最近は、ネット上には、さまざまな意見や感想、ものごとの見方が書き込まれています。
そのなかには、人を攻撃したり、客観的にみて悪意があるのではないかとも思える言説があったりします。
そして、その書き込みは「言論の自由です」という考え方を後ろ盾にしています。
事実を誤って捉えていたり、偏見に満ちている、デマでも、空論であっても、人はそれらを自由に言うことができるということが「言論の自由」である。
しかし、これは言論の自由を誤って解釈しているのでないかと、思われます。
「言論の自由」とは、そんな浅はかな概念ではないのです。
言論が行き交う場で、その場が言論を審査して、それに耐える考えや意見、言葉が後の時代にもずっと残っていくという原理を信じる環境の中で、責任をもって発言する自由のことだと、私は思います。
その審査を受ける覚悟で、人は言論する自由があるのです。
人を傷つけたり、攻撃したり、聞くに耐えないようなヘイト言説やデタラメな誤認情報を、「言論の自由」だと、何を言ってもいいなんてことはないのです。
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