箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

感染症についての学校での学習

2020年11月15日 08時48分00秒 | 教育・子育てあれこれ

いま、学校では児童生徒に新型コロナウイルス感染症に正しい理解を促す学習が始まっています。

これは、日本で新型コロナウイルス感染症患者や医療従事者等への偏見・差別が広がり、深刻な状況になったという背景を踏まえています。



学校では以前は、人にうつる病気を「伝染病」と呼び、校内でもこの用語が使われていましたが、いまでは「感染症」という言葉を使います。

これは、1999年に伝染病予防法にかわって、感染症法が施行されたからです。

伝染病予防法の時代には、日本の医療体制はまだ不十分で、伝染病が大規模に起こる可能性がありました。

そのため、伝染病予防法は、「隔離」(患者をほかの人びとから切り離す)ことに重点が置かれていました。

ところが、医療が進歩し、衛生水準が大きく向上しました。また航空機で早く多人数の人が移動する状況が生まれ、海外から感染症が入ってくる可能性が高まったいま、感染症対策の必要性が高まったためです。

さらに、国内でハンセン病やエイズへの対応で差別が起きた歴史を顧みて、人権尊重を感染症法の前文に盛り込んだのでした。

しかし、今回、新型コロナウイルス患者や医療関係者などがバッシングされました。
それは、今回新型コロナウイルスに対する対応の中心が「隔離」であったからでしょう。

そもそも、感染症は、人と人の動きを完全に止めない限り、拡大を防ぐことはできないのです。

でも、現代社会ではそれは不可能なことで、だれもが感染する可能性があるということが前提となります。

それなのに、隔離という対応を中心とする限り、感染症にかかるのは悪いことだというイメージが広がり、今回の差別を生み出す原因の一つになりましあ。

したがって、学校で新型コロナウイルスに伴う差別を防止する教育を行うときには、だれもがかかる可能性があり、最新の状況では、適切な既存の薬を使うと重症化しにくい感染症であることを、正しく児童生徒が理解できるような学習が必要です。

恐れるべきこととそうでないことを、大人が正しく理解して、学校での児童生徒の学習を行うようにしなければなりません。

写真がもつ力 〜七五三に寄せて〜

2020年11月14日 07時50分00秒 | 教育・子育てあれこれ
この週末は七五三です。

今年は新型コロナウイルス感染が広がり、わが子の健やかな成長を願う親の気持ちは、より一層高まるでしょう。

今年の七五三は、ふるさとの祖父母が参加できず、子どもと親だけというお参りもあるかと思います。

そんな場合には、記念撮影をした写真を見るだけでも、祖父母にとっては嬉しいものです。

「浅田家」の映画を見ました。


東北地震で、家を流されたり、家族を失った人が、泥にまみれた写真が、丁寧に水洗いされ、展示している中から、家族といっしょに写っている写真を見つけます。

大切に持ち帰るシーンが出てきました。

映画のなかに、次のセリフがありました。

「ときには、その写真がいまを生きる力になる」


ほんとうにその通りだと思います。

デジタルの写真データもいいですが、写真用紙にプリントしたスナップ写真も貴重なものです。

記念撮影の思い出は、いつまでも残り、子どもは成長の節目で写真を見て、家族の愛を感じるのです。

写真の力をあらためて、感じます。


多様性の街 大阪

2020年11月13日 08時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ
大阪はひとことで言うと、雑多で、多様な街です。

人びとのものの見方は画一ではなく、さまざまな考え方をします。

「もったいない」と言う人もいれば、「ケチってどないするねん」と言う人もいます。

東京から来た人が地下鉄を降りて地上に出ると雨が降っていました。

見ず知らずのおばちゃんが近づいてきて、「ねえちゃん、このカサをもっていき」。
手には100均のカサを数本もっています。

東京ではこんなことは絶対ない、となるのが大阪です。

社会属性も多様に広がっています。

西成のおっちゃんもいれば、在日コリアンも共に生きている街です。

大阪北部の中学生はこじんまりとまとまった、きれいなハーモニーで合唱しますが、南部の生徒は、やたらと大きな声で歌います。
(これは、だんじり祭の文化の影響かもしれません。)

