2001年6月8日、ちょうど20年前の今日、大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校で児童殺傷事件がありました。
包丁をもった男が侵入し、次々と児童に襲いかかり、8名もの児童と教職員の大切な命が奪われました。
この衝撃的で悲しく痛ましい事件を契機に、6月8日を「学校の安全確保・安全管理の日」と設定したのでした。
当時の大阪府の学校では、地域に開かれた学校づくりを進めていましたが、この事件のあと、校門を常時閉めるのと開かれた学校づくりは別物という考えから、校門は常時閉めるようになり、現在に至っています。
大阪府各自治体のなかには、予算をつけおもに小学校の正門に警備員を配置するようになった学校もあります。
また、学校では定期的に危機管理の避難訓練を行うことも定着しています。
その危機管理の避難訓練は「不審者対応の訓練」という名称がついています。
ただ、わたしは「不審者」という言葉をつかうとき、いまでも一抹の違和感を覚えます。
これほどの大きな事件であり、児童の被害が出たのだから、「知らない人を見たら不審者と思え」という教えは行きすぎではないほどに思います。
ただ、「不審者」というとき、たとえば日本に住む外国人の知らない人は不審者として扱われ、何をするかわからない人、犯罪を起こすのは外国人が多いというきめつけにつながることに危惧をもちます。
だから私自身は、言うときには「いわゆる不審者」、書くときにはかぎ括弧をつけて「不審者」と表記します。
今の時代、人と人との関係が疎遠になり、人間同士のつながりが薄くなってきています。
人間同士のつながりやその温かさを、子どもに教えるのが学校の役割です。学校は、教育活動のため、保護者や地域の人が出入りする、人が人と出会う「交差点」です。
開かれた学校と校門を閉めることは、本来は、相反するものではないはずです。
大切なのは、学校生活の具体的な場面で、校舎内に知らない人が入ってきたとき、「こんにちは、職員室へのご用件ですか」などと、教職員から声をかけることです。
そのかけ声がないと、学外の人がスルーして、校舎内に入り込む余地をつくります。
開かれた学校づくりの核心とは、多忙な教職員であっても、学外からの来訪者に心を開き、一声かけることから始まると、私は思うのです。
開かれた学校と校門を閉めることは、本来は、相反するものではないはずです。
大切なのは、学校生活の具体的な場面で、校舎内に知らない人が入ってきたとき、「こんにちは、職員室へのご用件ですか」などと、教職員から声をかけることです。
そのかけ声がないと、学外の人がスルーして、校舎内に入り込む余地をつくります。
開かれた学校づくりの核心とは、多忙な教職員であっても、学外からの来訪者に心を開き、一声かけることから始まると、私は思うのです。
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