最後の最後で、圧倒される。
カイアは幼少期、母親が家を出て行くのを見た。
そのときいつもの買い物に行くような様子ではなかったことを覚えていた。
次いで、兄と姉が相次いで家を飛び出した。
カイアは酒に溺れる父親とともに、人々が寄りつかない湿地で過ごすことになった。
カイアが24歳になったころ、湿地で一人の若者の死体が発見される。
地元で有名なクオーターバックの選手だったチェイス・アンドリュースは湿地の火の見櫓の下で死んでいた。
事故にも見えたが、彼が櫓に上った時の指紋さえ残されていなかった。
真っ先に疑われたのは、湿地の少女として地元で有名な、カイアだった。
映画公開に合わせて衝動買いして、そのまま読み切った。
もう少し早く読めると思っていたが、サッカーやら日本代表やら、鎌倉殿などがあって遅くなった。
できれば時間を見つけて映画も見に行くつもりである。
2021年の数々の賞を受賞した有名なミステリ小説。
少し前から気になっていたが、手に取ってみた。
今読んでいる本が停滞していたこともある。
▼以下はネタバレあり▼
いわゆる本格的なミステリ小説とは少し毛色が違うかもしれない。
湿地に住む少女の半生を描きながら、その中心は田舎町の青年が謎の死を遂げた、その真相を巡る物語だ。
大半の描写は、この事件そのものではなく、カイアの人生にある。
いかにして家族を失い、いかにして孤独に耐えながら生きてきたか。
その中で二人の男と出会い、そして別れ、その一人がチェイス・アンドリュースだった。
チェイスは殺されたのか。
それとも事故だったのか。
殺人だとして、だれが殺したのか。
最終盤になると、裁判もののになっていく。
第一級の殺人に問われた彼女は、頑なに真相を語ろうとしない。
黙秘し続けた彼女に、弁護士は「彼女が犯行を犯した確証はない」という点で勝負していく。
このあたりはもちろんハラハラするのだが、主題はやはりそこにはない。
この作品は中心と周辺という対立であり、男女という対立でもある。
裁判は結局無罪で終わる。
しかし、カイアの死後、チェイスが身につけていたはずの貝のペンダントを遺品の中から夫のテイトが発見する。
この事実から、この物語が一人の青年の死をめぐるミステリではなく、自然と人間を対立軸とする物語へとパースペクティヴが変容する。
この展開が見事である。
しかも、この変更を大仰にではなく、さらりとさも当たり前家のようにあっさりと描く。
それ以上の深い説明もない。
だが、この描写は物語を一変させるほどの大きなものだ。
自然とともに生きてきたカイアは人間社会になじむことはできない。
いや、多くの人間と交流を持つこともできない。
たった数人の援助者たちと、それより多くの自然の貝や鳥、こけやキノコといった物言わぬ生き物たちとともにいる。
チェイスはその理を乱すものであり、湿地や沼地の異物である。
足を踏み入れてはいけないところに足を踏み入れてしまった男の末路、という言い方もできる。
カイアは自然の摂理に従って生きてきた。
湿地では当たり前のように、弱ければ死に、捕食される。
チェイスはそれを知らずに、人間社会の理でカイアを見つめていた。
野生と理性、自然と人間、摂理と法律、女性と男性、未開と都会という衝突である。
だから、そこには周辺と中心という対立項が浮かび上がってくる。
カイアは誰にも自分の犯行を告げずに死ぬ。
捌かれることを恐れた、というよりは裁かれることはあり得ないのだ。
彼女は人間社会に生きていたのではなく、自然の摂理の中で生きていたのだから。
カイアの人物造形が、ペンダントの事実から、かわいそうな少女から、狡猾な捕食者へと転換する。
終始三人称客観視点で描かれる物語は、「三人称」でしか語り得ない孤独と、同時に同じくらいの気高さを浮き彫りにする。
全編を読み終わると、一人の人生を経験したかのような読後感に襲われる。
この小説が、単なるミステリではなく、読者に何かを残す種類の小説であるということを象徴的に示しているだろう。
カイアは幼少期、母親が家を出て行くのを見た。
