懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺民家 雑木のある家

2018年10月23日 | 茅葺き民家

撮影場所 兵庫県篠山市

茅葺民家の横に柳かクヌギかを植えてある。

何のために植えてあるのかかつてに生えたのか

私の家も木が生い茂り剪定しないといけないが見積りをしたら10万円

年金生活者にはこんな臨時の出費には余裕がない。

大した木がないので自分が元気な頃は剪定していた。

歳を取り身体が動かなくなるとすべてが狂う。

若い頃に計画性もなく植えた木はどんどん伸び太りゴミ屋敷のような家になった。

無計画に木を植えたもので根が排水管や排水ピットに伸ばし配管が流れない。

水道屋に水道配管や排水管の通る周辺には植木を植えない事と注意された。

みんな切ってしまうとすっきりする。私ら夫婦が死ねばこの家も空き家になる。

働いて自分の家を持つのが夢で頑張ってきてもも結局は空き家を増やす事になる。

 


あざみの歌

2018年10月23日 | 日記

アザミの歌

介護施設でエレクトーンの演奏で全員があざみの歌を歌った。

時々 歌詞を持って昔の歌を歌っている。

脳トレーニングの一環でやっているのか

90代の女性が女学校の頃に唄ったという。

この女性の女学校時代は戦時中の勤労動員され軍需工場で働いていた頃

この歌は男が愛しい女性をあざみに例えて歌った歌で戦時中には歌えないでしょうと私が言った。

私はあざみの歌は還暦になるまで知らなかった。

SNSを見ていたらあざみの歌というタイトルの男性がいた。

どういう意味があるのかネットで見たら歌のタイトルで伊藤久男が唄ったNHKのラジオ歌謡で昭和24年に放送された。歌詞が女性の心をとらえて女性に愛された歌だそうだ。

あざみに例えた女性はトゲで身を固め身持ちのよい清楚な女性であったのだろう。作詞家の心にこんなモデルの女性がいたのであろうか。

高嶺のユリの気位の高い女性より身が堅く目立たない花のアザミのような女性を愛しく思う。

ラジオ歌謡は昭和21年5月から16年間にわたり845曲が放送された。

朝はどこから 山小舎の灯 桜貝の歌 高原の旅愁 山の煙などがある。

歌謡曲でない叙情曲が多い。これは戦後の日本人の心の支えになったと思う。

日本には明治大正には童謡唱歌が生まれ戦後はラジオ歌謡が生まれ日本人の心となっている。あざみの歌は多くの人が唄っているが私は芹洋子さんの声が好きだ。

芹さんはバイクとの衝突で記憶が全く消えたがリハビリで言語も歌も覚え再起して今も歌っている。

話しは変わるが中島みゆきの曲にアザミ嬢のララバイというのがある。

あざみの歌とはまるでイメージが違う。私は夜咲くアザミ、悩みや悲しみで眠れない人は話しを聞いてあげる。ララバイ(子守歌)で寝かせてあげる。

ヨコシマ男は眠れないとアザミ嬢のところへ行ったが助平心を見ぬかれアザミの針で刺されそう。

 

あざみの歌の歌詞

山には山の 愁いあり     
海には海の 悲しみや     
ましてこころの 花園に    
咲きしあざみの花ならば    

高嶺の百合の それよりも   
秘めたる夢を ひとすじに   
くれない燃ゆる その姿    
あざみに深き わが想い    

いとしき花よ 汝(な)はあざみ
心の花よ 汝はあざみ     
さだめの径は 涯(は)てなくも
かおれよせめて わが胸に 
               


日本茅葺紀行 NO,476 秋の風景

2018年10月22日 | 日本茅葺紀行

撮影場所 岡山県旧阿波村

ススキに柿 風景が秋になってきた。

庭の柿の木も色づいてきた冷たい北風が吹けば干し柿干しだ。暖かく日と雨が続けばカビで上手く干し柿がつくれない。

春と秋には出かけて撮影に行きたいが11月に入れば岡山マラソンがあり家内は練習に余念がない。高齢者になってこんな過酷な競技は命懸けでやっているようなものだ。

健康のために5キロくらい走るのならいいが5時間も走り続けるのは命を縮めると思うがやっている人の話を聞くとみんな負けず嫌い。競走である、楽しむランニングではない。今はゼッケンを自動計測して完走者全員のタイム順位が製本され閉会式が終れば配布される。ネットだと各人のラップタイコムもわかる。何千人 一万人分のプリントアウトと製本をどうしているのだろう。

