箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

完全でないことに意味がある

2025年02月14日 06時43分00秒 | 教育・子育てあれこれ
イチロー選手が、このたびアメリカ野球殿堂入りを果たしました。

日米野球の話題は、最近では大谷翔平選手の話題がほとんどでしたので、イチロー選手が再度輝きを放ち、スマッシュ・ヒットのお知らせにうれしくなりました。

満票にならなかったことにこだわるメディアは、「意地悪な」質問を、ご本人にインタビューでぶつけていました。

そのときの、イチロー選手の返しがとてもよいと思い、これもスマッシュ・ヒットでした。


「不完全であるのはいいなって。生きていくうえで不完全だから、進もうとするわけで、そういうものを改めて考えさせられるというか。見つめ合える、向き合えるというのは良かったなと思います」
と語っていました。


さて今の時代は大人も子どもも、「自分のことを認めてほしい、わかってほしい」というヒリヒリとした気持ちでいる人が増えています。

「周りの人が認めてくれないから、やる気がでない」とつぶやく人がいます。

そのような声は、とくに若い世代から聞くことが多くあります。



それだけ、自己が未確立といってしまえばそれまでです。


しかし努力しても完璧な結果がでなかったり、評価されなかったりすることが多い、今の社会の厳しさでは、無理もないことだと思います。


ただし、私たちはそれでも努力することの大切さを思わなければなりません。


また、病気やけがをして思い通りのことができないという壁にぶつかったりしたとき、そのとき自分ができることに目を向け、諦めずに少しずつ不完全を埋めるように進むことが自分の力になります。


不完全はよくないようですが、完全でないつらさを知り、進むことは人を成長させていくものだと思います。


逆の見方をすれば、スラスラできてしまうことばかりしていればいつも完全な気分を味わえるのかもしれない。


でも、不完全であるということは困難なことにチャレンジを続けていることを意味しているのです。



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