箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

子どもはいらない

2024年02月14日 06時13分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしは、大学で教員志望の学生を支援する授業も担当しています。

教員採用試験合格のための指導がおもな仕事ですが、派生して卒業後の生活についても女子学生と話すこともよくあります。

将来像を聞いていると、いったん教職に就くことができたら、できるだけ長く勤めたい。

自分の子どもはもどうしてほしいとは思わない。
このように考えている人は少なくはないというのが、現場の実感です。



さて、就職情報サイトは、2025年3月に卒業予定の大学生・大学院生を対象にしたインターネット調査をしました。

その結果、5人に1人(約19%)が「子どもはほしくない」と答えました。

女子学生は23.5%で、男子学生は12%ほどでした。

これをみる限り、女子学生は、およそ4人に1人が、子どもはほしくないと考えているということです。

続いて男女にその理由を尋ねると、

「うまく育てる自信がない」がいちばん多く、次に「自分の時間がなくなる」と「経済的に不安」という理由でした。

それらの理由が挙がるのには、さまざまな要因があると、わたしは考えます。

学生の自己肯定感の課題、ダイパやコスパを重んじる特性、今直面している物価高など、複合的に子育ての難しい時代を反映しているように思います。

また、同じ調査で、男女で共働きをするのが当然と考える学生が7割にのぼりました。

そうなると、育児休暇を取ることの仕事への影響が不安になることや、育児・家事の分担がアンバランスで女性のウエイトが高いという現状を女性がより強く感じることになります。