もちろん、「どこどこの県民はみんなこんな特性をもつ」というきめつけはよくないです。

あくまで、大阪に広く見られる傾向を、わたしは述べています。

ボケとツッコミを、このうえない楽しみにしている人もいます。

阪神ファンばかりかと思えば、確固たる巨人ファンがいます。


それぞれの人が本音ではどう思っているかはわかりませんが、少なくとも自分とちがう人をとことんやり込めたりはしない。

それが、大阪のよさです。

JR環状線で言えば、一駅離れると街の様子がガラッと変わります。

最近しゃれたお店が増えた「福島」界隈があるかと思えば、「鶴橋」のような飲み屋や焼肉店の風景が広がります。「天王寺」のような庶民の街があります。

その大阪で、人びとは多様性を認めるコミュニケーションをとっています。

相手に対して寛容で、それぞれの街のもちあじをいかして、全体として多様性を発揮しているのが、大阪という街です。

そんな大阪には、行政のトップダウンはなじまないのです。

大阪都構想が実現しないのは、「意に沿わないものは敵だ」とばかりに、やたら対立し、分断をはかるやり方に、大阪市民はNO!という答えを示したのかもしれません。

生徒たちにも考えさせたいことがあります。

大阪がそうであるように、私たちは人との関係の中で生きています。

どこで生まれ、どんな人と出会い、どういう思いをもち暮らしているのか。

それを理解したとき、「地域」が見えてきます。

学校が地域とつながり、いっしょに子どもを育むことの大切さが言われて久しくなります。

それぞれの生徒が「わたし」をかたちづくってきた街を見れば、環境や境遇の異なる者同士が重なり合い生きていることに気づくでしょう。

外国につながる人も増えています。

障害のある人も暮らしています。

共生社会にいちばんふさわしいのは、大阪という街であるのです。

音色が心を表す

2020年11月12日 08時02分00秒 | 教育・子育てあれこれ
校長を務めていた頃、校長室に吹奏楽部の部員が吹く楽器の音がときどき聞こえてきました。

窓越しに音楽室のベランダを見ると、同じ生徒がフルートを吹いています。

同じ曲を吹いているのに、日によって私にはちがう生徒が吹いているように聴こえたことがあります。

ときには楽しく流れるような音色に聴こえました。

でも、別の日には、何か悲しそうなよどんだ音色に聴こえたこともありました。

私は、楽器の音色は、演奏する生徒のそのときどきの心を表しているように思いました。

つまり、「楽器が演奏者の心を語る」のです。

だれにでも、人には見えない悲しみやつらさ、喜びや楽しみがあります。

演奏者が奏でる音色と心の模様が、聴く人の気持ちと合わさった時、共鳴しあうのだと思います。

educator(教育者)ホワイトハウスに入る

2020年11月11日 08時20分00秒 | 教育・子育てあれこれ
2020年11月7日、アメリカ大統領候補のバイデン氏が、勝利演説をしました。

そのスピーチの中で、とくに私の印象に残った部分を引用します。

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Jill's a mom - a military mom - and an educator.
She has dedicated her life to education, but teaching isn't just what she does - it's who she is.

For America's educators, this is a great day: You're going to have one of your own in the White House, and Jill is going to make a great First Lady.


ジル(妻)は軍人の子をもつ母親であり、教育者でもある。
彼女は、教育に人生を捧げてきた。

彼女にとって、教えることはただの仕事ではなく、人生そのものだ。

アメリカのすべての教育者にとって、今日はすばらしい日だ。
教育者がホワイトハウス入りする。ジルは素敵なファーストレディになる。とても誇りに思う。

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妻であるジルについて、educator(教育者)であることを取り上げて、スピーチの表舞台に引き上げてくれました。

