梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

酒場遍歴記 おうちゃんの処

2017-06-07 09:20:29 | 昭和の頃
一番の飲み友のMさんが結婚してからはスナック通いは終了し、夕飯と兼ねた晩酌はよっちゃんの処から少し離れた「中野」と言う店に替わる、例によって呼び名は亭主の「おうちゃん処、
ここも飲みの大先輩K氏の紹介で時々飲みに行っていたのだがこの頃から此処が行きつけになる、
バス通りから一本入った処にある目立たない小料理屋と言う体の店はオールカウンタ―で8人程度でほぼ満席になる、
入り口は全体がガラスの引き戸でカウンターは入り口に沿って6~7人程度座れる、右手に曲がった分が3人座るとちょっと狭いかと言う位でそこが空いている限りは定席にしていた、
白木で良く手が入っている一枚板のカウンターの中に居る店主は小柄で柔和な笑顔の亭主で無口だが愛想が良い、「らっしゃい!」から「今日はこんなのが入ってるよ」程度の会話は此方から声を掛けない限り放っておいてくれる、
客層も大体顔見知りがが「どうも」か軽い会釈程度で客同士の会話も程よい距離で何をしている人かなどと言う無粋な会話は無い、
自分で言えば定席を分け合う事の多かった年配の女性と世間話をする位だが彼女の苗字も仕事も知らなかった、マスターも含めて客の顔は知っていてもおそらく愛称しか知らないんじゃないかと言う店だった、
料理も作り置きの煮物以外は刺身も揚げ物も注文してから調理して出してくれる、材料を見て勝手なことを言っても「あいよ」と作ってくれた、端っこを試食して気に入ると「いけるね」とか「こりゃ俺にゃ駄目だ」と言う様な店だった、常連が見ていて「俺にも作って」となって何となくメニューになったものもあった、
大抵は今では当たり前にあるものも当時は無かったものもある、まあ異論もあるだろうからここでは控えよう、
冷やしトマトを頼んだついでに生のピーマンを細切りにして味噌を添えて出してもらい
赤刺しと青刺しと言う呼び方をしていたらいつの間にか結構色んな客が頼んでいた、
その頃付き合い始めていた今の女房と週末飲みに行く事が多くなったのだがこいつがまた悪い冗談をやる、
メニューに天婦羅が有るのだが誰か注文するとわざわざ暫く時間をおいて「マスター、野菜の天ぷらをお願い」と頼む、それが毎回と言う位誰かが頼んだら時間をおいて頼む
無論私にはこっそりと「もう少し油が冷えたら」と言っていたのだがそのうち流石に亭主も気が付いた「もしかしたら油が下がったのを待って頼んでるだろ」と笑って言われ「解った?」と笑って居たがこんな悪戯が多い
4年位通った所で「一度やりたかった」と言うクラブ形式の店を蒲田駅近くで開店したが彼の性格ではやはり若い女の子を使いこなすことは出来なかったのだろう、1年ももたず閉店してしまいその後は解らない、
あのまま続けてくれたらなと言っているが今ではああ言う店は無くなってしまった