女子学生のほうが、男子学生よりも、「子どもをほしいとは思わない」と答える比率が高くなっているのも、納得がいきます。

ただ、一つ言えることは、日本での少子化の流れは今後変わらないのではないかということです。

そうなると、働き手が減り、消費者の絶対数が減少するので、経済は停滞したままになるでしょう。

少子化対策は、待ったなしであり、場当たり的な対策では効果がなく、総合的な対策を断行しないと流れは止まりません。

なぜなら、述べたように少子化は複合的な要因が関連しあっているため、複合的な要因に対しては、総合的な対策が必須になるからです。



どちらの木立になりますか

2024年02月13日 06時53分00秒 | 教育・子育てあれこれ
カバー写真を見ると、左の樹木は常緑樹で、真冬にも緑の葉を付けたままです。

一方、右側の樹木は落葉樹で、葉をすべておとし枝や幹は真冬の寒風に吹きさらされています。

落葉樹が葉を落とすのは晩秋の頃です。

これから長く厳しい冬が来るのを知りながら、敢えて葉を全部落とします。

そして、真冬の凍える寒さを耐え忍び、春の訪れを待ち、春先には新芽を膨らませ、また葉を付けるのです。

わたしは、この枝を落とした樹木を「冬の木立」と呼びます。

人もどうせ生きるなら、冬の木立のような生き方に憧れます。

これからの予測しにくい時代にあって、困難や厳しい試練を前にしても、我慢強く、忍耐力強く生きていければと思います。

無意識のうちに「きめつけ」をしていませんか

2024年02月12日 07時36分00秒 | 教育・子育てあれこれ


私たちは過去に見たり、聞いたりしたことや経験したことから、無意識のうちに「こうだ」とか「そうであるにちがいない」と思い込んでいることがあります。
 
「親が育児休業中です」と聞けば、お母さんが育休で仕事を休んでいると思う。

「メソメソしないの。男の子らしくしなさい」とわが子に言っていた。

「そんな目標は、わたしにはどうせできない」と思う。

これらは、無意識のうちに、思い込んでいたり、決めつけであったりで、アンコンシャス・バイアス(unconscious bias)といいます。

このような偏った見方は、誰にでもあることです。

この偏った思い込みは、ときとして人を傷つけることもあります。

「ブラジルから来たんだから、サッカーがうまいんだろ」などです。



サッカーかうまくないブラジルにつながりのある子にとっては、「ブラジルというだけで、なぜみんながサッカーがうまいと言うんだろう」となります。

この無意識の偏見について学ぶ学習を学校の人権学習で行うことがあります。

アンコンシャスバイアスを学習した子は、実生活で自分が決めつけを無意識にしていたことに気がつきます。

自分のアンコンシャスバイアスに気がつき、発言や行動を変えていくことは、他者をひとくくりで見たりせず、個人差のある、その人自身としてつきあうことにつながります。

また、自分にはできないとか、自分には合わないと思い込んでいた人が、まずはやってみようという意識や行動の変化となって現れます。

その意味では、アンコンシャスバイアスの学習をすることで、自分の可能性を広げることにもつながるのです。











起業家を日本で増やすには・・・

2024年02月11日 07時06分00秒 | 教育・子育てあれこれ

2021年に国が6歳未満の子どもをもつ共働きの夫婦の家事・育児時間を調査しました。

 

夫は1時間57/日で妻6時間32/日でした。

 

この結果を見ると日本では家事・育児は依然として女性が担っていることがわかります。

 

内閣は2022年に「スタートアップ育成5カ年計画」をまとめました。

 

新しく起業したベンチャー起業には10兆円の年間投資を与えると発表しました。

 

ところが、起業の新設率はアメリカ・ヨーロッパでは1年に10%、中国で20%ですが、日本は5%です。

 

つまり日本では新興の企業がなかなか生まれないのです。

 

日本は起業が身近でなく、日本の経済が低迷しているにも関係します。

 

起業するには事業計画を作り、収支を試算したりしてとても準備に時間がかかるのでたいへんです。そして起業できても経営に大きな負担がかかります。

 

そこへ日本で女性が起業をするとなると、家事育児をおもに女性が担っている現状が重なり、女性の起業は限りなく厳しくなります。

 

2021年に国内で新しく上場した企業のうち、女性が経営トップなのはわずか2%しかありません。

 

諸外国と比べて、圧倒的に低いですが、いまや女性を経営トップにしない企業は世界では通用しなくなっています。

 

そもそも、起業に向けた意識の低さも影響してきます。起業に関心のないという人が5割を超え、男女とも低いのです。

 

女性のほうも「私なんて・・・」と卑下する人が多いのが現状です。

 

起業家には性別に関係なく、家事代行や秘書サービスをつけるとかして、起業家の負担を減らし、起業家一人にリスクを負わさないようなサポートをしないと、起業したいという人は増えないでしょう。

 

 


 

 


