
グローバル時代のキーワードは多様性の尊重です。
多様性はダイバシティであり、外国人と交流したり、いっしょに暮らしていくとき、おたがいのちがいを認めあうという意味で使われます。
学校教育の中では、とくに在日外国人教育の分野で、「ちがいを豊かさに」というキャッチフレーズで、人権教育の実践を重ねてきました。
今では、個人の考え方や行動様式をその国のわく組みに押し込めず、それぞれを尊重しあう社会をつくっていこうという流れになっています。
この流れを受けて、SDGs(持続可能な開発目標)の主軸として、国連でも2015年あたりから多様性を推奨しています。
多様性はとても大切な概念ですが、日本ではともすれば人と人を分断してしまう危険性をもっていると、わたしは考えます。
他者を尊重するために、相手に踏み込まないでおこうとする態度につながるからです。
多様性があるから、いろいろな人がいる。自分とちがう考えをする人にも「いろいろな人がいるんだから」と話しあうことをやめる日本人は多いのではないでしょうか。
それでも、いっしょに活動したり、暮らしていかなければならないのなら、そこには「ガマン」が必要になります。
つまり、日本人が多様性尊重というとき、多くの場合、「ガマン」がついてまわるのです。
しかし、世界でいう多様性尊重は「ガマン」ではないのです。
考え方や行動の仕方がちがうと、話し合います。深掘りして議論をします。
これが日本人との決定的な差です。
おたがいが話し合って、どちらもが納得できる合意を見つけようとします。
合意形成のうえに、共に暮らしていく道すじができるのです。
ガマンを続けるとどうなるのでしょうか。
いつかは爆発してキレます。
みんながやっていることをなぜやらないのだ!
新型コロナウイルス対策で、「自粛警察」がはやったことから考えても、枠組みから外れる人に容赦のない攻撃へと転じる可能性があります。
昨今のSNSでの「炎上」のように、「許せない」という「正義感」が集中的に現れるのです。
違った考え方や感覚、行動をする人を叩くことになります。
これでは多様性を尊重して共生をめざすどころか、かえって分断化が進みます。
次回のブログでは続きを書きます。