何処かで生活保護を受けて居る母子家庭の女子児童が奨学金を受けた事を理由に生活保護を打ち切ると言う裁定をしたと言う、その事に関して国の方から「奨学金は生活に関する所得では無いので生活保護打ち切りを取り消す」と言う命令が出たと言う、
余りに当たり前すぎる、この担当窓口はどう言う感覚で生活保護世帯の裁定を行っているのだろうか、生活保護申請をしないで電気も止められて餓死をするといった事例が多々ある、母子家庭になって仕事も無くやむを得ず窓口に行ったら殆ど玄関払いの仕打ちを受けたと言う話も聞く、確かに不正受給者も後を絶たないこともあるやに聞くが不正受給を厳しく監視すると言う事で敷居を高くすると言う事とは全く違う、
貧しいと言う事は現象と言うより境遇である、そして此れはその境遇になってみなければ実感として解らないだろう、言い古された言い方だが「虫歯の無い人間に歯の痛みを理解させる」位の物が有る、
貧困は生活保護を必要とする程度まで落ちると抜け出すのは非常に難しい、だからそれは結局「貧困の連鎖」になる、貧困家庭に生まれた子供は義務教育すら困難な状況が多い、
特に母子家庭では高校の学費どころか江戸時代の様な「口減らし」の状況にある、しかし学歴がなければそのまま社会にでても不利な条件で職業を選択する事になる、そしてまた貧困は継続してゆく、
自治体の社会保障窓口はせめて「貧困生活」を理解し想像できる者を配置すべきではないか、出来るなら生活保護家庭から採用する位の措置が欲しい、ネットに出ている「ナマポ」等と言う輩を窓口に置いたら生活保護の精神である「人間として最低な生活」を憲法が保証すると言う事が機能しない、
アベノミクスは結局又貧富の差を広げただけだったが此れは当然で一旦企業に入った利益が溢れて来るなどと言う事はアメリカ式自由主義ではおきる訳も無い、社会主義が性善説に依存しない限り成り立たず、経済発展はありえないとしているアメリカ自由経済主義は新経済論を待つ事も無い、金を集める事が正義であり、稼げない人間は愚民で淘汰されても仕方ないと言う理論が多民族国家で未だ僅か350年しか経っていない文化しかない国の論理だ、しかし経済では圧倒的に金の力が物を言う、「悪貨は良貨をを駆逐する」と言う事になる。
2000年の歴史は滓もあるがその時間だけの熟成もある、アメリカが文化を理解するには未だ時間が掛るだろう、