なぜ医師になるのか

2024年02月10日 06時22分00秒 | 教育・子育てあれこれ
一般的に学力がきわめて高い生徒は、医学部を目指す場合があります。

もちろん、医師の仕事に深くやりがいを感じて目指す生徒もいます。

でも、とても学力が高い→大学進学を医学部で受験するという、進路選択の一つとして医学部を志す生徒がいないわけではありません。

つまり、動機の問題です。

医学部に進学するということは、受験の段階で医師という職業を選択することを意味します。

そうでないと、熱意のある医師は生まれません。

社会の中で、医師会や弁護士会の見解や考え方は、だれからも一目置かれます。

それだけ、社会や世間で認知されているので、医師の意見や考えに、人びとは価値を置くのです。

わたしはそれを専門性とは言わず、「専門職性」と呼んでいます。

特定の職の領域に関する高度な知識と経験に裏打ちされ、職が専門職としての地位を確立しているが専門職性です。

見方をかえれば、それだけ医師の責任は大きく、重いのです。

医学部を志す生徒は、その点をわかっていなければならないのです。

医師の中には患者に寄り添い、緩和ケアに従事する人もいます。

貧困地域で労働者の医療にあたる医師もいます。

難しい手術を成功させ、患者のいのちをつなぐことができる人もいます。

医療に携わることは、社会とかかわることであるという覚悟を医学部を目指す、あるいは医学部の学生はもってほしいのです。



地方の人口減少への対策が急務

2024年02月09日 07時04分00秒 | 教育・子育てあれこれ
大阪府北部のわたしの地域では、1960年台後半に山を切り崩し、宅地造成が始まりました。

小学校4年生のとき、そこへ引っ越してきた転入生が第一号でした。

それ以降、たくさんの人びとがマイホームを建て、引っ越してきたので、転入生はどんどん増えました。

時代は日本の高度経済成長期でした。

しかし、その転入生たちはたいてい町を出て、今は住んでいません。

わが町では過疎化が進んでおり、電車を降りて夜に自宅まで歩くと、出会う人はほとんどいなく、淋しい気持ちになります。



さて、令和のコロナ禍のときには、人口の地方分散が進み、東京一極集中が緩和されるのではないかと言われましたが、今は再び東京への人口集中に戻りつつあります。

一方で、大多数の地方都市の人口減が進んでいます。

京都市は外国人観光客で賑わっています。また、学生の街と言われるだけあって、人が多い街だと思われますが、学生は大学を終えると京都市に根付いて就職するのではなく、出ていきます。

また、条例で高層ビルが建てられないので、住居が少ないという事情も、京都市の人口減を加速させます。

さらに地価が高騰しているので、子育て世代は京都市よりも、地価の安い滋賀県大津市(琵琶湖の南端)などに住みます。


神戸市は全国的にも人気がありますが、1960年代に開発されたニュータウンは高齢化が進み、高齢者人口が増え、出生率の低下とともに人口減が進んでいます。

関東でも、千葉市の人口が減っていると聞きます。

新型コロナウイルス対策で、千葉市への人口流入が進むかといわれましたが、その流れは落ち着いてしまいました。

このまま進むと地方都市の多くが、将来は消滅するという研究者もいます。

今の時代、子育て世代の共働きは当たり前になっており、とくに女性の働く場が地方都市には少ないという事情があります。

今後の子育て世代の女性が働く場を地方都市に増やさないと、東京一極集中は改善されないでしょう。

そして、地方の都市や地域では、人が足りなくなり、交通機関や行政サービス、産業維持など実際の生活に影響が出てくるようになりつつあ

地方の人口減対策は待ったなしです。必要に応じて、機械化・自動化も進め、人材活用の多様化など、不退転の覚悟で臨まなければならないでしょう。












健康で文化的な最低限度の生活

2024年02月08日 08時24分00秒 | 教育・子育てあれこれ

ロストジェネレーション世代、略して「ロスジェネ世代」とは、バブル崩壊のあと、およそ10年間に就職活動が重なった人たちです。

だいたい1970年〜1982年頃に生まれた人たちです。

バブル崩壊後の「就職氷河期」世代で、いま40〜50代になっています。その年齢層はわたしの教え子の多くがその年齢になっています。

卒業生の近況を聞くと、産業界でいわゆる「出世」をした人もいますが、非正規雇用で生活苦の人もいます。

コロナ禍を通して、ここ数年間、派遣労働でしのいできた人、とくに女性がホームレス状態に陥り、困窮者向け生活相談にやってくるのが2割と聞きます。

非正規雇用の女性の平均年収は、全国でおよそ150万円ほどです。

しかしながら、いまの日本の生活支援制度は、結婚して二人の子どもがいる家庭を基準につくられていて、正規雇用の夫に「養ってもらう」を前提につくられていますので、女性に対する公的支援はもともと薄くなっているという制度なのです。


その制度のすきまに落ち込んだ女性は生活困難に陥ります。

いまや男性だけもしくは女性だけの一人暮らし世帯が約4割を占めているのに、公的支援制度がミスマッチしているのです。

そして、ロスジェネ世代の「勝ち組」は成功したのは自分が努力したからと信じ込んでいます。

たまたま運がよかった、縁があったからというふうに思わないと、自分と同世代の生活困窮者のことは視線に入らなくなります。

誰もが「健康で文化的な最低限度の生活」(日本国憲法第25条)を送れるようにするのは、公的支援の根本です。




















教育の機会均等とは

2024年02月07日 05時38分00秒 | 教育・子育てあれこれ
「経済的理由で就学困難と認められる学齢児童又は学齢生徒の保護者に対しては、市町村は、必要な援助を与えなければならない。」と学校教育法第19条で定められています。

