人の生活場面は一つではありません。
大人には、ふつう仕事の場面があり、私生活があり、家庭がある人も多くいます。
そして、それぞれが独立して、完結しているというわけではないのです。
家庭の心配事があれば、仕事をしていてもそれが気になります。
それをなんとかやりくりしておりあいをつけ、仕事に没頭しています。
しかし、仕事の場面でも、フッと息をついたとき、家庭のことを思い出します。
つまり、公的な業務中でも、人はプライベートなことがらを引きずっているのです。
まして、子どもの場合は、なかなか簡単に切り替えができるものではありません。
学校にいるからといって、家庭のことは切り離しているという子どもはあまりいないのでしょう。
そして、家庭での気になること、心配事、不安に感じていることがある児童生徒は、学校にいても、何か落ち着きがなかったりして、様子がいつもと異なるものです。
また、家庭の問題でなくても、学校での友人関係がうまくいっていない児童生徒は、授業中の様子がいつもとちがって、集中できなかったりします。
このように、児童生徒の学校でのしぐさや言動、様子がいつもと違う場合は、なんらかの背景があるのです。
小さな胸にその背景をしまいみ、引きずったりして、今日一日学校でがんばろうとしているのです。
だとするならば、教師は児童生徒の心に灯りをともせる人でないと務まりません。
落ち込んだ気持ち、不安に押しつぶされそうな気持ち、ともすればあきらめてしまいそうな気持ち、そのような気持ちや後ろ向きになってしまいそうな感情をキャッチして、教師はすべて引き受けます。
そして、今日一日がんばろうと、児童生徒の心に灯りを灯せる人が教師であるべきです。
中学校までの9年間で、そんな教師に一人でも出会えた子は幸せだと思うのです。
中学校までの9年間で、そんな教師に一人でも出会えた子は幸せだと思うのです。
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