評価点:51点/2019年/アメリカ/131分
監督:チャド・スタエルスキ
あふれ出るコレジャナイ感。
コンチネンタル・ホテルで殺しをしてしまったジョン・ウィック(あるいはジョナサン、キアヌ・リーブス)は、全世界の闇の組織から命を狙われることになった。
1時間の猶予を与えられる中で、必死にもがこうとするジョンは、かつて誓印と呼ばれる契約を交わした女の元を訪れる。
彼女はソフィア(犬使いことハル・ベリー)といい、コロンビアのコンチネンタル・ホテルの支配人だった。
主席と呼ばれる人間と会うために、彼女とともに幹部を目指すが……。
「ジョン・ウィック」シリーズ第3弾。
すでに第4弾も制作が決定しているという、人気?シリーズ。
前作から直後の物語なので、前作までを見ていないとコメディになってしまう。
そんなあほな、の連続となってしまうだろう。
というわけで、この記事に興味がある人もおそらく前作を見ているはずなので、前作までの2作を見ているなら、3作目もどうぞ、という感じだ。
期待値は低くて良い。
▼以下はネタバレあり▼
このシリーズの最大の見所は、一見すると全く無知序の世界なのに、実は秩序だっていた、というところだ。
一般人は単なる殺人だと思うが、裏の世界から見ると実は明確はヒエラルキーが存在し、そこで粛々とルールに基づいて仕事がこなされていく。
それは、かつてあったと信じていた合理性や、ルールというものがなくなってしまった(信じられなくなってしまった)ことの裏返しであるという言い方もできる。
この作品もまた、その明確なルールが適応された世界として描かれている。
裏の組織から許してもらうためには、それなりの手続きが必要であり、誓いを立てる必要がある。
とても旧態依然だが、それがいい。
私たちはこの映画にリアリティよりも、そういう幻想を抱いていたいわけだから。
だが、この映画で致命的だったのは、前作まであったはずの、必要不可欠な要素が見えなくなってしまっていることだ。
それは、ジョン(いやジョナサンだったか。ジョセフかもしれない。)の闘う理由だ。
彼はいったいなぜあれほどまでに死から逃れる必要があったのか。
劇中で「妻との記憶を留めておきたい」と説明はされている。
だが、それが再び殺し屋をやることなのか、誓印を突きつけて指を失うことなのか。
それが見えてこない。
犬が殺されただけで一つの組織を壊滅させるような、熱さが足りない。
だから、感情移入が難しい。
どこに向かっているのか、どうなりたいのか、その点が見えてこないとただアクションを見せられ続けているような印象を受ける。
コンチネンタルの支配人ウィンストン(マイケル・ダグラスではなくイアン・マクシェーン)の考えもいまいちよくわからない。
ローレンス・フィッシュバーンのバワリーのほうがまだわかりやすい。
謎めいた世界観、わかりにくい組織図の映画なのに、個人の意志がわからないと感情移入しづらい。
私は見ながら眠気眼だった。
とくに、ゼロと呼ばれるわけのわからない日本人もどきとの戦いは何が大義なのかわからない。
もう敵の存在も、闘う目的も、意味不明でそれで熱い戦いが繰り広げられるはずがない。
かくして、この第三作にして、まったく意味不明で支離滅裂な殺戮映画になってしまった。
相変わらずキアヌ様は満身創痍でかわいそうだが、ほとんど見所がない映画になった。
アクションは人間以外(犬や馬)を絡めるという意欲的なところを見せるが、それが中盤に位置するため、残りの展開は蛇足で迫力不足な印象が否めない。
4作目?
まあ、私は見ますけれどね、もちろん。
実は全部コンピューターが作った仮想空間だった、というオチなら、そしてタイトルが「ジョン・ウィック:マトリックス」だったなら、確実に成功すると思うのだが。
監督:チャド・スタエルスキ
あふれ出るコレジャナイ感。
コンチネンタル・ホテルで殺しをしてしまったジョン・ウィック(あるいはジョナサン、キアヌ・リーブス)は、全世界の闇の組織から命を狙われることになった。
1時間の猶予を与えられる中で、必死にもがこうとするジョンは、かつて誓印と呼ばれる契約を交わした女の元を訪れる。
彼女はソフィア(犬使いことハル・ベリー)といい、コロンビアのコンチネンタル・ホテルの支配人だった。
主席と呼ばれる人間と会うために、彼女とともに幹部を目指すが……。
「ジョン・ウィック」シリーズ第3弾。
すでに第4弾も制作が決定しているという、人気?シリーズ。
前作から直後の物語なので、前作までを見ていないとコメディになってしまう。
そんなあほな、の連続となってしまうだろう。
というわけで、この記事に興味がある人もおそらく前作を見ているはずなので、前作までの2作を見ているなら、3作目もどうぞ、という感じだ。
期待値は低くて良い。
▼以下はネタバレあり▼
このシリーズの最大の見所は、一見すると全く無知序の世界なのに、実は秩序だっていた、というところだ。
一般人は単なる殺人だと思うが、裏の世界から見ると実は明確はヒエラルキーが存在し、そこで粛々とルールに基づいて仕事がこなされていく。
それは、かつてあったと信じていた合理性や、ルールというものがなくなってしまった(信じられなくなってしまった)ことの裏返しであるという言い方もできる。
この作品もまた、その明確なルールが適応された世界として描かれている。
裏の組織から許してもらうためには、それなりの手続きが必要であり、誓いを立てる必要がある。
とても旧態依然だが、それがいい。
私たちはこの映画にリアリティよりも、そういう幻想を抱いていたいわけだから。
だが、この映画で致命的だったのは、前作まであったはずの、必要不可欠な要素が見えなくなってしまっていることだ。
それは、ジョン(いやジョナサンだったか。ジョセフかもしれない。)の闘う理由だ。
彼はいったいなぜあれほどまでに死から逃れる必要があったのか。
劇中で「妻との記憶を留めておきたい」と説明はされている。
だが、それが再び殺し屋をやることなのか、誓印を突きつけて指を失うことなのか。
それが見えてこない。
犬が殺されただけで一つの組織を壊滅させるような、熱さが足りない。
だから、感情移入が難しい。
どこに向かっているのか、どうなりたいのか、その点が見えてこないとただアクションを見せられ続けているような印象を受ける。
コンチネンタルの支配人ウィンストン(マイケル・ダグラスではなくイアン・マクシェーン)の考えもいまいちよくわからない。
ローレンス・フィッシュバーンのバワリーのほうがまだわかりやすい。
謎めいた世界観、わかりにくい組織図の映画なのに、個人の意志がわからないと感情移入しづらい。
私は見ながら眠気眼だった。
とくに、ゼロと呼ばれるわけのわからない日本人もどきとの戦いは何が大義なのかわからない。
もう敵の存在も、闘う目的も、意味不明でそれで熱い戦いが繰り広げられるはずがない。
かくして、この第三作にして、まったく意味不明で支離滅裂な殺戮映画になってしまった。
相変わらずキアヌ様は満身創痍でかわいそうだが、ほとんど見所がない映画になった。
アクションは人間以外(犬や馬)を絡めるという意欲的なところを見せるが、それが中盤に位置するため、残りの展開は蛇足で迫力不足な印象が否めない。
4作目?
まあ、私は見ますけれどね、もちろん。
実は全部コンピューターが作った仮想空間だった、というオチなら、そしてタイトルが「ジョン・ウィック:マトリックス」だったなら、確実に成功すると思うのだが。
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