兵庫県のJR尼崎駅脱線事故から、今年の4月で16年になります。
運転士は時間通りに次の駅に着くため、必死になって猛スピードを出した結果として起きた事故でした。
脱線した電車は、多くの人びとの尊い生命を奪いました。
この事故は、「ノルマ」をこなすことによる無理が引き起こした悲惨な事件でした。
ここで、学校教育に目を向けてみます。
親が子に対して、教員が児童生徒に対して、校長が教職員に対して、教育行政が学校に対して、「ノルマ」を強いていないでしょうか。
「1日に3時間勉強しなさい」(親→子ども)
「給食は残さずに全部食べなさい」(教員→児童生徒)
「学年の保護者向け通信を週に1回はかならず出しなさい」(校長→教職員)
「学校が休校の間、授業動画を毎日家庭へ配信しなさい」(教育行政→学校)
「こうしなさい」と義務づけたり、指示したり、命令したりするもののなかには、必要なものも多くあります。そこには、「子どものために」という前提があるのです。
しかし、それがいきすぎて「ノルマ」になってしまうと、様々なところで不協和音が出たりして行き詰まってきます。
「ノルマ」では、誰も幸せにはなれません。
学校には「児童生徒を育てる」という役割がありますが、「児童生徒が育つ学校」に変えていくことは、今の時代、とても大切です。
この点で、思い出したいのは、教育は児童生徒の力を伸ばす活動であるが「ノルマ」を課すことではないのです。
教育は児童生徒の力を引き出す活動であるということを、あらためてすべての人が心得ておきたいところです。
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