箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

どこか悲しい音がする

2020年07月20日 08時10分00秒 | エッセイ

最近は、新型コロナウイルス感染防止のため、外で懇親会や飲み会をしたとしても、少人数であまり長時間にならないように、なごやかに楽しむ人が多いのではないでしょうか。

「では、さようなら」と解散して、すぐに自宅に引き上げる人がいます。

そんな場面で思い出すのが、夏目漱石の名作『吾輩は猫である』です。

苦沙弥(くしゃみ)先生のところに、仲間たちが集まりとりとめのない話で、場がなごやかに盛り上がります。

そこへ多々良三平はビールをもって参上します。三平は結婚が決まって、みんなが祝う。

そして、おひらきになり、みんなが「では、これで・・・」とか「なら、おれも・・・」と、次々と帰っていきます。

そして、急に場はさみしくなりました。

この様子を終始眺めていた猫がつぶやくのです。

「呑気(のんき)と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする」

100年以上前に書かれた小説ですが、いまのコロナの時代や大きな自然災害多発時代に重なる人びとの心情を、猫がうまく言いあてており、この言葉はいま俄然輝きを増します。

今の時代、みんなが心の底では漠然とした不安を抱えているのではないでしょうか。

仕事がなくなるのではないか。
感染したらどうしよう。
病気になるのではないか。
大きな自然災害に見舞われるのではないか。
大雨で家が流されたらどうしよう。
大きな地震がくるかも。
家族が元気で暮らせるだろうか。
年金だけでは、この先生活していけないな。
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また、人といるときはつかの間の楽しみがあるが、群れから離れてひとりになると、どことなく孤独でさみしい気持ちになる。

孤独になると、人の関心は他者ではなく、自分に向くのです。

このように猫が客観的に人間を見ているのです。いわば人間の存在そのものを言い当てているようにも思います。

不安をどことなく感じながらも、人は生きていくのかもしれません。


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