとったことが)ジブリの手によるアニメーションの真骨頂ともいえる。

原作と違うところからこの映画を分析してみよう。
一つは、捨丸というキャラクターである。
彼は原作では全く登場しない。
完全にオリジナルの人物である。
彼はかぐや姫の「あり得たかも知れない未来」を照らし出すために置かれている。
幼なじみのように育った二人が、もしそのまま大人になっても時間をともにしていたら、もっと違った未来があったかも知れない。
そのことを描き出すために、身分制度の最も最下層に位置するような、林業とその加工を担う職人としておかれている。
農地も持たずに、定置となる住居を持たない捨丸たちは、明らかに貧困層である。
次第に裕福になっていく翁(かぐや姫)とは全く別世界の住人たちである。

もう一つは、石造りの皇子の顛末である。
石造りの皇子は、仏の御石の鉢を要求されるが、彼は持ってこない。
姫への真心が一番だ、と言って蓮の花をもってくる。
しかし、そこにいたのは彼がだました北の方(本妻)が座って、「真心」が暴かれてしまう。
原作は、持ってきたものが偽物だと姫にばれて、「鉢を捨てる」=「恥を捨てる」ことになる。
この話は、火鼠の皮衣や蓬莱の玉の枝と似たような結論になるので、ウソがばれるように書き換えたのだろう。
また、相手の見え透いた真心を見抜く聡明さと、テーマにもつながる「何も受け取ろうとしない子ども」としてのかぐや姫をあぶり出すためでもあるだろう。

ラストは富士の山に燃え続けるという伝説をカットしている。
こちらも、名付けの物語という意味合いを奪い、かぐや姫の内面をテーマとして据えたかったことからのカットだろう。
ちなみに、富士山が描かれるカットがいくつかあるが、それは原作へのリスペクトであると私は解釈した。
「今も燃え続ける」という言い方はできない以上、ラストをカットしたのはわからないこともない。

他にも登場しない人物やシークエンスはある。
しかし、これ以上比較しても意味はないだろう。
問題は、これらの変更はすべて一つのテーマを浮かび上がらせるために必要だったから、ということだ。
すなわち「かぐや姫の物語」におけるテーマとは、今この世界を生きるということである。
かぐや姫は、罪人としてこの世界に使わされた。
月の住人が口ずさんでいた歌から興味を持ち、この世界にあこがれを抱いた。
その罪を、この世界に使わされることで、「そのあこがれは愚かである」ことを身にしみて知らせるためだ。
それがかぐや姫の罰である。
憧れているはずだったが、彼女はこの世界のすべてのものごとに対して拒否するという態度で世界と接した。
その世界に対して決定的に「拒否」することで、罪のみそぎを果たしたということで、「許される」形でこの世界から昇天するのである。
だが、それが決定されたとき、はじめてこの世界の尊さを知る。

季節が巡り、生き物が生まれ、そして死んでいく。
そのはかなさとたくましさを知ったかぐや姫はその愚かさだけではなく尊さを知るのだ。
全ての心をもたない月の住人にはない尊さだ。

それは現代的でもある。
生きることの重みを意識しない現代人において、それは心をもたない月の住人と同じである。
ささいなことに心を躍らせ、生きることに希望を持つべきであるという高畑勲からのメッセージであろう。

やたらと自然との戯れや、幼少期、捨丸などのやりとりを丁寧に描いていたのはそのためだ。
自然の中で生きる昔と、きれいな調度品とともに安全に生きる現在を対比させることで、生きることの尊さを描き出そうとしている。