この法を根拠にして、全国の小中学校の児童生徒のうち、経済状況が厳しい家庭には、学用品や給食の費用などを補助する就学援助制度を市町村は実施しています。

その制度の運用は、学校からの案内をもとに対象の保護者が教育委員会に申請する、または保護者が教育委員会の窓口に申し込み、審査をもとに就学援助が適用されるしくみになっています。

就学援助には2種類あり、生活保護世帯には「要保護」、自治体が生活保護に近い経済状況と判定した世帯には「準要保護」の就学援助が行われます。

ところが、その就学援助を受ける対象者の割合が10年連続して下降しています。

子どもの貧困率は若干ですが低下する傾向にあります。

また、新型コロナウイルス感染症が蔓延したとき、政府が経済支援策を打ち出し、厳しい家計を下支えした影響もあると思われます。

法が必要な支援を規定しているのは、「義務教育の機会均等」という理念に基づくからです。

いま、就学援助受給の割合は、全国で平均しておよそ14%ほどですが、大阪府内には児童生徒の半数が就学援助を受ける学校もあります。

学校間で差があるのが現状です。

家庭の経済状況は、児童生徒の学力に影響が出ます。

真の教育の機会均等とは、校区の経済的に厳しいというしんどさに関わらず、子どもの学力を保障することです。










虫の目だけでは心もとない

2024年02月06日 07時55分00秒 | 教育・子育てあれこれ
広い大都会の中に住んでいる人にすれば、自分の街や地域の身近な変化には気がつきます。

新しいお店ができた。

きのうはつぼみだった道端の花が今日は開いた。

行きつけのパン屋さんで、新しいパンを売るようになった。

しかし、その大都会全体の変化やどう動いているのかには気がつきません。 


それと同じことが今の社会では起きているのではないでしょうか。

ウクライナで戦争が起こっています。

病院の地下に敵の主要な施設があると報じられても、それを探し当てるための情報など、私たちには、手の届かない「遠い世界」のことです。

私たちにあるのは、世界がこの軍事侵攻をストップできていない。
あるのは、その事実だけです。

そのような、全体や全体の動きが見えなくなっているのは、つまり鳥の目のように全体を俯瞰して見るということは困難になっているということです。

できているのは、虫の目のように近くを見ることだけです。

災害や戦争が起きたら、他人事と思わず自分がその身になったとして、想像力をはたらかせる。

つまり自分に引きつけることは平和を願う際の基本として、よく言われます。

しかしできるのは、せめて起きている事実を正確に把握することではないでしょうか。

自分に引き寄せるのではなく、離れて客観的に事実を正しく見ることが必要だとも言えます。

気の毒とか悲惨だという感情をあえて外してものごとを見ることが、今の時代、全体がわからなくなる時代には、求められるのかもしれません。

災難に苦しむ人の思いに共感してと言われますが、当事者にはなりきれないのです。

社会の動き全体がわからなくなる今だからこそ、そのことを冷静に理解して、その理解のうえに公正に中立の立場に立ち、自分がどう思うかを軸にして意見をもち、行動することがいまという時代には必要なのでしょう。

そして、できるだけ「鳥の目」を駆使して、同時に水の流れがどこに向いているかという「魚の目」も持ちたいのです。



日韓で共存共栄を

2024年02月05日 06時11分00秒 | 教育・子育てあれこれ

1950年代に起きた朝鮮戦争の結果、韓国は荒廃した国土になりました。

 

その当時、市場経済主義および民主主義を求める韓国にとって、日本は戦後復興から立ち上がる兆しがある国で、日本経済を学ぼうという対象でした。

 