教育者全体を鼓舞して取り上げてくれたことに、教育者の一人として、私にとっては個人的にうれしく思い、好感を抱きました。

人を育てるという崇高な教師の人生としての使命を、あらためて自覚させてくれました。

今の日本では、「教育関係者」はたくさんいて、施策を進め、教育の条件整備や環境整備に努めてくれます。

でも、「教育者」は直接子どもの教育にかかわり、子どもを育てる人です。
バイデン氏は、その人たちへのねぎらいを忘れなかったのです。


新型コロナウイルスと児童虐待

2020年11月10日 08時13分00秒 | 教育・子育てあれこれ
保育所、幼稚園、学校には毎日たくさんの子が通ってきます。

その子どもたちは、家庭生活を背景に背負い、登園(所)・登校してきます。

保育士や教員は、子どもと接するとき、たとえば顔や手にあざがあるのを見つけます。

そして、家庭での虐待の兆候や可能性を推し量り、親御さんに家庭の様子を尋ねるとかして、子育ての相談を受けるのです。

このようにして、深刻な虐待になる前に、未然に防止できたりします。

子どもの命にかかわるようなハイリスクの場合には、児童相談所等の関係機関に通告するように、法律で定められています。

しかしながら、今回の新型コロナウイルス感染防止のために、多くの学校園所が休みになりました。

その影響がはっきりと出たのが6月で、児童虐待は急増しました。

2カ月に及ぶ学校等の休みは、虐待の兆候を外部から見えなくしてしまいました。

加えて、新型コロナは、親の孤立化も進行させたのでした。

虐待を生むのは、親の孤立化です。

つまり、親の孤立化が、「新型コロナウイルス→虐待」という流れを加速させたのでした。

さらにもう一つの問題を新型コロナウイルスは引き起こしました。

一時、乳幼児検診が一斉にできなくなりました。

この乳幼児検診で、親は子育ての悩みを相談したりできますが、それもできなくなったのでした。

また、保育所に子育ての一部を担ってもらえてたのが、親がすべて引き受けなければならなくなったのでした。

保育士が一部を引き受けてくれることで、虐待につながってなかったのが、親が心身ともに疲れてしまい、虐待のリスクが高まったのでした。


子どもにとっての2歳までの間は、「母性」で包まれる時期で、愛着形成の大切な時間であり、大人の半年や1年とは比較にならないほど重要です。

この点を十分に踏まえて、子育ての課題への対策を打たなければなりません。









天空の星を見て想う

2020年11月09日 08時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ
天気のよい夜の空を見上げると星が見えます。

