secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

シークレット・ウィンドウ

2009-01-03 09:44:36 | 映画(さ)
評価点:65点/2004年/アメリカ

監督:デビッド・コープ
原作:スティーブン・キング

見所は、ジョニー・デップ。

売れっ子作家のモート・レイニー(ジョニー・デップ)は六ヶ月前、妻(エイミー)の不倫現場を目撃、別居状態が続いていた。
ある日、インターホンで起されると、男(ジャン・タトゥーロ)が立っていて、「お前は俺の作品を盗んだだろう」と脅される。
全く身に覚えのないモートは、渡された原稿を捨ててしまう。
筆が進まないモートはその原稿を読んでみる。
すると、数年前にモートが書いた「秘密の窓」という作品とほとんど同じ作品であることに気づく。

主演ジョニー・デップ、原作がスティーブン・キングという組み合わせ。
イケメンで通っているジョニー・デップが、難しい役どころに挑戦しているが、日本でもアメリカでも、不発に終りそうだ。
僕の観にいった映画館では、一割ほどの客足だった。
キムタクの「2046」と同時公開では、やはり観客動員数は伸びないだろう。

▼以下はネタバレあり▼

この映画は、ミスディレクション映画と言えるだろう。
もうお馴染みの、意外性ある結末が待っている「シックス・センス」のような作品群である。
しかし、ミスディレクション映画としては、少々失敗しているとも言える。
だから、正確に言えば、単なるサスペンスとギリギリのボーダーに位置する映画である。

ミスディレクションとして失敗している理由は大きく言って2つある。
1つは複線の張り方。
もう1つは、オチとその明かし方である。
というのも、映画で最も面白くなったところで、最も面白くなくなってしまうという皮肉な状況が生まれているからである。
伏線とオチとが噛み合っていない印象を受けてしまうのだ。

前半から物語は2つのプロットが存在する形で提示される。
モートと、エイミーとの不倫、別居、離婚の問題である。
もう1つは、男が盗作だと脅してくる事件である。
エイミーとの愛憎劇は、かなり印象的に描かれていく。
冒頭に、意味ありげに不倫現場を目撃するシーンをもってきたり、盗作問題とは全く関係ないにもかかわらず、
執拗にエイミーとのやりとりが挿入されたりする。
これによって、妻の不倫相手テッドが一連の事件を仕組んだのではないか、という疑いが向けられるしくみになっている。

しかし、家が焼かれるといった、テッドにとってほとんど利益のない事件が続くため、即座にその疑いは消えてしまう。
また、中盤、ガソリンスタンドで殴りかかったテッドが、車のガラスに拳をぶつける。
このシーンによって、間抜けで考え深くないテッド像が浮かび上がり、盗作問題といった微妙で、作家を陥れるような周到な計画が立てれられる人物ではないことが分かってしまう。

もう一つのプロットは、盗作問題である。
ほとんど同じ原稿を渡され、モートは混乱する。
しかし、シューターの話では、1997年に書いたということで、モートのほうが先に書いたことが分かる。
男は、その掲載雑誌を見せることで手を引くことを約束するが、彼はそれを執拗に邪魔をする。
犬を殺したり、家を焼いたり、そしてモートの弁護士まで殺してしまう。
ようやく雑誌を手に入れたモートは、雑誌が切り取られていることに気づく。
しかし、何人にも、その雑誌を先回りして手に入れることはできない。
モート自身以外にその雑誌を手にしているものはないのである。
ここで、真相が明らかになる、というわけだ。

しかし、この明かし方がまずかった。
二人の人格がいることを表わすために、鏡をつかったり、二人のデップを対比させたりする。
このなんとも陳腐な明かし方は、陳腐な自作自演というオチをさらに魅力のないものにしてしまう。
すくなくとも、このような解離性同一性障害を描くなら、〈他者〉を登場させることで明かすべきだった。
そうでなければ、自身の対話の中で完結してしまうことになり、観客に分かりにくくなってしまうか、あるいは二人出してしまわないといけないような、非現実的になってしまう。
それまで盛り上がっていた熱が一気に冷めてしまう。

それは、部屋中にかかれた「shooter」「shoot her」という文字が、あまりに仰々しいことで、さらに不自然さを感じさせる。
もうそういう手法以外では、そのオチを明かす方法がなかったというような、製作陣の「苦しみ」のようにさえ感じてしまう。

それはオチだけではない。
オチに至るまでの伏線も、サスペンスとしてもミスディレクションものとしても、拙いものになっている。
サスペンスとして描くなら、以前にあった盗作問題や分裂するようになったきっかけなどの過去をきちんと描く必要があった。
簡単に言えば、話は、一人だった精神が、二人以上になり、そして迷いを吹っ切ることで一人になる、という物語である。
しかし、二人から一人になるまでは、明瞭だが、なぜ二人になってしまったか、という問題が不明瞭だ。

モートは書けない不安から、盗作してしまう。
それがばれることで、ますます不安を募らせていく。
それを見ていた妻は、淋しさから浮気に走ってしまう。
その現場をみたモートは、6ヶ月かかって新しい「秘密の窓」を書き上げる。
そして、その書き換えを行なうために、「男」を作り出す。
実際には、もっと前の段階から人格は分裂していたと考えられるが、整理するとこのようになるだろう。

しかし、その不安なるものがどのような種類のものなのか、きちんと説明(提示)されないため、ラストの「人格の一致」にいたるプロセスが分かりにくい。
伏線としてそれをきちんと描かないと、オチに納得できない。

ミスディレクションとして描くなら、観客にもう一つの真相を仮想させる必要があった。
追い込む先をもう一つ作っておかなかったため、勘のいい人なら、かなり早い段階から読めてしまう。
少なくとも、黒人弁護士が、「トムは君一人だったと言っているぞ」ということで、疑いを持ってしまう。
そのあと「誰かに脅されている可能性がある」というようないい訳じみた台詞によって、あからさまに伏線を隠そうとしていることが見て取れるのである。

仮想させたかったはずのテッドの可能性も、すぐに消えてしまう。
最後の最後まで、引っ張れるような「真相」がないため、ミスディレクションとしては成り立たないほど、読めてしまう。

サスペンス、ミスディレクション、どちらを狙うにしても、伏線とオチが噛み合っていない。
あのオチのままで行くなら、伏線をきちんと張る必要があったし、伏線を張らないなら、もっとオチの明かし方を考えないといけない。

真相が明かされる寸前までは、一級のサスペンスに仕上がっている。
しかし、それが明かされた瞬間、カタルシスどころか、緊張の緩和が起こってしまう。
ジョニー・デップの演技はすばらしいし、雰囲気もおもしろかったのに、この伏線にして、このオチとは。
監督が、脚本出身だからなのだろうか、残念でならない。

(2004/10/30執筆)

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