韓国の企業は、その頃日本の技術者を工場に招き、そのノウハウを身につけようとしたのでした。

 

そしてサムスン電子は、日本の三洋電機の助けを受け、電子産業に進出することができました。

 

その後、サムスンは、現在スマートフォンでは、アメリカのアップル社と世界12位を争っています。そして、半導体メモリーでは世界1です。

 

電子・電機産業だけではありません。

 

音楽でも1990年代のはじめに韓国式ロックやヒップホップを流行させ、K-POPの独特な位置を築きました。

 

過去の日本が韓国に対して行ったの負の歴史から、「日本が嫌い」という韓国人がいますが、幸いにも日本人との交流を楽しみに待っている韓国人はいます。

 

2023年に日本を訪れた韓国人は600万から700万だったと言われています。

 

いま、コスメやフード、そして音楽で日本と韓国はいい刺激を与え合っています。

 

今後、日本と韓国は地理的に一番近い隣の国として経済圏を構成し、共存共栄をしていく未来像が見えています。

 

 

 


産業の建て直しも必要

2024年02月04日 10時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしは2019年9月に能登半島へ旅行に行きましたました。


珠洲市もまわりました。珠洲ではバスに乗って景色を見ていると、夏祭りに使う「キリコ」が見えました。添乗員さんが説明してくださいました。

たいへん勇壮な祭、100人ほどの若い人が大きなキリコを担ぎ、海の中を乱舞する祭そうです。

聞き及ぶところでは、今回の能登半島地震で保管してあったキリコが大きく破損したり津波で流されてしまったそうです。

夏祭りでもうキリコは出せないと、地元も関係者は言っています。


また、輪島の朝市もまわりました。たくさんの人で賑わっていて、とくに伝統産業の輪島塗は目をひきました。

今回の地震で、壊滅的な被害を受けたと聞きます。






デザインや原木の土台づくり、漆塗りを施す工房や店舗が被災しました。300ほどの事業所はほぼすべて被災しました。分業制なので、再開のめどは立たないそうで

漆塗りの産業自体が存続の危機に瀕しています。

奥能登の揚げ浜式の製塩所も2月末までは休業をきめています。






漁港も海底から隆起して、とても船を出せる状況でないと聞きます。



損壊した家屋の立て直しと同時に産業の建て直しが必要なのが、いまの被災地の状況です。



同調圧力に思う

2024年02月03日 08時13分00秒 | 教育・子育てあれこれ

 

旧ツィッター(現X)を匿名やニックネームで利用している人の割合。

 

日本 約75

アメリカ、イギリス、フランス、韓国、シンガポール 3割~4割台

 

突出して日本が多くなっています。

 

なぜ日本では実名のアカウントをつかう人が少ないのでしょうか。

 

それは、個人と周りの関係が自由でなく、窮屈なものだからと考えられます。

 

「こんなことを言っている(書いている)」と揶揄されやすく、非難されやすい、叩かれるという日本社会の特徴をあらわしているのです。

 

しかし、一方で日本では絆や団結という言葉がもてはやされます。災害が起きたときにはなおさらです。

 

わたしはその価値を否定するものではないのですが、これは、絆や団結がもつ負の側面である、人を縛ろうとする同調圧力が働くという点が、あまりにも絆や団結を強調することで見えなくなってしまう。

 

そのことには気をつけておきたいものです。


悲しみとつきあって生きていく

2024年02月02日 07時36分00秒 | 教育・子育てあれこれ
能登半島では、地震から1ヶ月がたち、学校の授業が再開されても、子どもたちが受けた恐怖や心の傷は深刻だと思います。