わたしの家では、夜に庭に出ると、30年ほど前には、いわゆる「満天の星」が見えました。

最近は、空気が少し汚れ、また、周りが明るくなり、晴れの日の夜でも空が白く霞んでいます。

星が昔ほどは見えなくなりました。

それでも、まだ星を見ることはできます。

そして、考えてみると、わたしがそのとき見上げている星から放たれた光は、何億光年も前に発した光なのです。

そう考えると壮大な宇宙の世界に引き込まれ、神秘さえも感じます。

何億光年も前に放たれた光なので、たとえは奈良時代の山上憶良が見た星、戦国時代に武田信玄が見た星も、いま私が見ている星と、ほとんど変わりがないことに気づきます。

すなわち、過去の中に現在があるです。過去の中に未来があるのです。
 
わたしは何度かブログで書いています。また、卒業式の式辞の中で、中学生に話したこともあります。

人間は過去の集積です。「過去こそがすべて」とまで言えると思います。

わたしは、歳を重ねるにつれて、「ふるさと」のメロディと歌詞を聞き、共感するとともに、しっとりとした、ノスタルジックな気持ちになります。

なぜ、このうたに惹かれるのか。わたしの育った自然豊かなふるさとの原風景が蘇るからだと思います。

おじいちゃんが牛に草をやっていた。鎌をもって草を刈っていた。近所のおばちゃんが田植えをしていた。

すると、自分がおじいちゃんやおばちゃん、父や母から引き継いだものがあることに気づくのです。

つまり、どう生きるか、どう生きていくかは、過去の中にあると思うのです。

中学生が卒業のとき、多くの人がとかく未来を夢見たり、展望します。

しかし、わたしは、中学3年間命をつないできたその過去を振り返ることが、次につながることを話してきました。

「いえ、わたしの過去はつらいことばかりだったから・・・」と言う人がいるかもしれません。

でも、そのつらさを通して、それでもいま命をつないで、ここにあなたがいる。

そのこと自体に意味があるのだと、わたしは考えます。




分断ではなく連帯

2020年11月08日 09時31分00秒 | 教育・子育てあれこれ

 
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、解雇された人がいます。

健康保険料が支払えず、無保険の人がいます。

また感染する心配から、病院へ行かず、体調がよくなくても我慢して、持病が悪化の末、手遅れでなくなる高齢者が増えているとも聞きます。
 
今年になり、このように、いのちに関わる格差が深刻になっています。
 

新型コロナウイルスは、日本では社会の課題を明らかにしたのです。

格差は人と人の分断を加速します。


人と人が分断される問題に、人びとが意識を高くもっていないと、孤立する人がますます増えます。

このままでは、自死する人が増えるのでないかとも心配されています。


新型コロナウイルス収束後を見通した時、このままでは自力で元の生活に戻れる人とがんばっても戻れない人の格差がさらに進むでしょう。
 
その格差は、個人の努力がどうかではなく、社会のしくみが生み出したものです。

社会のしくみから生み出される問題には、公的な手厚い支援を行うことが必要です。

なのに、公的な支援をうけられず、置き去りにされた側の苦しみや痛みは、当事者でなければわかりにくいのです。

まわりの無理解から、「自助努力が足りない」「自己責任でしょう」という言葉が投げかけられます。

このように、生活困窮者など弱い立場の人は、社会の冷ややかな視線にさらされるのです。

 でも、じつは「自助」で救われない人は多いのです。
 
社会が行き詰まるほど、自助努力を求める声は高まるります。
 
自助を言う人は、自力で道を切り開いてきた人ほど、その思いが強く出るようです。

だが、苦労を重ねたからといって、他者の痛みに敏感だとは限りません。
 
「自助、次に公助、そして絆」と言いますが、公助が先であり、「絆」とは政治家に言われて目指すものではありません。
 
日本の社会は、今後、連帯に向かうのか、分断に向かうのか。

いま日本社会は、その分かれ目の曲面に来ていると思います。

子どもたちには、他者の思いに共感できる人になってほしいですし、社会のしくみによりうみだされる課題は他者と手を取り合い、つながることで解決に取り組むことを学習していってほしいと、わたしは願います。

秋深まる

2020年11月07日 12時04分00秒 | 教育・子育てあれこれ
中学2年生の国語科と美術科のコラボ「マイアニバーサリー」の作品から11月の分を紹介します。

いちばん最初のカバー写真では、今も昔も変わらない中学生の行動(落ち葉をいっぱい集める)と心情(笑顔が出る楽しい気持ち)を五七五七七の歌にとじ込めています。

その風景の描写を、さまざまな色の紅葉の葉を散りばめ、はりつけています。

さらに、笑顔の女の子のイラストが、楽しさやうれしさを印象づけています。

中学生のみずみずしい感性が、作品に表れていて、観る者までが楽しい気持ちになります。





部活では、3年生がすでに引退しており、2年生はチームの中心になっています。

新型コロナウイルス感染防止のため、制限がある中でのバレーボール部の生徒。

練習に精を出し、部活動に励んでいる様子が「パチン」という表現で伝わってきます。
これも、今も昔も変わらない、中学生の一風景です。
 
ところが、下の句では突然「もう塗らなくていい 日焼け止め」という言葉が出てきて、意外な展開を見せます。

しかし、いまの中学生らしさを感じさせ、わたしは深く納得しました。





さて、秋の深まりの終わりには、きれいで真っ赤に色づいた紅葉も落葉します。

それは終わりではなく、新しい季節が到来し、また新しい花を楽しみに待つのです。

次につながる展望の気持ちを呼び起こします。

かくして、季節は巡るのです。



中学生の感覚と感性、そしてそれを複数教科のコラボ作品として表現する工夫をわたしは高く評価したいのです。










小さなしあわせに気づく

2020年11月06日 08時10分00秒 | エッセイ

人はみんな、明日は生きていないかもしれないのです。

そのようないのちの真実のもとで生きているのです。

だとすれば、今生きていることが、生きるということのすべてなのです。

「明日は生きていないかもしれない」という思いを抱きます。
それとともに、小川の水の流れの清らかさ、秋に色づく木々の葉の色どり、夕焼けの美しさなどと出会うとき、生きている自分を深く感じるのです。

