
人が社会で、実際に生きていくために必要なことは、0パーセントか100パーセントか、どちらかを決めることではなく、シロでもクロでもないグレーゾーンに納まることに納得できるかです。
つまり、理想はあくまで理想であり、理想と現実の間に一致点を見いださざるをえないこともあると知っていることが、おとなには求められます。
ところが、思春期の子どもの特徴は、理想を追い求めるあまり、0か100かを決めたがる傾向があります。そこで親と対立することがよくあります。三中生も例外ではありません。
息子:「ぜったい、来週の日曜日は,サッカーの試合を観にいくからね」
母:「なに言っているのよ。月曜日から中間テストでしょ。勉強はどうするの。絶対ダメよ」
息子:「ぜったい、ムリ!」
(いらだって、感情的になり)
母:「この前のテスト、何点だったと思っているの。中間をがんばらないと、そんなひどい点ではいく高校はないのよ」・・・・
これでは、子どもからの「挑発」に完全に乗ってしまっています。親も子どもも「勝つか負けるか」の言い合いになります。
親には、ここで甘い顔をすると子どもになめられる、という気持ちが働くこともあるでしょう。
思春期の子どもに親が教えること。それは妥協点を見いだすことです。
車と車が狭い通路で行きちがうとき、「われこそが」で侵入すると、うまくすり抜けることができません。まして、お互いがスピードをあげると車同士の衝突が起こります。
親自身も子どもも、「勝つか、負けるか」を競うのではなく、「譲る(ゆずる)」ことが、おたがいに必要になります。
母:「いくらなんでも、次の日がテストなのに、1日中試合を見に行くのはダメね。せめて午前中だけにするとか、土曜日の勉強をしっかりするとかできないの」
息子:「じゃあ、いちばん観たい試合は午後やから、土曜日しっかり勉強して、日曜日は午後だけ試合を見に行くよ」
母にしてみれば、土日の両方とも勉強して欲しいわけですが、日曜の午後は譲りました。
息子にしてみれば、日曜の午前は仕方ないと、妥協しました。そして二人の間には、ある程度の納得感が残っています。
一般的に、思春期の子どもは,理想を求め、曖昧さを嫌います。しかし社会に出ると、ガマンしたり、自己の主張を引っ込めたりすることも、場合に求められるのです。このことを教えるのは、親の役割でもあるのです。