「また地震がくるかもしれない」という不安や恐怖は、元旦の激震を思い出させ、無理もないことだと思います。

わたしも阪神淡路大震災の1月17日の揺れの凄まじさは、体の中に染み込んでおり、30年近く経った今でも、忘れることはありません。

まして、子どもたちです。学校には元気そうに登校していても、心に深い傷を負っている子が多いでしょう。

とくに肉親を失った子は、格別の見守りと配慮が求められます。

そんなとき、子どもたちに「地震の体験を乗り越えて」と期待するのは難しいことです。

人は大きな悲しみを乗り越えることなんてできないと、わたしは思っています。子どもだけでなく大人も同様です。

人は大きく、深い悲しみとずっとつきあっていかざるをえないのです。

その悲しみに打ちひしがれていても、それでもやはり、前を向いて一歩を踏み出そうとするのです。

それができるのも、傍に寄り添って、心配して、悲しみを共感してくれる人がいてこそです。

学校の教師は、そのまず第一の人であって欲しいと願っています。



「ゆらぎ」と向き合う

2024年02月01日 07時46分00秒 | 教育・子育てあれこれ

今の日本では、多様性(ダイバシティ)や包摂(インクルージョン)の取り組みが、以前よりも進んできました。

 

それらは学校教育の中では、人権教育で、とくに大阪では集団づくりの分厚い取り組みとして、実践されてきました。

 

「ちがいを豊かさに」という多文化共生教育で外国につながる児童生徒を集団に据えた在日外国人教育教育。

 

障害のある子とない子がともに同じクラスで学習したり生活を送る障害児教育。

 

男女が対等な立場で共に生きる男女共生教育・ジェンダー平等教育。

 

被差別地域の児童生徒への学力保障・進路保障を核とした集団づくり。

 

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などの、分厚い教育実践があります。

 

少数派(マイノリティ)の抱える人権課題は、多数派(マジョリティ)が生みだしている。


平たく言えば、差別される人がいるのは、差別する側の問題であるという考え方が人権教育推進の基本的な考えです。

 

 

 

さて、マイノリティについて、社会の意識も変化が出てきています。

 

たとえば、東京パラリンピック以降、企業が選手を広告に起用することが増えてきました。

 

SDGsを進める企業からの投資も増えてきました。


SDGsのシンボルであるピン・バッジをスーツの襟元につけたビジネスマンをよく見かけるように、「我が社はSDGsを推進する企業です」という打ち出しも盛んです。

 

そのような企業の取り組みは、今の企業活動のあり方が社会貢献が評価されるという時代背景を受けています。

 

企業としてのイメージアップにもつながります。

 

一方で、ダイバシティやインクルージョンのかけ声が響く中で、社員の中には「やらされ感」をもつ人も増えているのが現実ではないでしょうか。

 

「上司に命じられたから」という理由で、本意ではないが取り組みに加わっている人もいるようにわたしは思います。

 

以上のことより、日本社会でのマイノリティ尊重をめぐる意識は、前進と後退を繰り返しているのです。

 

その繰り返しの中で、「ゆらぎ」も出てきています。

 

国会議員の問題発言、ヘイトスピーチ、インターネットへの人権侵害書き込み、パワハラ、セクハラなどは、そのゆらぎの表出と考えることもできます。

 

そもそも「わたしはマイノリティ」「わたしはマジョリティ」のように、きっちり区分できるものではないのです。

 

「わたしは学校の成績がよくないから、学力マイノリティ」「わたしは勉強ができるからマジョリティ」と仮にしたとします。

 

でも、勉強ができても運動が苦手な場合もあります。その人は「運動マイノリティ」と感じるかも知れません。その逆もあります。

 

エレベーターを使わないと電車に乗れない車いすの人なら障害者というマイノリティ。でも車いすを使っていなくても、階段を上り下りするのがたいへんな高齢者もいます。

 

ですから、どんな人もマイノリティであったり、マジョリティであったりするのです。

 

わたしたちにとって本当に必要なのは、マジョリティの立場ととマイノリティの立場の両方で、どちらかだと「平面」としかみえなかった世界が立体的にみえてきます。


そこから新しい人間関係がうまれることを知ること、つながりが生まれることでないかと思うのです。