生きのびるために、9歳のエチオピア人少年は、ユダヤ人と偽って、イスラエルへ・・・・。
6月23日、京都シネマにて鑑賞。主人公シュロモはエチオピアのキリスト教徒だった。混乱したエチオピアの村を離れて、スーダンの難民キャンプへ逃れる。しかし、彼は母の機転によって生き延びるためにユダヤ人と偽って、イスラエルに移民することに成功する。実際に、1984年末から85年はじめにかけてイスラエルが秘密裏に行ったモーセ作戦である。これまでに、アフリカ各地でのさまざまな出来事が、映画化されてきた。この作品は生き延びるために、自分を偽ることへの心の葛藤と自分の故郷や母への思いを捨て去る事できない少年の悲しみを描いている。
『物語』1984年、スーダンの難民キャンプにある母子がいた。エチオピア系のユダヤ人だけがイスラエルに脱出できる事を知る。2人はキリスト教徒だったが、母は9歳の息子に「行きなさい生きて、そして何かになるのです。」と命じる。少年はユダヤ人と偽り、悲しみを胸に、イスラエルへのに乗った。イスラエルでは、エチオピアのユダヤ人は“ファラシャ”と呼ばれ、歓迎されるが・・・・。一方で、厳しい移民局の審査を受けるのだ。少年はに怯えながらも、偽りの母ハナの助けで入国を許可“シュロモ”という名をもらう。しかしハナはまもなく病に倒れ、彼を残して逝ってしまうシュロモはヤエルとヨラム夫婦の養子となる。彼らは左派を支持するリベラルな家族だった。大きな愛情を持ってシュロモに接するも、黒人少年への差別は生易しいものではなかった。しかし夫婦はその度立ち向かい、シュロモを守り続けた
ある日、差別に対するファラシャの抗議運動がで報道され、そのリーダーである宗教指導者ケス・アムーラを知る。シュロモはケスに会いに行く。難民キャンプにいる実母に、アムハラ語(エチオピアの言葉)でを書いて欲しいそんなシュロモの心の支えとなってくれたケス。
1989年、シュロモは思春期を迎えていた。サラという女の子の誕生パーティに招待されるが、黒人を嫌うサラの父親に追い返される追いかけてきたサラは2人だけのダンスに誘うシュロモはサラに
シュロモは次第に、養父ヨラムと衝突そんなシュロモに、ヤエルはキブツ(集団農場)行きを勧める。祖父(ヨラムの父)はキブツの創設者だった。しかしここでもシュロモはだった。心配して訪ねてきた祖父は民族や宗教の違いを越え、土地を分かち合い、を学ぶことの大切さを語る。
数年後、シュロモはアフリカの悲惨な状況をテレビで知る。実母を探しに行きたいとケスの打ち明ける。しかしケスはシュロモ自身が生き抜くことが大事だと説得。真実を隠して生きることに苛立ち、荒れるシュロモ。そんな彼をかばうケス。実はケスも家族を失い、この国にやって来たのだ。
やがてシュロモは自分の道を見つけ出したパリで勉強して、医師なることを決意ヨラムは反対したが、ヤエルは息子を励まし、送り出す
世界は動いていた1993年、オスロ合意でイスラエル・パレスチナ和平の道が開かれた。しかし、調印したラビン首相は暗殺される
シュロモはパリで卒業証書を受け取り、帰国しようとしたが、ケスに止められるユダヤ人と偽ったエチオピア人が訴えられて、大きな問題になっていると
シュロモは自らの“祖国”を探すため、イスラエルの軍医となり、戦闘に参加する。
シュロモ(青年時代) シラク・M・サバハ
1981年、エチオピア北部のフリタに生まれる。映画のシュロモと重なる体験をしている。彼はエチオピア系ユダヤ人。91年、10歳の時、イスラエルの移住を求めて家族とともに首都アディス・アベバへの数千キロの道のりを歩いた。その旅で、多くの友人や親戚を失ったアディス・アベバで5ヶ月待機した末、「ソロモン作戦」でイスラエルへ渡る。兵役後、俳優を志す
