被爆から70年目を過ぎる、東京新聞によると原爆を含めて日本全土で非戦闘員である国民の被爆死者数は41万人を超えているそうだ、そのうち広島の原爆被爆者は14万2430人おそらくこれからも増え続ける、
広島の式典でこの日を「平和記念日」と言うそうだがこの日を戦争と核兵器を無くそう、「地球に平和と」と言う祈りをこめての記念日と言う日にしたのではないかと思う、世界の風潮は一部の地域を除いて国際間の紛争は対話で解決を目指し戦争は無くそうと言う方向に向いて来ているにも拘らず唯一の被爆国であり人口が半分に、経済はどん底に喘いだはずの日本は突然戦争が出来る国になろうとしている、
「平和記念日」はまだ「日本が戦争のない平和」を確立できた日とは言えない様になってしまった、「平和記念日」を「平和祈念日」としてこれから恒久的な平和を祈るための記念日として人間社会の祈りとしたいと思う、
当時から一般民を標的とした攻撃は国際法で禁止されていたが日本軍が中国重慶などで「軍事施設に協力している民間人は軍事施設」と言う理屈で民間地帯を爆撃していた事もあり当時のアメリカ軍カーチス・ルメイ少将が指揮をとり3月10日の東京下町大空襲を行ったと言う、東京だけで民間人10万7千人以上が焼死もしくは爆死している、制空圏も制海圏も失った日本はこの後太平洋岸の都市は艦砲射撃にさらされる
浜松では三方原に航空隊があった事もあり海岸から遠い地域から照準をして徐々に海側に砲撃を加えると言うまさしく虐殺をおこなっている、
そのカーチス・ルメイ少尉はその後勲章を授与されて英雄とされていると言う、東京裁判でA級戦犯とされた東条英機等が靖国神社に合祀されている事で靖国は戦没者慰霊とは認めないと言うアメリカだが日本としては明らかにハーグ条約に反した命令を出した軍人を英雄と称するアメリカの記念式典こそ厳重抗議をすべき事になると思う、
「日本を降伏させるのに原爆投下は正しい選択だった」と言う年代のアメリカ人は徐々に減って今の若い層は「あれは間違いだった」と言う意見が多数になってきたと言う、日本国内ではこの逆の状況が懸念されてならない、冷静に記録を見直せば当時の日本軍政府は「黄色い白人」を目指した、或いはアジアの覇者として白人に対抗する事だけを考えて行動していた事は明白ではないだろうか、虚心坦懐、我々の少し前の世代の行った事を見直し、考え直しその結果を受け止めてその上で米欧の過誤を正すのが本道だ、