梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

貧しいという現実は洒落にはならない

2020-02-06 09:52:02 | 雑記
テレビのバラエティと言うのはあまり見ない、
数少ない番組の中に「踊るさんま御殿」と言う奴がある、
くだらないのだがさんまのトークでゲストの意外な面が出されて面白く話が盛り上がる、
毎回いろんなテーマで進むのだが前回は「貧乏芸人と金持ち芸人」と言うテーマだった
(本当かな?)と言う内容でそれ自体を信じて観ているわけではないので真剣に言う話ではないのだが見ているうちに何かもやもやとしたものが浮き上ってきた、
自分は自慢じゃないが筋金入りの貧乏だった、
敗戦直後の生まれで日本全体が貧乏だった時代だがそれでも特筆出来るくらいの貧乏だった
貧しいという状況の中で一番辛いのは「ひもじい」と言う事だった、
延々と腹が空いていた、一食が満足するほど量が無い、そして”次が何時来るか確信できない”
ただ廻りには同じような友人も何人かいた、そのことが一般と乖離したという意識はそれほど感じなかった、
色んな報道では現在でも一日に三食がまともに取れない子供がいるらしい、
「子供食堂」と言う取り組みがなされている、しかしこんなことを民間の善意に頼っている事も情けない話だが政府にとっては認めたくない現実なんだろう、
あまり大きく取り上げられないがこの令和の時代にも「餓死」がある、
社会があの当時とは大きく違う時代に「ひもじいい」と言う生活は我々の時代とは違う精神的飢餓感があるだろう、
この生活をしている人達には「貧しい」と言うのは洒落でも冗談でもない、
今風に言えばギャグでもジョークでもなく「リアル」である
落語の世界では「貧乏人」は大体主役だ、「長屋の花見」でも「ラクダ」でも貧乏人である
しかしこの世界でも熊さん「おっかあ晩飯はなんだ?」の生活である
水をすすって「なんか食べたいね」と言う生活ではない、が貧乏と言うのはそういう世界である
芸人が明るく楽しく貧乏生活の思い出をはなし、さんまが上手に笑いに昇華する
しかし、貧乏と言うのは笑い話にはならない、ギャグではなくリアルである
もやもやとした気分はそんな事が頭に浮かんで来て(こういうかたちで笑っていいのか)と言う気持ちが湧いてきたせいだろう