梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

酒場遍歴記 ひょうたんクラブ

2017-06-26 09:29:51 | 昭和の頃
昭和50年頃に戻る、その頃私は川崎に住んでいた、職場は大田区だったので車で通っていたので殆どは川崎で飲み歩く事になる、
その当時に行って居たのが前述の「さわ」だったがこれも前述の喫茶「C」で知り合いになった見た目やくざ者の「ミヤちゃん」が小料理屋を探していて適当な貸店舗が住まいの近くだったと言う事で今で言う「マーケットリサーチ」をしたいから「付近の飲み屋を案内してくれ」と言うのである日家の周りの寿司屋や焼鳥屋、スナックを廻る事になった、
最後に寄ったのが「さわ」でかなり出来上がっていたミヤちゃんが「大丈夫だ、此処で店をやる」とご機嫌になったのがママの逆鱗に触れて前述の「二度と来るな!」になったわけである。
ミヤちゃんは黙っていると親分が「近くを歩くな、やくざもんに見られる!」と言われるくらいの雰囲気だが笑うと実に人懐こい顔になる、
一時新橋の「ひょうたん」と言う店で包丁を持たせてもらったくらいだから仕入れも調理も結構のもので確かに川崎付近ではあまり無い小粋な店になった、
それからは此処が居所になる、最初は物珍しさで多様な客が来るがこの辺りの店は焼鳥屋がほとんどで刺身と会っても近くのスーパーで仕入れた赤身と烏賊程度しかない、
ひょうたんでは毎日川崎北部市場でミヤちゃんが仕入れてくる魚が出る、良い物が出るが当然その分値が張る、
客は段々決まって来て大工の棟梁とか民謡のお師匠さんとか言う客になって来たのだがその内薬のプロパーの連中が常連になる、
ドイツのブリストルマイヤーズと言う製薬会社だが一般的な市販薬ではなく病院に卸している会社で大学病院やら公立病院が殆どの営業職で「セールスマン」とは言わないらしい、
大きな声では言えないが「医者の接待」は物凄いらしく担当医師によって個人的に使える接待費が300~800万(月出である)らしい、
接待が終えた後互いに愚痴をこぼす店としてこの店が選ばれたのはくちの肥えた連中が満足する店として認められたうえやはり親父とおかみの人柄だろう、
その後彼らは殆どがシェーリングと言う製薬会社にヘッドハンティングされたが移った連中と残った連中が一緒に飲んでいた、
12~13人位で未だ独身者も3人ほどいたが残りも子供は未だだったり未だ居ないと言う連中だったが子供が小学校になる前頃から家族を連れて来るようになり、餅つき会やバーベキューかをやったり、夏は毎年海に泊まり込みで行く、
ミヤちゃん夫婦には子供が居ないが子供が大好きで人懐こい笑顔で子供達も纏わりつく、
私もその頃は結婚する気もなくミヤちゃん夫婦と「最後は同じ老人ホームで麻雀でもしよう」と言っているくらいだったが、私も子供が好きで一緒に海に行くと親達が海の家に入った途端飲み始めるのを傍目にミヤちゃん夫婦と私が子供を泳ぎにつれて行っていた、
私が肩車と両手に一人づつ連れてゆくとミヤちゃんは保育園の教師よろしく「ハイ。並んで」と砂浜に連れてゆく、毎年色んなイベントは「ひょうたん幼稚園」と言われていたが
その子供達も今では子供が居る、
私も孫が出来、ママさんも40を超えてから妊娠し客から「便秘だろ?」とか言われながら男の子を設け「一緒に養老院」は自然消滅したが15年ほど前にミヤちゃんは鬼籍に入ってしまった、
彼だけは本当に一緒に老人ホームに行こうかと思う位良い友人だった、私より8歳も年嵩で失礼かもしれないが許してくれるだろう