晩秋に柿やススキ紅葉と茅葺きの写真撮りに行こう。

 


私の昭和鉄道遺産 その86  和田山機関区

2018年10月21日 | 私の昭和鉄道遺産

和田山機関区は兵庫県の北部で山陰線と播但線を接続する。

阪神大震災は山陽線や山陽新幹線が不通になり貨物は姫路から京都へ播但線から山陰線経由で運送された。

和田山機関区にC57型が給炭中だ。後に石組みの機関庫が見える。石組みで歴史のある機関庫だったが保存には金が掛り解体された。

岡山県の津山機関区だった機関庫と転車台が鉄道記念物に指定された。梅小路の機関庫と津山だけしか完全なものは残っていないようだ。

私は馬鹿なことに津山機関区は撮影していない。岡山に住んでいて情けないことだ、好きな機関車でなかったので撮りにいかなかった。

子供の頃から現代まで時代は大きく変化してきた。新しい製品や商品に関心を持ち社会の変化に関心を持たなくてはいけなかった。何が生まれ何が淘汰されるか成長するものや会社、衰退する物や会社 株式投資にしても趣味にしても絶えず関心と勉強だった。あの時こうすればよかったと悔やむ事ばかりだ。

歳寄りは過ぎ去った事をくよくよするべきでないというが達観したような人生を捨てたような人間になってはいけない。悔み嘆き怒り喜びが有るのが人間だ。若い人や我が子や孫に自分の失敗の悔み事を教訓に変えて百ヶ条にまとめて後世に託すことも必要だ。

 

 

 


懐かしい物 石臼

2018年10月20日 | 懐かしい物

茅葺民家を訪れた庭に石臼を置いてあった。

家の人に聞いてないが使っていないと思う。多分庭の飾りにしているのではないか。受け皿が付いているので豆腐を作るのに大豆を潰して豆乳を作ったのか

米粉や黄粉を作るのに石臼を回すのを手伝わされた。

時間の掛かる割に大した量ができなかった。しんどい夜なべの作業だった。

今ならば米粉やそば粉、ハッタイ粉も安いし買った方が楽だ。

石臼の石は花崗岩が加工しやすい。上下の臼のあたり面には小さな溝を切ってある。

そこに入った穀物を押しつぶし粉にする。家庭用の電動製粉機は穀物を砕いて粉にする。

そば屋など石臼の粉を売り物にしているが味に差があるのだろうか。

穀物の食べ方は粒食 粉食 糊食があると書いてある。

米や麦を焚いてご飯で食べるのは粒食 粉にしてパンやうどんやそばに加工するのを粉食 おじやや雑炊にして食べるのを糊食

人類は穀物は籾と皮を取らないと食べられない。籾を取り脱穀した種の皮を剥ぎ食べられるように日々闘ってきたのだろう。米は薄皮は棒で突くなり臼でついて精米できる。小麦は皮が剥きにくいので粉にして食べた。


茅葺民家  佐賀県鹿島市の民家

2018年10月18日 | 茅葺き民家

鹿島市の長崎本線の裏側に重ノ木集落がある。

茅葺民家が10軒ほどあった。今も少しは残っているかもしれない。

人々が暮している中にカメラを持ち入っていく。

地域住民に撮影禁止の立札を立てられたらこんな趣味は継続できない。

鉄道ファンや桜やネイチャー写真のように茅葺民家は撮影者がいないから問題にならなかったったのか

しかし、茅葺民家は保存地区以外は段々と減っていく。

もう一度佐賀県に行ってみたいが行動力がなくなった。

この歳になって茅葺民家を撮影してどうなると思ったらだめだ。生きている間は挑戦する気持ちがいる。

下関でフグを食べ夜は久留米ラーメンを食べる。別府に回り温泉に入り二泊三日のコースか 


日本茅葺紀行 NO,475 小屋も茅の民家

2018年10月16日 | 日本茅葺紀行

撮影場所 岡山県新見市 母屋と小屋も茅葺民家 もう無くなっている。 一日一日は長いが10年20年はあっと過ぎてしまう。 10年20年で時代は大きく変化している。 過疎化高齢化、集落の存続が厳しくなってきている。 地方の人口は年々減少している。 平日に新見市の草間に蕎麦をたべに行った。 山の上で平日では客もいないであろうと思った。 30人は客がいた。蕎麦打ちの体験にマイクロバスで来ているのだ。こんなに客が来ているのは嬉しかった。オヤジさんも頑張って続けるのだろう。パートのオバサンも働けるところがある。

