箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

聴くがあり、発するがある

2016年02月17日 18時52分35秒 | 教育・子育てあれこれ


コミュニケーションとは、話すことと聞くことの、両方を指します。

これは当たり前のことなのですが、私たちはつい忘れがちになり、とかく話すことに注意をむけます。

声を発して、話すことに意識が向きすぎるのです。意思表示の声や言葉をいくら出したところで、相手の言うことを聴かなければ、その声や言葉は拡散し、消えてしまいます。

とくにスポーツでは、コミュニケーションの良し悪しが直接あらわれます。
相手がいかに的確な指示を声にして出していても、聴かなければ会話は成り立ちません。

誰にも届かない声を出し続けることほど、話し手にとってつらいことはありません。

これがスポーツの試合中の監督やコーチなら、やがて声を出すのがイヤになり、結果的にパスが通らなくなり、プレーが停滞して、チームの調子は上がらなくなります。

また、選手と選手の間での声かけも同じです。指導者は「声を出せ」といいますが、選手のなかに、聴き合う関係がなければ、声の出し方も形だけになり、「出しておけばいい」という声出しになってしまいます。

とくに球技の団体スポーツでは、コミュニケーションの柔軟性が大切です。誰かに届けたいという声と、それを待ち構えている聴き手。言葉とボールをやりとりしながらパスをつなぐ種目では、とくに重要です。

コーチや監督、顧問の中には常に尖った声で指示を出す人がいますが、そういう声出しはいまや、役に立ちません。