梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

根性なしの言い訳

2024-08-18 10:49:15 | 昭和の頃
夏の甲子園が行われている、毎年暑さが厳しくなる中で真夏に行うのは危険ではないかと思うのだがどうやらやっている球児たちにはやはりこの真夏の甲子園が夢の舞台の様だ、
自分は中学校を下りるとすぐ働きだした、甲子園の熱狂放送を聞くと自分の中で燻るような気持ちがわいてきたのを思い出す
丁度その頃舟木一夫の歌った「高校三年生」と言う歌が一世を風靡し、学園物と言うジャンルが大流行となった
「仲間たち」とか「卒業旅行」とか(題名はすこしあやふや)次々とヒットしてラジオから引っ切り無しに流れて来た
朝から作業着で油にまみれて汗をかいて、暗くなって寮に戻る生活の中で中学校の友達を思い、映画の中で楽しそうに友達と遊ぶシーンを見る度にもやもやとした感情はくすぶり続けていた
その頃の自分は劣等感の塊とまでは言わないが大きなものを抱えていた、
しかし、本人は劣等感が有るくせに努力をしないのである、
今考えれば全く“こんじょなし”のぐうたらだったのである
同じ様な諸兄諸氏は幾らでも居た、そして夜学に通い大学も卒業して一端の地位に就く人も多かった
かくいう庶民総裁と言われた田中角栄氏も確か独学で総理まで上り詰めた筈だ、
しかし、である、良い訳ではないが自分がそうやって努力の結果ある程度の地位まで登れたとしたら恐らく本当に嫌な奴になったんじゃないかと自覚できる
努力が続けられない、誘惑に負けるぐうたら野郎と自覚するからこそ努力が足らない若い連中にもある程度優しく出来る、
そんな所に上り詰めて居たら子供達も大変だっただろうと思う、
はい、言い訳です、え~え、76年生きて来た自分に言い訳です
でも本当に後悔はしていません、したところでもう一回やり直しなんぞ出来る訳もないし、
もしあの時も戻ってもやっぱりおんなじ事を繰り返すんじゃないのかね
それでも子供にも孫にも、更に曾孫にも恵まれて、貧乏でも何とか雨風を(酷暑も)凌げている、後悔する事なんか何にもない
強がりでもなんでもなく本気にそう感じる事がささやかな幸せなのかもしれないね

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