梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

酒場遍歴記 居酒屋と言う名前の居酒屋、アメリカの友人達

2017-06-22 10:44:16 | 昭和の頃
所帯を持つことになって引っ越した所は何もない、恐らく今では建築不可能な一種住専地域で高度制限が3階までの処だが何しろ一番近いコンビニまで1kmはあると言う処、
当然近辺に呑み屋は無い、
夫婦とも呑み助なので歩いて帰れる所に無いかと探した結果10分から15分以内に寿司屋が一軒と中華料理店が一軒、焼鳥屋と居酒屋風の店が一軒づつあった、
一通り飲んで歩いた結果その居酒屋に落ち着いた、昭和の居酒屋風の店の名前はそのまま「居酒屋」だった、
店のつくりも私の行き付けだった店と基本は同じ、ガラスの引き戸を開けると半分はカウンターで小上がりかテーブル席が有ると言う形である、
此処は入ると右手がカウンターで左壁際が小上がりになっている、折り畳みの座卓が3つ置いていあるが座卓どうしの距離は背中がくっつく程度の距離しかないうえに小上がりの幅は胡坐をかいたら残りは土間に足を出さないと座れないと言う位だ、座布団は12人分だがまあ大人ならその半分がちょうどいいと言った所だろう、
煮込みと焼鳥、と言っても基本はもつ焼きである、私はこっちの方が好きだから具合が良い、店主は商社マンがネクタイを外して白衣を着た感じのにこやかな40代位の人だった、
少し親しくなって聞いてみたら全く想像通り大手商社マンが脱サラしてやっていた、
引っ越すまでの15年弱毎週週末はここに通っていた、
有る時仕事で来ていたエンジニアを二人接待をする事になったが「どこか日本的なところに行きたい」と言うので女房と鎌倉に行った事が有る、(どっかで書いたかもしれない)
鶴岡八幡・大仏・長谷の観音とまわり明月院によって昼を豆腐会席で済ませたが一人は黒人の30代、もう一人は北欧系の30代、彼の身長は2mを超す大男で金髪にひげを生やしている、
どう考えても腹が間に合っているとも思えないので「ディナーを早めにしようか?」と言ったら「お前のいつも行って居る酒場に連れて行け」と言うので「狭くて汚いぞ」と言う事を承諾させてこの居酒屋に連れてきた、
店主の前歴が商社マンだったので通訳は彼にさせる事にして二人を小上がりに押し込んで我々はカウンターで彼らの方を向いて座る、ネド(でかい方)は壁に寄りかかって足を投げ出している、
「いつもの通りにやってくれ、自分たちも同じものをやる」と言うんでビールから日本酒になる、常連たちが面白がって次々とつまみと酒を進めるので彼らも最後の方はホッピーになった、
焼トンと煮込みのコースから刺身、焼き魚と次々片付けて楽しんでくれたようだ、
クレッグと言う黒人は当時ジャイアンツに居たクロマティによく似ているので余計に盛り上がる、刺身につけた山葵を「これはなんだ」と言うので辞書で見たら「ホースラディッシュ」と書いてある、「あんな物が食べられるのか?」と言うので「こいつは辛いから気を付けろ」と言ったら「俺の女房はメキシコ人で辛いのは慣れている」と言うのでそのままくわせたら口を押えて悲鳴を上げホッピーで流し込んで「これはホットではない、シャープだ」と言う、確かに的確な表現だ、「こいつは絶対に女房に食わせる」と言うので「新鮮組」のチューブを何本か贈呈しておいた、
彼らは明くる日早い便で帰国したが会社の通訳が「感謝していたよ、面白い処に連れて行ってもらったと言っていたが“実は口に入れたが喰えそうもない物があったが悪いから飲み込んだよ”と言ってたが何を食わせたんだ?」と言われたが、心当たりは大量にあるので一つだけと言われると特定は難しい、
店主がおごりだと言って出した烏賊腑のホイル焼きだったんじゃないかな?
実のところあれは私でも遠慮したいんだが二人ともニコニコと頷きながら食べていたんで(こんなもんも喰うんだ)と内心感心していたのだが本当は駄目だったのかも知れない