歳をとると失っていくものが多いですが、「いま、生きている」という思いは味わい深くなっていくのです。

社会にかかわる問題はたくさんあります。でも、それらとは関係のないところで感じるしあわせはたくさんあると思います。

人は自然の中に身を置く時、この思いを抱くことが多いのだと思います。

貧困、虐待、派遣切り、新型コロナウイルス感染症など、社会にかかわる問題の解決・解消を追求する活動で感じるしあわせ。

それと、日々のなかでの気づきによりもたらされる小さなしあわせ。

この両方が大切だと思います。

生涯にわたり楽しむ

2020年11月05日 08時22分00秒 | 教育・子育てあれこれ


私は以前、一人で英検準2級、漢検、ピアノ、書道六段、空手などの資格や特技をもっている中学生に出会ったことがあります。

小さいときから習いごとを続けてきて身につけたそうです。

部活や習いごとは、たいていの場合、毎日練習をして身についていくものです。

子どもにもよりますが、将来その道に進みたいという明確な目標やめあてをもっているなら、厳しい練習や毎日の練習に耐えることができます。

また、好きだからできるということもあります。指導の先生が厳しくて、ハードな練習だったとしても、苦にせずがんばることができます。

ただ、それほど明確な目標を持たず、子どもがたんに楽しみたいという動機だけなら、楽しむことができればいいという部活や習いごともあっていいと、私は思います。

やる以上は、入賞したり、資格を取ったりすることを目指すのは当然だという考えもあるでしょう。

でも、活動して、少しでもうまくなって、「楽しかった。また今度もやろう」という姿勢でも、私はいいと思います。

楽しいだけでは、身につかないし、モチベーションは続かないという考えもあります。

適度の目標はあったほうがいいと、私も思います。でもそれが入賞至上主義になっては弊害が出てくるのです。

自分の仕事にするのではなく、楽しんで、生涯にわたって、その活動を続けることになれば、ちょうど今の季節、木々の葉が色づくように、その人の人生は彩り(いろどり)が出てきます。

呼応する関係

2020年11月04日 08時20分00秒 | 教育・子育てあれこれ


教師は子どもの力を伸ばすために、一生懸命指導します。

たとえば、この高校に入りたいという目標が生徒にあるとき、その進路実現に向かい、教師はこのように学習をしなさいとアドバイスします。

このとき、生徒の側に、成績を上げたいという思いがあり、その努力をすることで目標に近づくことができます。

または、部活で熱心に顧問の教師が指導しても、生徒に「うまくなりたい」「入賞したい」という願いと実行する態度がなければ、結果は出ません。

このように、教師の願いと子どもの思いが一致してはじめて、結果や成果が出ます。


このことをうまく表した言葉があります。
「啐啄同時」(そつたくどうじ)です。

卵の中にいるひな鳥が内側から卵の殻をコツコツとつつくことが「啐」です。

親鳥がそれにこたえて外側から殻をつつくのが「啄」です。

ひな鳥のコツコツだけでは、殻を割ることができません。そこで、親鳥が外側からコツコツして卵の殻が割れ、ひな鳥は出てくることができます。

つまり、ひな鳥のコツコツと親鳥のコツコツのタイミングが合うと、卵が割れ、新しいひな鳥が誕生するのです。

この営みを「啐啄同時」と言いますが、教師と生徒の関係も同じです、教師の願いと生徒の思いが呼応して、生徒は成長します。

そのためには、教師は「いま、生徒はどんな気持ちでいるのか」「どうしたらその気持ちを高めることができるか」「そのため、なにが今できるのか」を考えます。

教師と生徒が双方向のかかわりをもつことで、教育の結果は出やすいのです。

「予定調和」は限定になる

2020年11月03日 08時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ


現代の日本人は、自分の生き方や人生に計画をつくり、計画的に思い通りいくようにしたいという思いが強いようです。

国内で戦争がないという平和な時代、自由に生きることができるという原則が保障される国では、その土壌にどんな自分の人生のグランドデザインを描いて生きるかが、重要なテーマになります。

