甲斐バンドの曲を初めて演奏したのは高校時代でした。
当時所属していた吹奏楽部のレパートリーに「HERO」が入っていたのです。
当時ラジオの深夜放送をよく聴いていたのですが、「テレフォン・ノイローゼ」のCMがよく流れていたのを覚えています。
リクエスト番組でもよくオンエアされていたので、彼らの曲はなんとなく知っていた感じでした。
「HERO」は時計メーカーのCMソングに使われ、たちまちオリコン1位の大ヒットとなりました。
これによって甲斐バンドのテレビでの露出も増え、その名は一挙に全国的に認知されるようになりました。
昭和50年代は、ライヴ・ハウス「照和」から巣立った博多出身ミュージシャンの活躍が一時期目立ってましたね。
チューリップをはじめ、サンハウス、アレキサンダー・ラグタイム・バンド、ロッカーズ、ルースターズ、モッズ、海援隊、長淵剛、そしてこの甲斐バンド。
かれらが作ったムーヴメントは「めんたいロック」と呼ばれ、一時はロック・シーンの一大勢力ともなりました。
甲斐バンドは、その「めんたいロック」勢のひとつです。
メジャー・デビュー時には「九州最後のスーパースター」と騒がれたりもしました。
リーダーの甲斐よしひろの存在はまさにカリスマ的。
ファンからの支持は、圧倒的なものでした。
ステージでの一挙一動はとにかくカッコよかった!
そして聴く者の心を直接つかんで揺さぶるような、情感のこもった歌声。
左ききのため上下逆に持ったテレキャスターをかき鳴らしながらしぼり出すように絶唱するその姿、ぼくもシビレたひとりです。
バンドはいったん解散しましたが、近年再結成して活発に活動しているようですね。
甲斐バンドの魅力のひとつに歌詞があげられると思います。
まるで映画の一シーンを見ているかのような、映像的な歌詞なんです。
青春期にいる自分たちの切なさや苦さをリアルに描いてくれていて、共感できるところが大きい。
また、安易にカタカナ語を使わず、吟味したであろう言葉を使っている印象も強く、このあたりも好きなところですね。
『僕らは飛べない鳥じゃなかったはず 翼を広げたらきっと飛べたんだ 君は翼があることを知って恐かったんでしょう(ポップコーンをほおばって)』
『ひきずってきた悲しみを吐き出すかのように~ 生きてきたむなしさを吐き出すかのように 二人とぶように踊り狂った(かりそめのスウィング)』
『悲しき恋の結末に ぬけがらのように僕は傷ついた 火遊びの果てのあれは本気の恋 指環ひとつ残し君は部屋を出ていった(氷のくちびる)』
『しとしと五月雨 わだかまり 君さえいてくれたならば 走る車の泥にたたかれ 見上げた時 街が泣いてた(裏切りの街角)』
歌謡曲とフォークとロックをブレンドしたようなメロディーはどこかレトロな響きがしますね。
「フォークソングや歌謡曲をロックっぽくした」というより、「フォークっぽさ、歌謡曲っぽさが耳につくようでいて、実はそのバックボーンにはまず強烈なロック・スピリットがある」というのが、甲斐バンドに対するぼくのイメージです。
「HERO」以降はチューリップ、オフコースらと並ぶビッグ・ネームとして活躍、驚異的な動員力を誇りました。
1981年に花園ラグビー場で日本初のスタジアム・ライブを行い2万2千人を動員、1983年には新宿副都心の高層ビル街で野外ライブを行って無料観覧者を含め約3万人を動員、1986年の解散ツアーのファイナルでは日本武道館で5日間公演を行うなど、数多くの伝説を作りました。
昭和50年代を席捲した甲斐バンド。
ぼくは熱狂的というほどのファンではありませんでしたが、同世代の人々と同じように、彼らの作る曲とともに青春時代を過ごしました。
「きんぽうげ」
「氷のくちびる」
「ポップコーンをほおばって」
「翼あるもの(甲斐よしひろのソロ作品)」などが、ぼくの大好きな曲です。
◆甲斐バンド
甲斐よしひろ(vocal, guitar 1974~1986、1996、1999~2001)
大森信和(guitar 1974~1986、1996、1999~2001)※2004年7月5日没 享年52歳
長岡和弘(bass 1974~1979)
松藤英男(drums, vocal, guitar 1974~、1996、1999~2001)
田中一郎(guitar 1984~1986、1996、1999~2001)
※甲斐バンドは2007年12月12日に一夜限りの復活。2008年全国ツアーを挙行。2009年には活動再開を発表し、現在に至る。(2021.8.10追記)