評価点:77点/2020年/日本/102分
監督:杉原輝昭
物語の結構がうまい。
イズを取り戻した或人社長(高橋文哉)は、突然エス(伊藤英明)と名乗る男に脅迫された。
エスは仮面ライダーエデンとなり、世界を滅亡させることを宣言する。
60分以内に止めなければ世界は崩壊するという。
同時に世界各地で謎の赤いガスがまき散らされるというテロが発生する。
煙を吸った人はその場で倒れ、意識不明に陥っていく。
或人社長はエデンの挑戦を受け、イズを残して決戦に挑む。
しかし、エデンは全くダメージを受けない圧倒的な仮面ライダーだった。
当然子どもと見に行った。
緊急事態宣言の前後からゼロワンにはまり、子どもと一緒に見ていた。
子どもと私のお気に入りは天津垓。
それはおいておいて、映画化されるということで、年末の忙しい日に映画館に向かったわけだ。
観客は若いカップル(あるいはアベック)もいて、年齢層は意外にバラツキがあった。
テレビを見ていない人には全く興味のない映画批評が、今始まる。
こんな映画の批評が(まじめに)できるのは、この俺だ!
▼以下はネタバレあり▼
ヒューマギアと呼ばれる人工知能が深く社会に入り込んでいる社会が舞台である。
人工知能として生きているが、肉体があり、様々な仕事を担うヒューマギアと人間がともに笑い合える社会を目指して飛電インテリジェンス社長の或人社長は仮面ライダーとして闘っていた。
紆余曲折あり、ヒューマギアの独立を目指す滅亡迅雷.netは悲哀を乗り越えた飛電或人と和解し、人々の悪意を監視する役割を担うことにする。
しかし、そこに現れたのがエスと名乗る仮面ライダーエデン(伊藤英明!)である。
彼は研究者であり、フィアンセ(TOHOシネマズの女の子)の病気を救うためにナノマシンを開発していた。
しかし、衛星アークの暴走の時に、ナノマシンが暴走し、フィアンセは死んでしまった。
悲しみに暮れるエデンは、自身が開発したナノマシンと、世の中に絶望した闇サイトに集まる人間達を先導し、新しい世界を作ることを宣言する。
この映画がおもしろいのは、そのプロットがしっかりしているということだ。
エデンは悲しみの連鎖の中にいる。
それに立ち向かうのは、同じくイズを失った経験を持つ或人なのだ。
悲しみを憎しみに変えても事態は好転しない。
解決も癒やしもない。
そのことを知っている或人であるからこそ、エデンに立ち向かう資格がある。
人と人工知能がどのように生きていく世界を構築するか。
その命題に対して、悲しみという観点でシリーズは展開してきた。
仮面ライダーが多すぎるという批判も最もなのだが、この「ゼロワン」に登場するライダーたちはすべからく「悲しみを抱いた戦士」であるという点だ。
武器を手に取り、ベルトにプログライズキーを差し込む彼らは、皆一様に悲しみを抱いて生きている。
それは人工知能であるヒューマギアも同じである。
その点に焦点化した、その流れをきちんと汲んでいる。
また、最後に対峙するべき敵は、生きることを諦めてしまった人たちだ。
生きることを望み、その中で絶望した人ではなく、その悲しみに立ち向かわずに諦めてしまった人たちを「本当の悪」として描いている。
子ども向けのヒーロー映画でどこまで伝わるかは知らないが、少なくとも人間賛歌になっていることは間違いない。
こうした物語の結構が非常にうまい。
もちろん、あらを探せばいくらでもある。
あらゆることを「ナノマシン」で片付けてしまう横暴さもある。
しかし、それを補ってあまりある、熱さがきちんと通底している。
(ライダーに変身する前に役者がアクションをしてくれたり!)
監督:杉原輝昭
物語の結構がうまい。
イズを取り戻した或人社長(高橋文哉)は、突然エス(伊藤英明)と名乗る男に脅迫された。
エスは仮面ライダーエデンとなり、世界を滅亡させることを宣言する。
60分以内に止めなければ世界は崩壊するという。
同時に世界各地で謎の赤いガスがまき散らされるというテロが発生する。
煙を吸った人はその場で倒れ、意識不明に陥っていく。
或人社長はエデンの挑戦を受け、イズを残して決戦に挑む。
しかし、エデンは全くダメージを受けない圧倒的な仮面ライダーだった。
当然子どもと見に行った。
緊急事態宣言の前後からゼロワンにはまり、子どもと一緒に見ていた。
子どもと私のお気に入りは天津垓。
それはおいておいて、映画化されるということで、年末の忙しい日に映画館に向かったわけだ。
観客は若いカップル(あるいはアベック)もいて、年齢層は意外にバラツキがあった。
テレビを見ていない人には全く興味のない映画批評が、今始まる。
こんな映画の批評が(まじめに)できるのは、この俺だ!
▼以下はネタバレあり▼
ヒューマギアと呼ばれる人工知能が深く社会に入り込んでいる社会が舞台である。
人工知能として生きているが、肉体があり、様々な仕事を担うヒューマギアと人間がともに笑い合える社会を目指して飛電インテリジェンス社長の或人社長は仮面ライダーとして闘っていた。
紆余曲折あり、ヒューマギアの独立を目指す滅亡迅雷.netは悲哀を乗り越えた飛電或人と和解し、人々の悪意を監視する役割を担うことにする。
しかし、そこに現れたのがエスと名乗る仮面ライダーエデン(伊藤英明!)である。
彼は研究者であり、フィアンセ(TOHOシネマズの女の子)の病気を救うためにナノマシンを開発していた。
しかし、衛星アークの暴走の時に、ナノマシンが暴走し、フィアンセは死んでしまった。
悲しみに暮れるエデンは、自身が開発したナノマシンと、世の中に絶望した闇サイトに集まる人間達を先導し、新しい世界を作ることを宣言する。
この映画がおもしろいのは、そのプロットがしっかりしているということだ。
エデンは悲しみの連鎖の中にいる。
それに立ち向かうのは、同じくイズを失った経験を持つ或人なのだ。
悲しみを憎しみに変えても事態は好転しない。
解決も癒やしもない。
そのことを知っている或人であるからこそ、エデンに立ち向かう資格がある。
人と人工知能がどのように生きていく世界を構築するか。
その命題に対して、悲しみという観点でシリーズは展開してきた。
仮面ライダーが多すぎるという批判も最もなのだが、この「ゼロワン」に登場するライダーたちはすべからく「悲しみを抱いた戦士」であるという点だ。
武器を手に取り、ベルトにプログライズキーを差し込む彼らは、皆一様に悲しみを抱いて生きている。
それは人工知能であるヒューマギアも同じである。
その点に焦点化した、その流れをきちんと汲んでいる。
また、最後に対峙するべき敵は、生きることを諦めてしまった人たちだ。
生きることを望み、その中で絶望した人ではなく、その悲しみに立ち向かわずに諦めてしまった人たちを「本当の悪」として描いている。
子ども向けのヒーロー映画でどこまで伝わるかは知らないが、少なくとも人間賛歌になっていることは間違いない。
こうした物語の結構が非常にうまい。
もちろん、あらを探せばいくらでもある。
あらゆることを「ナノマシン」で片付けてしまう横暴さもある。
しかし、それを補ってあまりある、熱さがきちんと通底している。
(ライダーに変身する前に役者がアクションをしてくれたり!)
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