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少し前まで、「リア充」という言葉がよく言われました。
いまでも、その言葉はよく使われます。
現実世界が充実しているようすを表します。
家族は仲が良く、友だちは信頼でき、パートナーは理解してくれる。今わたしはリア充かな。
こんなふうに、使われる言葉です。
ただ、最近では「ソロ充」という言葉も聞くようになりました。
今日はひとり旅で、おいしいディナーをたべることができた。
ホテルの部屋はきれいで、ソロ充を満喫した。
このように、ネットに書き込んだりします。
ひとり旅行、ひとり焼肉、「おひとりさま」など、今の時代は集団でいるかどうかは充実に必要な条件ではなくなってきていると思われます。
集団の規範や同調性から解放されたソロ充は、むしろ個人として幸せ感を追求することを肯定しているとも考えられます。
とくに、最近のコロナ禍で人との接触を避けることの勧めがソロ充の肯定を後押ししたとも言えます。
産業界は、その変化を敏感にキャッチして、「ひとりでもいける」という価値観を商品化しているのです。
ただ、「充実」という感覚は多分に主観的なものです。
その人が「充実している」と感じるなら、他者がそう思わなくても充実なのです。
その一方で、人は他者とつながり生きていくというのは、今回の能登半島地震でも揺るぎない価値として引き継がれています。
価値観が多様化する時代を、私たちいま生きているのだと思います。
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