私が現役の教員だった頃、また管理職だった頃、PTAは学校にはなくてはならない保護者組織でした。
地域に開かれた学校づくりに邁進していたころは、地域の人びと学校のつながりと地域の保護者と学校のつながりはセットになり、子どもの豊かな成長を育むためになくてはならないものでした。
実際に、保護者の人たちと意気投合して、保護者と中学生が交流する学校行事を進めてきました。
子どもはおとなとの交流で、人として大きく成長するという考えが、根っこにありました。
PTAが発行する広報誌づくりにも長年かかわりました。
ただ、その一方で、PTAの委員や役員になると、何度も学校は足を運ばなければならないという負担感をもつ保護者も少なくはなかったのが全国的な状況でした。
それとともに、「その学校の保護者になると、自動的にPTA会員になり、PTA会費を支払う。それって、おかしんじゃない」という考えをいだく保護者の方も現れました。
そして、会員になることを拒否する人も、おもに最初は関東圏を中心に散見されるようになったのです。
そして、最近では都道府県単位で、PTA解散をきめたところもあります。
そもそも、PTAという組織は、学校単位のPTAがどこの学校にもあり、市町村単位で「市P」があります。
その上部組織として、都道府県単位の「県P・府P」などかあります。
その上部には「近畿ブロックP」があり、最後は「日P」という全国組織がとりまとめていました。
そういう大きな組織として発展してきた歴史の背景には、第二次世界対戦の戦後復興の中で、栄養失調になっている子どもが多く、PTAが学校施設や学校環境を整備するという使命を背負って発展してきたたいう経過があります。
しかし、戦後復興を遠い昔に果たした日本では、PTA無用論が生まれ、会員拒否をする保護者が現れてきて、現在に至っています。
このままでは、PTAを解散する学校や自治体が増える可能性もあります。
大切なのは、保護者同士がつながるしくみ、保護者と学校がつながるしくみをどうしていくかということです。
また、「子どものために」と活動を惜しまない保護者も実際にいます。
今後は、もっと小さい組織でもいいので、保護者が自由に参加でき、学校のために、子どもなために活動しようと思えばできる、サークル的活動が学校単位でできる組織に変革していくべきでしょう。
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