国内で紛争が続き、食べるものにも困るなどの国の状況では、生きるのに必死で、「どう生きるか」など考える余裕もないのです。

「豊か」で「平和」で「自由」のある国では、人びとはその人生を送るうえで、生き方を展開していくうえで、選択が必要になります。

その選択に伴う悩みもいろいろと生まれてきます。

たとえば、
「自分の好きなことを仕事につなげるか」
「夫の両親と同居するか」
「結婚しても、仕事を続けるべきか」
「子どもは2人目を産むべきか、3人目までにするか」
「転職するべきか」

このような悩みをもつ人は少なくありません。

このブログがテーマにしている子育てについても、悩みをもつ人はたいへん多いのです。

その悩みとは、「選ばなければチャンスを逃すことにはならないか」「選んでうまくいかなければどうしよう」などです。

このとき、ベストなチョイスをして、目標に向け努力する。それが、いい人生であり、幸せにつながる。

多くの人がそのように考えるのではないでしょうか。それは悪いことではありません。

しかし、選んだ結果、自分が思い描いた理想と現実がちがったとき、「わたしの生き方、人生は失敗でした」と思うのでしょうか。

もし、そうだとするならば、生きることには心配がつきまとい、不安が大きくなるだけです。

思い描いた通り、計画通りいかなかったとしても、その人の人生が不幸なのでしょうか。

わたしはそうは思いません。
思い描いた通りではないそれぞれの折に、得られた人との出会いや人間関係がその人のかけがえのない宝物になる場合もあります。

予定通り、時間通り、計画通り。人生はなかなかそうなりません。子育てでもなかなか思い通りにいくことはないのです。

それでも「まあ、いいか」と思いながら、計画から外れていく時間を楽しんでいくといいのです。
予定調和しないおもしろさ、楽しさを受け取るのです。

「予定調和」は、人生を限定してしまいます。可能性を狭めてしまいます。

そうではなく、自分に起こる予想できたこと、予想できなかったことの両方を受け入れて、そのなかを誠実に泳いでいけば、最後には「これでよかったんだ」と思える人生になるのでしょう。

不登校の子の気持ちとは

2020年11月02日 08時28分00秒 | 教育・子育てあれこれ


毎日新聞10月24日号に、大学3年生の女子学生が書いた「価値を決めるのは自分」という記事がのっていました。全文を引用させてもらいます。

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「価値を決めるのは自分」 

不登校になったのは中学2年生のころ。

きっかけは「これだ」といえるものはない。クラスになじめない気分だった。男の子にからかわれた。友人とケンカした。それだけだ。

それまではなんとも思わなかったことが急につらくなった。教室移動で話す人がいなくてさみしい。私のことをみんながきらっている気がする。お弁当のご飯をかむと、ゴムのように思えた。まったくもっておいしくなかった。

そして、朝家を出る瞬間におなかが痛くなった。

学校に行くのをやめた。母には「おなかが痛い」とうそをついた。それが続くと、母は心配した。

私が「腹痛」だけでなく「熱っぽい」と言ったので、熱中症でないかと心配したこともある。

そのうちに「何かあったの」と聞くようになったが、自分で原因と思えるものがなかったので、話すことができなかった。

母はおそらく、私が病気でないことに気がついていた。でも、私は「何もない、おなかが痛い」とだけ言って突き放した。ひどいことをしたと思う。

友人からメールも来た。でも、学校に行っていないこと後ろめたくて返信できなかった。
かなりきつい内容のメールがきたこともある。つらくて、悲しかった。私の心は凍った。

私は家から出なくなった。出かけても、同い年くらいの人を見かけると、私のことを悪く言っているように感じて顔をあげられなかった。誰かに会うことが怖くて真夏でもマスクをした。雨でもないのに傘を差したこともある。

