♪お気に入りアーティスト50(日本篇その14)
去る4月1日に、元カーナビーツのドラムス兼ヴォーカリストのアイ高野が亡くなりました。
ぼくは、グループサウンズ時代の高野氏のことは記憶にありません。むしろ、藤竜也や草刈正雄らが出演していたテレビ番組「プロハンター」の主題歌「ロンリー・ハート」を歌っていたことのほうが馴染み深いです。
この「ロンリー・ハート」を担当していたグループが、1970年代の日本のロック・シーンに君臨していた「クリエイション」です。

まだまだマイナーな存在だった70年代の日本のロック・シーンをリードし続けたバンドのひとつが「クリエイション」でした。
とくに竹田和夫のギター・プレイは、ジェフ・ベックやジミー・ペイジらのハード・ロック・ギタリストを信奉するぼくの周りのギター小僧たちにも一目置かれるものでした。洋楽のギタリストと並んで、竹田和夫のギターをコピーしていた友人も何人もいました。
当時の日本のロック・ギタリストと言えば、春日博文や森園勝敏、山本恭司、成毛滋、高中正義などが有名でしたが、竹田和夫はブルースを基盤にした切れ味鋭いハードなプレイで、その中でもひときわ存在感を醸し出していました。
ちなみにクリエイションは、サディスティック・ミカ・バンドなどと並ぶ、積極的に世界進出を企図した日本のロック・ミュージシャンの先駆的存在でもありますが、彼らがオーストラリアでツアーを行った際、竹田氏のプレイに驚嘆した聴衆は、竹田氏に「FLASH」のニックネームを奉ったほどです。

クリエイションの曲は英語で歌われる正統的なロックが多いのですが、のちにはメンバーにサックス奏者を入れたりして積極的に新境地の開拓に挑み、シティ・ポップやファンク、フュージョンなどの要素をも巧みに取り込んだ曲も作っています。
当時流行っていたAOR路線をうまく取り込んだのが、彼らの代表曲のひとつでもある「トーキョー・サリー」や、大ヒットした「ロンリー・ハート」などです。
また、郷ひろみなどが出演していたTBS系のTV番組「ムー一族」の主題歌「暗闇のレオ」や、人気プロレスラー、ドリー・ファンクJr.とテリー・ファンクの兄弟(ザ・ファンクス)が入場のテーマ曲として使っていた「スピニング・トー・ホールド」などはフュージョン色が濃いものでした。
「スピニング・トー・ホールド」を聴くと、ブッチャーの繰り出す反則技で血まみれになりながら、最後は逆転勝利を収めるファンク兄弟の熱いファイトを思い出します。

クリエイションが本領を発揮するのは、やはりブルースを基盤にしたハード・ロックにおいてでしょう。
それらの曲は印象的なギター・リフを持ったものが多く、ブリティッシュ・ブルース・ロックの影響が強く感じられます。そのロック・スピリットがいかに強烈だったかは、彼らの音楽性を気に入った、あのクリームのプロデュサーでマウンテンのベーシストだったフェリックス・パパラルディが自ら加入を希望したということでも窺い知ることができますよね。

F・パパラルディ(左)と竹田和夫
クリエイションの曲の中でぼくが好きなのは、マイナー調のバラードとハード・ロックを巧くミックスした「フィーリン・ブルー」、場面展開のドラマティックな「ロンリー・ナイト」、怒涛のハード・ロックにアレンジした「タバコ・ロード」、シティ・ポップとヘヴィ・ロックを組み合わせた「トーキョー・サリー」、クリームやマウンテンにもひけを取らないハード・ロック「シークレット・パワー」などです。
今聴くと、70年代ロックのアナログな雰囲気に満ちていますが、それでも当時の勢いとか、ロックにかけるガッツみたいなものを感じますね。
良質のハード・ロック・アルバムも何枚か作っていますが、全裸の子供を使ったジャケット写真にはまったくタマゲましたね。

