梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

愚痴かね、やな世の中だ

2016-01-08 11:45:25 | 雑記
昼食の為に事務所を出て駅に向かう、歩道を歩いていたら向こう側から70歳代と見られる女性が3人向かって来た、歩道の幅は2名が並んで歩く事がいっぱいと言った程度だが彼女達は三角形に並んで話しながら進んで来る、
段々近づいたが道を開ける気は無さそうだ、仕方ないので道路に接しているビルのエントランスに避けて通過するのを待つ事にしたのだが、彼女達はそれが当たりまえの様に私には一瞥もくれずにこやかに談笑しながら通り過ぎた、
私の方は一人で歩いているのだから此れ以上道を空けようが無い、彼女達は3人で横に一杯になって居るのだから一旦縦になってくれるのが当然だと思うのだが全く動じる事は無い、そのままぶち当たるつもりで進んでも良いのだがまあ脇に避ける場所が有ったので道を譲ったのだがさも当然の様な顔で通過されるといささか不愉快になって来る、
そんな事を考えながら駅に向かい改札に上がるエスカレーターに近づいたら偶々右手から保育園の園児が保母さんに引率されて歩いて来た、20人近くだが園児なので通過するのには時間が掛る、昼時なのでサラリーマンがエスカレーターの前で園児の通過をまっているのだが此れ又保母さん達は待っている人に頭を下げるどころか目も向けない、
あれで園児達は真っ当な社会常識を得られるんだろうかと思うと先ほどの事と併せて更に不愉快な気分になって仕舞った、
そんな日は同じ様な事が続く、仕事を終えて帰宅しようとバスに乗る、2~3番目の停車場での事で有る、待っていた乗客を乗せドアを閉めて発車しようとウィンカーを上げたバスがブレーキをかけドアを開けた、見ると20歳代の女性が前方から走って来る、
バスなんだからこんな事はよくある話だが彼女はやはり頭を下げるでも無ければ「すみません」でもなくカードをタッチすると当たり前の様に乗り込んで来た、
古い人間としては「もう少し社会に対して謙虚に生きられないのか」と言う気持ちがある、
私には姉が要るがずっと若い頃此れに近い話をしたら「何で私が遠慮して生きなきゃなんない」と言われた事があったがそれは「相手に遠慮すると言う事ではなく社会と言う他人に謙虚に生きると言う事だろう」と喧嘩になった事があるが、女性と話しているとこう言う論法の返事が返って来る事がある、
自分が不愉快になる行動は相手も不愉快になると言う事が何故解らないのだろうか、「虐め」と言う行動はこの視点が全く見えない、一対一の関係では出来ない事を衆を頼んで「相手が嫌がるのが面白い」と言う理解出来ない行為を繰り返す、日本はどうなってしまうんだろうか