そのときいつもの買い物に行くような様子ではなかったことを覚えていた。
次いで、兄と姉が相次いで家を飛び出した。
カイアは酒に溺れる父親とともに、人々が寄りつかない湿地で過ごすことになった。
カイアが24歳になったころ、湿地で一人の若者の死体が発見される。
地元で有名なクオーターバックの選手だったチェイス・アンドリュースは湿地の火の見櫓の下で死んでいた。
事故にも見えたが、彼が櫓に上った時の指紋さえ残されていなかった。
真っ先に疑われたのは、湿地の少女として地元で有名な、カイアだった。
映画公開に合わせて衝動買いして、そのまま読み切った。
もう少し早く読めると思っていたが、サッカーやら日本代表やら、鎌倉殿などがあって遅くなった。
できれば時間を見つけて映画も見に行くつもりである。
2021年の数々の賞を受賞した有名なミステリ小説。
少し前から気になっていたが、手に取ってみた。
今読んでいる本が停滞していたこともある。
▼以下はネタバレあり▼
いわゆる本格的なミステリ小説とは少し毛色が違うかもしれない。
湿地に住む少女の半生を描きながら、その中心は田舎町の青年が謎の死を遂げた、その真相を巡る物語だ。
大半の描写は、この事件そのものではなく、カイアの人生にある。
いかにして家族を失い、いかにして孤独に耐えながら生きてきたか。
その中で二人の男と出会い、そして別れ、その一人がチェイス・アンドリュースだった。
チェイスは殺されたのか。
それとも事故だったのか。
殺人だとして、だれが殺したのか。
最終盤になると、裁判もののになっていく。
第一級の殺人に問われた彼女は、頑なに真相を語ろうとしない。
黙秘し続けた彼女に、弁護士は「彼女が犯行を犯した確証はない」という点で勝負していく。
このあたりはもちろんハラハラするのだが、主題はやはりそこにはない。
この作品は中心と周辺という対立であり、男女という対立でもある。
裁判は結局無罪で終わる。
しかし、カイアの死後、チェイスが身につけていたはずの貝のペンダントを遺品の中から夫のテイトが発見する。
この事実から、この物語が一人の青年の死をめぐるミステリではなく、自然と人間を対立軸とする物語へとパースペクティヴが変容する。
この展開が見事である。
しかも、この変更を大仰にではなく、さらりとさも当たり前家のようにあっさりと描く。
それ以上の深い説明もない。
だが、この描写は物語を一変させるほどの大きなものだ。
自然とともに生きてきたカイアは人間社会になじむことはできない。
いや、多くの人間と交流を持つこともできない。
たった数人の援助者たちと、それより多くの自然の貝や鳥、こけやキノコといった物言わぬ生き物たちとともにいる。
チェイスはその理を乱すものであり、湿地や沼地の異物である。
足を踏み入れてはいけないところに足を踏み入れてしまった男の末路、という言い方もできる。
カイアは自然の摂理に従って生きてきた。
湿地では当たり前のように、弱ければ死に、捕食される。
チェイスはそれを知らずに、人間社会の理でカイアを見つめていた。
野生と理性、自然と人間、摂理と法律、女性と男性、未開と都会という衝突である。
だから、そこには周辺と中心という対立項が浮かび上がってくる。
カイアは誰にも自分の犯行を告げずに死ぬ。
捌かれることを恐れた、というよりは裁かれることはあり得ないのだ。
彼女は人間社会に生きていたのではなく、自然の摂理の中で生きていたのだから。
カイアの人物造形が、ペンダントの事実から、かわいそうな少女から、狡猾な捕食者へと転換する。
終始三人称客観視点で描かれる物語は、「三人称」でしか語り得ない孤独と、同時に同じくらいの気高さを浮き彫りにする。
全編を読み終わると、一人の人生を経験したかのような読後感に襲われる。
この小説が、単なるミステリではなく、読者に何かを残す種類の小説であるということを象徴的に示しているだろう。
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