『クリエイション』 『ピュア・エレクトリック・ソウル』
メンバーの入れ替わりが激しかったクリエイションは1984年に解散しました。
竹田和夫はその後もブルースをベースにしたロックを追求し続けていて、現在はロサンゼルスで活動を続けています。
竹田和夫は今年1月にはニュー・アルバム「MOCHA」をリリース。また6月から7月にかけては来日し、栃原優二(Bass)、相良宗男(Drums)のメンバーでツアーを行う予定になっています。
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去る4月1日に、元カーナビーツのドラムス兼ヴォーカリストのアイ高野が亡くなりました。
ぼくは、グループサウンズ時代の高野氏のことは記憶にありません。むしろ、藤竜也や草刈正雄らが出演していたテレビ番組「プロハンター」の主題歌「ロンリー・ハート」を歌っていたことのほうが馴染み深いです。
この「ロンリー・ハート」を担当していたグループが、1970年代の日本のロック・シーンに君臨していた「クリエイション」です。

まだまだマイナーな存在だった70年代の日本のロック・シーンをリードし続けたバンドのひとつが「クリエイション」でした。
とくに竹田和夫のギター・プレイは、ジェフ・ベックやジミー・ペイジらのハード・ロック・ギタリストを信奉するぼくの周りのギター小僧たちにも一目置かれるものでした。洋楽のギタリストと並んで、竹田和夫のギターをコピーしていた友人も何人もいました。
当時の日本のロック・ギタリストと言えば、春日博文や森園勝敏、山本恭司、成毛滋、高中正義などが有名でしたが、竹田和夫はブルースを基盤にした切れ味鋭いハードなプレイで、その中でもひときわ存在感を醸し出していました。
ちなみにクリエイションは、サディスティック・ミカ・バンドなどと並ぶ、積極的に世界進出を企図した日本のロック・ミュージシャンの先駆的存在でもありますが、彼らがオーストラリアでツアーを行った際、竹田氏のプレイに驚嘆した聴衆は、竹田氏に「FLASH」のニックネームを奉ったほどです。

クリエイションの曲は英語で歌われる正統的なロックが多いのですが、のちにはメンバーにサックス奏者を入れたりして積極的に新境地の開拓に挑み、シティ・ポップやファンク、フュージョンなどの要素をも巧みに取り込んだ曲も作っています。
当時流行っていたAOR路線をうまく取り込んだのが、彼らの代表曲のひとつでもある「トーキョー・サリー」や、大ヒットした「ロンリー・ハート」などです。
また、郷ひろみなどが出演していたTBS系のTV番組「ムー一族」の主題歌「暗闇のレオ」や、人気プロレスラー、ドリー・ファンクJr.とテリー・ファンクの兄弟(ザ・ファンクス)が入場のテーマ曲として使っていた「スピニング・トー・ホールド」などはフュージョン色が濃いものでした。
「スピニング・トー・ホールド」を聴くと、ブッチャーの繰り出す反則技で血まみれになりながら、最後は逆転勝利を収めるファンク兄弟の熱いファイトを思い出します。

クリエイションが本領を発揮するのは、やはりブルースを基盤にしたハード・ロックにおいてでしょう。
それらの曲は印象的なギター・リフを持ったものが多く、ブリティッシュ・ブルース・ロックの影響が強く感じられます。そのロック・スピリットがいかに強烈だったかは、彼らの音楽性を気に入った、あのクリームのプロデュサーでマウンテンのベーシストだったフェリックス・パパラルディが自ら加入を希望したということでも窺い知ることができますよね。

F・パパラルディ(左)と竹田和夫
クリエイションの曲の中でぼくが好きなのは、マイナー調のバラードとハード・ロックを巧くミックスした「フィーリン・ブルー」、場面展開のドラマティックな「ロンリー・ナイト」、怒涛のハード・ロックにアレンジした「タバコ・ロード」、シティ・ポップとヘヴィ・ロックを組み合わせた「トーキョー・サリー」、クリームやマウンテンにもひけを取らないハード・ロック「シークレット・パワー」などです。
今聴くと、70年代ロックのアナログな雰囲気に満ちていますが、それでも当時の勢いとか、ロックにかけるガッツみたいなものを感じますね。
良質のハード・ロック・アルバムも何枚か作っていますが、全裸の子供を使ったジャケット写真にはまったくタマゲましたね。


『クリエイション』 『ピュア・エレクトリック・ソウル』
メンバーの入れ替わりが激しかったクリエイションは1984年に解散しました。
竹田和夫はその後もブルースをベースにしたロックを追求し続けていて、現在はロサンゼルスで活動を続けています。
竹田和夫は今年1月にはニュー・アルバム「MOCHA」をリリース。また6月から7月にかけては来日し、栃原優二(Bass)、相良宗男(Drums)のメンバーでツアーを行う予定になっています。
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