国会答弁で安陪総理が集団的自衛権に国民の反対が多いと言う質問に対して「引き続き丁寧に説明してゆきます」と答弁をしていたがそれは「国民の大半が納得していない」と言う事を自覚していると言う事になる。
国民も野党も納得していない事に対して「説明している」がだれも納得していない、しかし議席の数で強引に成立させた後で「丁寧に説明」すると言う、自分の意見が理解されていないが数があるから強引に成立させた後で「説明する」と言うのは明らかに本末転倒だ、丁寧に説明し皆の賛同を得たから成立させると言うのが国会運営だ、このやり方は「言い訳をする」と表現する、何度説明されても理論破綻している、その上で「説明を聞いたが反対だ」と言っているのだ、国民の大半だけでは無い近隣アジア諸国からも懸念の意見が出ているのにもかかわらず強行採決をする、
自民党は自浄能力がないのか、前の自民党は暴走を止めるだけのバランスが有ったが今の自民党には全く見られない、政治が権力であるはずはない、政治は責任だ、個人で負いきれる訳もない大きな責任なのだが阿部信三氏は「私が責任を持って」と言う、国の将来に対して責任を負うのは議員ではなく国民の総意だ、少なくとも阿部信三氏の目指す方向に民意は向いて居ない、
有権者は次の選挙で自民党を選んではいけない、政治運営の方向は絶対に自民党ではいけないと言う事ではなく「違憲に耳を貸さない」政党は独裁政党だと言う事を安陪自民党に着きつけなければ彼はさらに好き勝手な政権運営を行うだろう、良く議論し国民の大半が彼の政治に納得すればそれでいいのだ
現政権の運営に疑問を呈する報道に「公平な報道を」と言うのは「安陪政治に賛同する報道以外は出してはいけない」と言う事でそれこそ「公平な報道」では無い、許認可までちらつかせる、そのうち大正時代の映画館の様に「弁士中止!」とでも言いそうな雰囲気になってきた
最近は新聞も国会中継も精神安定剤でもなければ見続ける事が難しくなってきた、頼みの野党も自党の権利を優先し全くまとまらない、「敵の敵は味方」と言う事くらい理解し取りあえず安陪政権を引きずりおろしてほしい、いまの状況では自民党が分裂でもしない限りあとを託せる政党が見当たらない
次の選挙で安陪政権が勝利したらゼネストも辞さない位の民間組織が欲しい、
国民も野党も納得していない事に対して「説明している」がだれも納得していない、しかし議席の数で強引に成立させた後で「丁寧に説明」すると言う、自分の意見が理解されていないが数があるから強引に成立させた後で「説明する」と言うのは明らかに本末転倒だ、丁寧に説明し皆の賛同を得たから成立させると言うのが国会運営だ、このやり方は「言い訳をする」と表現する、何度説明されても理論破綻している、その上で「説明を聞いたが反対だ」と言っているのだ、国民の大半だけでは無い近隣アジア諸国からも懸念の意見が出ているのにもかかわらず強行採決をする、
自民党は自浄能力がないのか、前の自民党は暴走を止めるだけのバランスが有ったが今の自民党には全く見られない、政治が権力であるはずはない、政治は責任だ、個人で負いきれる訳もない大きな責任なのだが阿部信三氏は「私が責任を持って」と言う、国の将来に対して責任を負うのは議員ではなく国民の総意だ、少なくとも阿部信三氏の目指す方向に民意は向いて居ない、
有権者は次の選挙で自民党を選んではいけない、政治運営の方向は絶対に自民党ではいけないと言う事ではなく「違憲に耳を貸さない」政党は独裁政党だと言う事を安陪自民党に着きつけなければ彼はさらに好き勝手な政権運営を行うだろう、良く議論し国民の大半が彼の政治に納得すればそれでいいのだ
現政権の運営に疑問を呈する報道に「公平な報道を」と言うのは「安陪政治に賛同する報道以外は出してはいけない」と言う事でそれこそ「公平な報道」では無い、許認可までちらつかせる、そのうち大正時代の映画館の様に「弁士中止!」とでも言いそうな雰囲気になってきた
最近は新聞も国会中継も精神安定剤でもなければ見続ける事が難しくなってきた、頼みの野党も自党の権利を優先し全くまとまらない、「敵の敵は味方」と言う事くらい理解し取りあえず安陪政権を引きずりおろしてほしい、いまの状況では自民党が分裂でもしない限りあとを託せる政党が見当たらない
次の選挙で安陪政権が勝利したらゼネストも辞さない位の民間組織が欲しい、