原作「竹取物語」ではかぐや姫の罪についてはほとんど記述がない。
なぜか。
それは前世の罪だからだ。
人は死ぬという咎を背負って生きている。
なぜなら、前世で悪い行いをしたからである。
その前世でいかような生き方をしてきたのか、私たち現世に生きている人間にはわからない。
わからないことこそが罪そのものなのだ。
原作では輪廻転生の仏教的思想が根本に流れている。
かぐや姫の逃れられない別れとはすなわち昇天であり、死である。
天の羽衣を着て人としての物思いを無くしてしまうのは、仏になってしまうからだ。
「竹取物語」の中では、ほとんどの人が望むものを手に入れられない。
姫の幸せ(結婚)を翁と嫗は奪われ、帝をはじめとする五人の貴公子たちは愛する人とともに生きることができない。
なぜなら、彼らもまた罪人であり、この世界はそういう悲しみに満ちているからである。
中国からの影響を色濃く受けながら、そこに日本的な「あはれ」をすでに見出すことができる。

私にとってこの「かぐや姫の物語」は全く驚きもなければ重みも感じられなかった。
歴史的な史実を踏まえながらも、いかにも現代的なテーマを載せたことではない。
その「現代的なテーマ」なるものが、いかにも陳腐だったからだ。
前半と後半の描き方は、「過去に帰れ」という前時代的なメッセージにすぎないし、月へと向かいながら見下ろす「この世」が単なる地球で、なんのおもしろみもない。
いかにも現代人的な感覚で描かれているので、絵柄は古風で日本的かも知れないが、それを映画として完成させているとは言い難い。
なんども都から生家に帰るシークエンスがあるのは、戻りたくて仕方がないという極めて後ろ向きな態度に見える。

いや、嫌悪感をもよおすほどではない。
絵柄だって嫌いじゃない。
古典作品をこれほど忠実に、しかも商業的に描いたことは素直に嬉しく思う。
けれども、ただただ退屈なのだ。
それくらいがジブリとしては丁度良いのかも知れないが、「風立ちぬ」の衝撃、新しさから考えれば、はるかに古い。
映画であるならば、人々の何かを掘り出す新しさがほしい。


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2 コメント

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ブログを読んで・・・ (iina)
2014-01-27 10:04:23
ずいぶんと厳しい評価でした。

竹取物語を高畑勲監督が自由に考え絵にしました。それを見たmenfithさんが、自由に批評しました。至極退屈と。

ひとつの映像から、見る者に様ざまな印象を与えるものです。最高、普通、最悪等々を自由に感想しあえます。

この作品から、たまたまmenfithさんと同時期にTBをいただいた方にコメントしたことを置いて帰ります。
「あるいはかぐや姫そのものが不条理な存在であったのかと思ったのです。
(不条理とは、わがままであったり意の通りにいかぬことと思えます。)

地球に行きたいと望み果たされると、まわりの者から夫を押しつけられるのが厭に思え、月に帰されてしまう。帰されることになると、こんどは地球での楽しいことを思い帰りたくなくなる。
姫も自分の意志でわがままをいい、それを天が阻み思い通りにならない。(天も姫も不条理)

そんなことは、人間社会にあふれるほどあるありふれた話です。それを竹取物語に凝縮したのでしょうか。」
そんなことを考えさせた作品であれば、その者にとってはは意味があったことになります。
ただ、残念ながらmenfithさんに失望も与えました。

世の中も、そんなものです。
返信する
失望とは少し違いますが。 (menfith )
2014-01-27 21:41:07
管理人のmenfithです。

>iinaさん
書き込みありがとうございます。
TBもありがとうございます。

失望というほどではありません。
ただ、歴史性をあそこまで絵的に再現しておきながら、当時の田舎と都会の対比が全くとれていないというのはやはりバランスに欠くと思うのです。
映画というのは新しい発見を人々に示していくという大きな使命があると思っています。
それは文学も同じだし、科学も同じです。

その点から言うと、前時代的で陳腐なメッセージだったと感じたわけです。
ジブリに対しては大きな期待を私はもっています。
そのために辛口になったのかもしれません。
また、「竹取」に対する思い入れも他の人とは少し違うのも確かです。

とにかく、見ていたときに退屈だと感じたことは事実です。

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