顔を見られたくなくてビクビクしていた。こんなおかしな格好をしないと出かけられない自分が情けなくて、涙が止まらなかった。

とにかく寝ていた。涙が止まらず、テレビを見ることと本を読むことに集中した。一生分の涙を流したと思う。寝ても、夢を見て泣いて、目がカピカピだった。


「明日は行こう、勉強が遅れてしまうから」とずっと思っていた。塾には同じ中学校の子が1人しかいなかったので、勉強の遅れが気になって行った。学校の最寄り駅には近づくことすらできず、学校の人があまり使わない駅を使った。

母からは「そんなに隠れるように生きなくてもいいじゃない」と何度も言われた。あきれたような感じのこともあったけれど、母も焦っていたと思う。「私の育て方が悪かったのかもしれない」とつらかったと思う。

でも私は当時、過敏になっていて、母のブーツの足音さえ気になって怒ったこともあった。私も母も、互いにつらくて仕方がなかった。

中学2年生の2学期から神戸市の適応指導教室に通うようになった。居心地はよかった。通っている子とも仲良くなり、今でも連絡を取っている。


不登校を何回も繰り返した。でも、このまま家にいて将来どうするんだろう。勉強したい。

そういう思いも強くなって、大学に進んだ。学校にちゃんと行けるようになったのは大学に入ってからだ。

高校までは「学校に行く、行かない」が、いつも話題の中心で、会話に出なくても頭のどこかで学校のことを意識していた。

ところが大学の友人が、休んでユニバーサル・スタジオ・ジャパンに遊びに行っているのを知った。許されるんだと思えた頃から、気持ちが楽になった。学校を休むことを気にする人なんて、そんなにいないのだろうと思えた。

小学校の時、担任の先生が「学校に来ていないのに遊びに行くのはルール違反だ」と言っていたことを私はずっと引きずっていて、不登校は〝犯罪″ぐらいに思っている時期もあったので、その発見は大きかった気がする。

単位をとれれば、あとは自分で調整していいんだと思えた。大学で私は、出席をとる授業は休んだことが1回しかない。不登校時代とは正反対の生活になった。


コロナ禍で、「学校に行きたい」というこどもばかりが取り上げられていたことに違和感を持った。私は決してそうではなかったので。

夏でも外出時にマスクをすることは、少し前までは「おかしいこと」だった。この夏はマスクをすることが当たり前だった。

不登校のころ「どうしていつもマスクをして隠れるように生きるの?」と言われていたのに、「なるべく出かけないように」「出かける時は必ずマスクをしなさい」が世間の声となった。

人の価値観は、状況によって驚くほどに変わる。私は無責任なものに振り回されていたのでは、と不登校のころを振り返って思う。


不登校だったことを話せるようになったのは、大学入試のころからだ。「それが個性だし、アピールポイントにもなるんだよ」と塾の先生に言われたことがきっかけだ。

自分自身が「不登校」というマイノリティになっていたからこそ、世の中でつらい思いをしている人を少しでも救いたいという気持ちも芽生えた。

コロナ禍になる前、小学校の時のタイムカプセルを掘り起こした。長く会っていなかった友人に会った。不登校だったことについて言われたらどうしようと、少し気が重かった。だが、それは話題に出ることもなく、小学校の時の話や、大学の話で盛り上がった。

不登校だった時は、学校という社会しか見えていなかった。しかし今は違う。アルバイトやサークル。私の世界はいつしか広がっていた。

つらくてしんどくて泣きながら眠った日々のことも、今となっては必要な時間だったと思うようになった。

不登校だったころ、あの人がいなければ、と思ったこともある。でも、そう思えば思うほどつらくなった。

今、誰かを責めるつもりはまったくない。なぜなら、誰もがストレスを抱え、誰もが人を傷つけてしまうことはあると思うから。

いま、かつての私のように学校に行くのがつらい人もいるだろう。その気持ちを無理に変える必要はないと思う。

つらい時は「つらい」と言葉にしてもいい。私は泣くことでしか表現できなかった。何がつらいかわからず、言葉で表現できなかった。でも「何があったか」だけでも言葉にしていたら、楽になれていたのではと思う。

