箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

「公共の福祉」とは

2019年09月28日 11時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ






昨日は、箕面三中で、6限に3年生全クラスを対象にした研究授業がありました。

私は3年C組の社会の授業を参観してきました。

「人権と人権が衝突したとき、どのようなことに留意して対処するべきか」を考えるのが、学習のねらいでした。

日本国憲法第13条【個人の尊重、幸福追求権・公共の福祉】すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

「公共の福祉」に関する具体的な事例が、授業者から生徒に出されました。

ある町では、バイパスの建設計画が持ち上がりました。バイパスを通すと、毎日起きている交通渋滞が解消されます。
しかし、建設予定地には25世帯が暮らしており、立ち退きを要求されています。
うち20軒は40年以上そこで暮らしています。また5軒は農業をしており、農地が建設予定地に含まれています。その5軒は農業で収入を得ています。こういう事情で、25軒はバイパス建設に反対しています。

さて、あなたは立ち退きに賛成か反対か、また理由を述べなさい。

これを一人で考えたり、周りの生徒同士で意見を交流したり、グループでどう対処すべきかを考えました。

生徒たちは、熱心に考えて、意見交換をしていました。

授業者も、効果的な教材を用意して、生徒たちが深く考えるようなサポートをしたいました。

立ち退きしてもらわなくても済むように、バイパスを立体化して、予定地の上を通すとか、地下を通すとかと、考えたグループもありました。

また、十分な補償金を払い、立ち退いてもらうと考えたグループもありました。

私の考えは、次の通りです。

「公共の福祉」によって人権が制限されるというと、「多数の人の利益になるときには、少数の人は我慢すべきだ」と考えがちです。

しかし、それはつき進めると、個人よりは公共の利益が優先することになり、個人を尊重する理念(憲法第13条「すべて国民は個人として尊重される」)とあわなくなります。

したがって、個人の人権を制限できるものは、別の個人の人権でなければならないのです。

決して「国のために」とか「地域全体のために」少数の人に我慢させるのではなく、個人の具体的な幸福を考えた議論をしなければならない。

私は、基本的にこのように考えます。

「公共の福祉」とは、すべての人の人権がバランスをもって保障されるように、人権と人権の衝突を調整する概念です。

その意味で、「公共の福祉」による人権の制限を考えるときには、「誰のどのような利益を守るために人権を制限するのか」と具体的に考えるべきだと思います。

人権侵害は、常に多数派(マジョリティ)が少数派(マイノリティ)の人権を侵害することにより起こるのです。

この観点で、本日の授業で、もし生徒が「地域のみんなのために」バイパスを建設する前提で25世帯の人びとに我慢を強いらせるという発想でいたのなら、「公共の福祉」を濫用することになります。

本日の学習のめあて「人権と人権が対立したとき、何に注意して対処すればいいか」の行きつくところは、個人として誰もが幸福な暮らしをするという観点で、どう折り合いをつけるかという自分なりの考えをもってくれればいいと考えます。








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