物語の続きこの戦闘中、アラブ人のこどもを助けようとして、自ら負傷家族の元へ帰る。養母ヤエルは、サラとの結婚を勧める。ケスは真実をサラに告げるように促すも、シュロモはためらう
養母ヤエル・・・・・ヤエル・アベカシス、シュロモを心から愛した母親1967年生まれ、イスラエルの大女優活躍の場はフランス、イタリア等ヨーロッパに広がっている。
養父ヨラム・・・・・ロシュディ・ゼム 1968年、フランス生まれ、両親はモロッコ人。何と、あの「あるいは裏切りという名の犬」に出演していた。この映画で彼の演技が好評を博したそうだ。ちょっと憶えていません
シュロモ(幼年時代)・・・・・モシュ・アガザイ 9歳のシュロモを演じたときは11歳だった。テルアビブ郊外のレホヴォ出身。少年サッカーチームの優秀なフォワード、好き、ラップも大好きな男のこ「シュレック」のロバ、「スターウォーズ」のスカイウォーカー、「E・T」のETなどのボイスキャストで活躍している。
シュロモ(少年時代)・・・・・モシュ・アベベ 1989年、エチオピアの首都、アディス・アベバに生まれる。1984年のモーセ作戦で、祖父・叔父、叔母が先にイスラエルへ渡り、1991年のソロモン作戦で家族揃ってイスラエルに。現在、学生である。
監督ラデュ・ミヘイレアニュ・・・・・1958年、ルーマニアのブカレストで生まれる。80年、チャウシェスク政権のルーマニアから逃れ、フランスに移住。イデック(パリ高等映画学院)在学中から、マルコ・フェレーリ監督の助手を務める。93年に「裏切り」という長編映画でデビューチャウシェスク政権下で生き延びるために、秘密警察に密告した男を描き、モントリオール世界映画祭で4賞を受賞して注目を浴びる
アフリカ、スーダンでの難民キャンプでの出来事も、この作品を鑑賞して初めて知った。エチオピア系ユダヤ人をで移送する作戦があったことやその作戦が「モーセ作戦」ということも、何も知らない。歴史的な背景をもっと深く知る必要があるなと改めて思う。映画を鑑賞できることにラッキー
主人公シュロモは素晴らしい養父母にを受けて育てられても、ユダヤ人でない自分のアイデンティティーに悩み続け、医師を志してパリへ・・・・。十数年の旅の末に、自分の本当の故郷に舞い戻るというのがラストである。実母は主人公のために、逃すが、主人公シュロモにとっては、その土地がどんなにひどい場所でも、忘れられないし、そこで生きたいというのが本音に決まっている。長い旅をして、舞い戻れたシュロモの気持ちがヒシヒシと伝わった。
ラデュ・ミヘイレアニュ監督も、シュロモ同様、祖国を脱出してしている。フランスに渡り、「自分はフランス人」という意識が少しづつ芽生えてきたと。しかしフランス人として必要されないこともあったと語る。体制崩壊後、戻ったルーマニアでは、フランス語なまりのルーマニア語を話すので、「フランス人か?」と言われる。フランス人でもなければ、ルーマニア人でもないのならやはりユダヤ人かも。それならイスラエルに住んでいないのは何故?と聞かれる。自分は一体何者???自分の帰属しているのが何処なのかが分からなくなり、動揺した日々が続いたそうだ。でもある時、ふとしたきっかけで、「この複数のアイデンティティーこそ自分の宝だ」と思うようになったと・・・・・。
同じところで生まれ、そして同じ場所で育った私には理解しがたいのだろうか?ただ育った場所があって、またその場所に戻れるという安心感があるということは何よりも大きいことかもしれない。
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