撮影場所 伯備線井倉鉄橋
昭和47年3月布原の三重連も廃止されDD51(ディゼル機関車)におきかえられた。
47年2月になれば運転手の訓練のためディゼル機関車による運転がおおくなった。蒸気機関車の多くは3月のダイヤ改正で本州から姿を消した。
そのファンサービスの一環として岡山から新見まで三重連の客車が運行された。
二、三回開催されたのではないかとおもう。
客車に乗って楽しむ人や沿道はカメラを持った人でごった返した。
対岸から撮影しはないといけないので遠回りして橋をわたった。
普段はダイヤを見て鉄橋を渡って歩いていた。
大勢の手前こんな事も出来ず橋を使い対岸に渡った。
この日は風も少なく蒸気機関車の姿が水面に写った。
シャッターがバチバチ切られ機関車が通り過ぎた後からはため息ともどよめきともとれる声が聞こえた。うまく撮影出来なかったのであろうか。
もう三重連の姿は撮影できなくなった。 私も一抹の寂しさを感じながら帰路についた。
昭和47年3月布原の三重連も廃止されDD51(ディゼル機関車)におきかえられた。
47年2月になれば運転手の訓練のためディゼル機関車による運転がおおくなった。蒸気機関車の多くは3月のダイヤ改正で本州から姿を消した。
そのファンサービスの一環として岡山から新見まで三重連の客車が運行された。
二、三回開催されたのではないかとおもう。
客車に乗って楽しむ人や沿道はカメラを持った人でごった返した。
対岸から撮影しはないといけないので遠回りして橋をわたった。
普段はダイヤを見て鉄橋を渡って歩いていた。
大勢の手前こんな事も出来ず橋を使い対岸に渡った。
この日は風も少なく蒸気機関車の姿が水面に写った。
シャッターがバチバチ切られ機関車が通り過ぎた後からはため息ともどよめきともとれる声が聞こえた。うまく撮影出来なかったのであろうか。
もう三重連の姿は撮影できなくなった。 私も一抹の寂しさを感じながら帰路についた。