梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

軍歌の思い

2014-06-10 18:00:56 | 雑記
戦場からの絵手紙と言う記事を見かけた、満州から沖縄前線に移動し終戦直前に戦死した着物の絵付け師だったそうだ、戦場の悲惨さを避けて現地の風景や日々の様子を綴って送られている、
そこには現地の人たちとの交流も垣間見られる、沖縄戦線に移動してからは僅か3通で最期を迎える、そのお孫さんが絵手紙を追いかけてまとめられていた、
この記事を読んでいると当時の軍歌を思い出した、日本の軍歌は哀愁がある、正確に軍歌ではなく戦争に臨んだ、或いは引き出された庶民の愛唱歌だからその分勇ましさより心の襞がにじんでいたのだろう、
「さらばラバウルよ」と言う歌詞の歌、「愛馬行進曲」「勝ってくぞと勇ましく」でもその歌詞が持つ思いは何時も故郷であり父母や妻子である、「私のラバさん酋長の娘、色は黒いが南洋じゃ美人」「波の響きで眠れぬ夜は語りあかそうデッキの上で」、この歌をどう言う気持ちでどういう場面で彼らは歌ったのだろうか、
家族を置いて遥か彼方の異国で恐らく涙を流しながら歌ったのではないか、
「なぜここに居るのか」と言う疑問と悲しみは彼ら以上に現地の人々は強かったのではないか「なぜ、この連中は此処に居るのだ」と言う気持ちは今の沖縄県民の気持ちを数倍にすれば想像がつく、絵手紙を書いた人も、「こんな処に居たくない」と思い現地の人たちの苦しみを見れば「我々は何をしに此処に居るのか」とも思ったのではないか
そこに居る人も、居られる人達もだれも望まず、悲しみと怒りだけが交錯する状況を作り上げたのは一体誰だったのだろう、多くの犠牲者をだし、他国の領土と人々に傷を負わせ日本はぼろぼろになった、一部の軍事政権責任者は戦勝国による軍事裁判で裁かれた、しかし他の国の領土に土足で踏み込んで他の国の人達を支配する事は人間裁判で裁くべきだ、その行為その物を目的にする組織こそが軍隊である限りそれは矛盾している。
本来それは赤紙一枚で殺人者に仕立てられた国民が裁くべきものだったのではないか、それでなければ裁かれた側に(軍事裁判は違法だ、我々は正しかった)と言う意識がずっと残ってしまう、その意識が今の安陪政権を当時の「強い日本」という幻想に走らせているのではないか、どの国の人間も他国の領土に軍靴で踏み込んではいけない、それをするのはそれをしたくない人間でそれをやらせたい人間は決して軍靴を履かないし銃を撃たない、そんな事は意図して居ないと言っても何時でもそうできる法律を作ると言うのは必ずそう言う方向にはする危険が有ると言う事だろう、アメリカで「自らを守るのには拳銃の所持は必要だ」と言う法律の為に一般人が突然乱射する事件を起こす事を見ればその危険性は明らかだろう、集団的自衛権の問題は確か脅威に米軍を頼る日本のポジションは矛盾していると言われても仕方有るまい、しかし国民どころか野党、連立与党、さらに自民党内にまで慎重論が有るにもかかわらず強行採決するのはまさに暴走老人に刃物と言う感が否めない、
国民の意見をもう少し聞いたうえで進めるべきではないか


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