人の価値観は変わる。学校のあり方も変化する。そんな変化する社会でどう生きていくのか。不登校だったことを強みにするのも、弱みにするのも、私なのだ。価値を決めるのは、たった一人、自分だけだ。
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彼女の書いた「価値を決めるのは自分」を読んで、私は次のような感想をもちました。

ご本人にとって、不登校だったころに、「なぜ、学校にいかないの」と誰かから聞かれても当時はきっと答えることができなかっただろうと思います。

そこまでの気持ちの整理はついておらず、ただ学校行けないことがつらくて、それがつらく悲しいことであり、それが彼女のすべてだったのです。

長い、長い道のりをくぐりぬけ、大学生になって、あたかも第三者が客観的に自分を見つめることができるようになったとき、つらいとか悲しいという感情から離れ、人は自分をふりかえることができます。

そのように自分を見つめることができるようになると、彼女は「今となっては(自分に)必要な時間だった」と思うようになったとまで書いています。

自分を客観的に見つめることができるようになることが、思春期の人がたどりつく、「おとなへの成長」だと、私は常々考えています。



また、彼女は学校の先生という存在についても書いています。

小学校の担任の先生が「学校に来ていないのに遊びに行くのはルール違反だ」と言っていた言葉を、彼女はずっと引きずることになりました。

小さな子どもにとって、先生の言葉はたいへん大きな意味を持つこともあります。教員は、この事実をあらためて再認識して、ものごとの見方や価値観について、偏った伝え方をしないようにしてほしいと思います。

一方で、先生の言葉は、子どもの気持ちを180度変えることもできることもあります。

塾の先生が不登校について「それが個性だし、アピールポイントにもなるんだよ」と塾の先生に言われたことは、「そう思えばいいのだ」と、ものの見方を大きく転換させることになりました。

私も、先生という存在の大きさを、マイナス面でもプラス面でも再認識した次第です。



彼女はとくに変わった中学生ではありませんでした。最近の中学生が多かれ少なかれ経験する学校生活を送っています。

彼女が抱いた感情や気持ちは、程度の違いはあれ、他の中学生も感じます。

その意味で、不登校になるのは、けっして特別なケースではないのです。
どの子も人間関係等でストレスのたまる世の中・社会・学校のなかで生きているからです。

学校の先生は、学校に来にくい子、不登校の子の「つらい」とか「苦しい」、「悲しい」という気持ちに寄り添い、その子たちを支える存在になってほしいと、彼女の手記を読んで思います。

自らに問いかける教師

2020年11月01日 09時42分00秒 | 教育・子育てあれこれ


習慣は意識の積み重ねで形成されます。

たとえば、朝の歯みがき。最初は朝食を食べたら歯をみごこうという意識を重ねて、「忘れたら、ああ忘れていた」と思い出して歯みがきをします。

それを続けるうちに、行動が定着し、習慣になります。

ところが、歯みがきが習慣になると、意識せずとも、朝食後には歯みがきをするようになります。

この段階では、無意識でやるようになります。

考えてみれば、人の一日の行動は、とくに意識しないで、習慣に従ってやっていることが多くなってしまっているのではないか。

ですから、ときには自分が何を大事に思い、どんな価値観をもち、その行動をやっているのかを意識することが大切です。

学校の先生なら、1日にたくさんの授業をするのが普通です。

たくさんすることは、無意識で、惰性でやる危険があります。

しかし、何月何日の〇年〇組のその教科の授業は、そのクラスの児童生徒にとっては1回きりです。

自分がどんな価値観で、どんな力をつけたいか、なぜ教師としてこの教室で授業をしているのかと意識することが必要なのだと思います。

自己を律して、崇高な目的意識のもとで、教師をしているという確認をしながら業務を遂行するのです。

なぜなら、つまらない習慣ほどかんたんに身につくからです。

教師は、自らの心に問いかけるべきです。