年に何回か食べにくる。どこから来ているか聞いたら岡山や倉敷.笠岡から80キロも走って食べに来る。美味しい物があれば人は遠くからくるのだ。過疎地でも生きるすべはあるのだ。

その後、北房町にコスモスを見に行く。今年は台風などで遅れている。途中、新見市で唯一の茅葺民家がトタンを掛けて無くなっていた。こんなのを見ると虚しいものだ。

 

 


カーナビに欲しいAI

2018年10月15日 | 日記
カーナビは使ってみると色々不便なものだ。

細い道に誘導されたり右折というので曲がったら手前だったり高速でも間違って降りた事が何度もある。カーナビの道案内の音声のタイミングと性格を知っていないととんだ間違いを起こす。

行く場所がひらがな入力で一字間違うやり直し。例えばお寺の観音寺を入力するのに「かんおんじ」では駄目「かんのんじ」と正確にいれないといけない。
パソコンなら間違いではとか標示されるし少々違いは大目に検索してくれる。

兎に角カーナビは融通が効かない。石部金吉である。
お寺を回っていて知らない土地のお寺や公園の呼び名は正確に知らない。
あなたなら何と読みますか

神恵院・・・・・・じねんいん  じんけいいんでなかった
三角寺・・・・・・さんかくじ  みすみじでなかった
本山寺・・・・・・もとやまじ  ほんざんじでなかった

琴弾公園・・・・・ことびきこうえん  きんぜんこうえんでは検索出来ず

大興寺といれたら39キロ離れた場所を案内する。よく見たら大興寺は二か所あった。
年寄りはタッチパネルの押し違いがあったり踏んだり蹴ったり

三角寺は対向できない細い山道を走る事、もっと近くにいい道があったのに着いて聞いたらわかった。安全第一で案内してほしい。
もっと運転手の要求が分かるように進化してほしい。今ならば助手席の者が地図を持ち標識を確認しながら走っている。

それにしても車で見知らぬところに旅行するのは年寄りにはリスクもあると嫌うが脳の活性化にはこれほどいいものはないと思う。状況判断、危険予知 地図地名の知識 方向の確認

蒸気機関車 筑豊線のD50

2018年10月15日 | 蒸気機関車
筑豊線をD50型蒸気機関車が客車を引いて通過していった。
筑豊線はNHKの新日本紀行に何度かでている。
アーカイブで深夜に新日本紀行に登場した蒸気機関車が放送される。
何度も録画して見た。
新日本紀行は昭和38年から昭和57年に放送されたが余り真剣に見ていない。
結婚するまでテレビを持っていなかった事もある。
これを見ていれば撮影の仕方や編集の仕方、題材の発見方法をを学んだと思う。

今もアーカイブやDVDで見られるが50年以上前の事を知っても今はないし残念さばかり募るので諦めて見ない事にする。

人生には出会いのチャンスや金儲けのチャンスがいくらでもあったがことごとくそのチャンスを失っているのだなあと思う。


懐かしい物 スカートと自転車

2018年10月14日 | 懐かしい物
古い町並みの写真を撮りながら通行の女性の自転車を撮っている。建物も古い。
昭和40年代はミニスカートブームで若い女性のスカートは総じて短かった。
今はどうだろう自転車の乗る人は成人の人はズボンを履いているのではないか。
今の高校生は短パンをを履いていてスカートがめくれても気にしていない。
昔は車を運転していてパンツの奥まで見える事もあった。動体視力の良さを試される瞬間だった。

スカート姿は高校生か小.中学生くらいのものだろう。
地方に住む女性は500メートル位でもマイカーに乗っていく。
自転車を持っていない家庭が多い。

介護施設の隣に公園がある小学生の4年生くらいの女の子が階段を下りていたらスカートが手摺に引っかかり一メートルくらいの高さから転落した。介護施設の看護師が怪我や頭を打ってない確認に行った。幸い問題はなかったが遊具で遊ぶ時はズボンがいい。
子供には紐やマフラーも首を吊るので危険だ。

女の人もみんなズボンにしたら行動もしやすいし性犯罪も少なくなると思うが姿勢と行儀をよくするためにスカートは必要なのだそうだ。
スカートだと大股を広げるわけにいかず内転筋が常に鍛えられて姿勢がよくなるそうだ。
病院の控室で観察しているとスカート世代の中年は膝を合わせて姿勢がいい。歳を取ると筋肉の衰えもあり股は閉められないが