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コミュニケーションとは、話すことと聞くことの、両方を指します。
これは当たり前のことなのですが、私たちはつい忘れがちになり、とかく話すことに注意をむけます。
声を発して、話すことに意識が向きすぎるのです。意思表示の声や言葉をいくら出したところで、相手の言うことを聴かなければ、その声や言葉は拡散し、消えてしまいます。
とくにスポーツでは、コミュニケーションの良し悪しが直接あらわれます。
相手がいかに的確な指示を声にして出していても、聴かなければ会話は成り立ちません。
誰にも届かない声を出し続けることほど、話し手にとってつらいことはありません。
これがスポーツの試合中の監督やコーチなら、やがて声を出すのがイヤになり、結果的にパスが通らなくなり、プレーが停滞して、チームの調子は上がらなくなります。
また、選手と選手の間での声かけも同じです。指導者は「声を出せ」といいますが、選手のなかに、聴き合う関係がなければ、声の出し方も形だけになり、「出しておけばいい」という声出しになってしまいます。
とくに球技の団体スポーツでは、コミュニケーションの柔軟性が大切です。誰かに届けたいという声と、それを待ち構えている聴き手。言葉とボールをやりとりしながらパスをつなぐ種目では、とくに重要です。
コーチや監督、顧問の中には常に尖った声で指示を出す人がいますが、そういう声出しはいまや、役に立ちません。