酒場遍歴記 喫茶の先

2017-06-19 11:01:55 | 昭和の頃

行き付けになったリオの女の子達に「今度一緒に飲みに行こうよ」と誘われた
今までの飲み屋と言えば焼鳥屋や小料理屋かサービスする女性のいる所にしか行った事が無い、女性と二人で飲みに言った経験も皆無だ、
第一女性と飲みに行って何を話すんだ?基本的に男同士の話は「女の子」の話が殆どで後は野球か政治だ、若い女の子を相手に「女の子の話」などできるはずはない「女の子の話=あっちの話」だ、
女の子と何人か一緒に行くのは大抵海とか川とかアウトドアである、今度は「飲みに見に行こう」と言うのだ、まあ男だから大変うれしい申し出だ、断る理由もないので一緒に行く事になった、
20代後半と19(だったと思う)女性に着いていった店は殆ど顔パス、「よっ」と入ってゆくと常連らしい連中からも声が掛かる、カラオケの台と薄暗いボックスに曲線のカウンターの中にやたらに目玉の大きい大仏頭のママさんとその弟だと後で聞いた40代のバーテンが居る、どだい自分はあまり話さない酒飲方なのだがみだがこの二人はとにかくよくしゃべる、
賑やかしと言う言葉が有るが「にぎやか」どころの騒ぎではない、ウルサイ、ヤカマシイ、興が乗って来るとわざわざ店の両サイドに移動して店内を交差して怒鳴りあう、仕方ないので笑いながら見ているが他の客は慣れているらしく一緒に笑って騒いでいる、
カラオケが始まると合いの手どころか「あっほい!」とか「あっそれどーした」とか茶々を入れる、周りの連中も大笑いしながら私に「うるせえぞ!※ちゃん(私の事)連れて帰れよ!」と言うが悪いが連れて来たのではない、「俺が連れて来られたんだよ!」、と言い返したりするのが「毎回だ」と言う位行く様になった、
何回行ってもこの騒がしさは変わらない、ある時自分の行き付けと言う事で前述の「よっちゃんの処」に連れて行ったらやっぱり「うるせえ!※ちゃん、どうにかしろよ」と言われたのだが次に一人で行ったら「どうした?今日は来ないのか」と言われたのでまあ本当に嫌われていたわけではない様だ、
その後どうなったかと言うと年嵩の方は未だに一緒に飲んでいる、流石に60代からは多少静かになったと言うか家飲みが主になっている我が愚妻である

酒場遍歴記 喫茶店で 仲の良い夫婦だったが

2017-06-17 07:58:40 | 昭和の頃
勤先の直ぐ隣にリオと言う喫茶店が有った、結構朝早くからやっていたので独り者の自分は朝昼晩と行っていた、
朝は開店準備中から入れてもらって通勤途中で買って来る調理パンを食べさせてもらう、
昼は仕事の打ち上げもまた出前も頼んでいたし退社後は酒で夕飯代わりにしていた、
大抵同じような顔ぶれになるがその中にかなり年配のご夫婦がいた、今考えると恐らく60代ではないかと思うのだが娘さんが未だ20代後半だったのでもう少し若かったのかもしれない、
旦那さんの方は下戸のようで奥さんがウィスキーの水割りを飲んでいたが実に仲がよく傍目にも素晴らしいというご夫婦だった、小さな金型工場をやっているそうで従業員は居なく夫婦で切り盛りをしている言う、友人のSさんがやはり金型工だったのでその話から親しくなり「家に来ないか」と言うような付き合いになった、
一人娘のお嬢さんはハングライダーが趣味だった、ある日箱根からのフライトに失敗して足を骨折したことも有ったが「全くしょうがない娘で」と笑っていたがやはり奥さんは「親の心配もすこしは考えてほしい」と愚痴でもない愚痴を話していた、
その奥さんが突然倒れ入院したと言うので見舞いに行ったのだがそのまま退院することは出来ず亡くなってしまった、
その後旦那さんがリオに来ることは無かったのだが数ヶ月後娘さんが来た、私に「父が行方不明になった、連絡はなかったでしょうか」と言う、
相当落ち込んでいたらしいがある日何も告げずに居なくなったと言う、心当たりは探したがと言って帰ったがその後瀬戸内海の連絡船で乗船したが下船しなかった人の持ち物から連絡が有って娘さんが父親の私物だと確認したという、「おそらく入水自殺では」と警察に言われたと娘さんに聞いたが、四国の生まれかは聞いていなかったな
良い人は早死にすると言うが夫婦仲が良いほど残された方の寂寥感は大きいのだろうな、
まあ下世話の意見は「残ったのが男だと極端に落ち込むのだが女だと元気になる」と言うのもだが見渡したところ確かにそのほうが多いみたいな気もする、
「それがどうした」と言われそうな話だが

最悪な政権だ、何とかしてくれよ

2017-06-16 11:27:44 | 雑記
共謀罪法案が成立した、「中間報告」で採決をしたと言うが「中間報告」とはあくまで中間の状況であり、「審議未了」と同意だ、日本語の意味を無視したやり方である、
此れだけ独断強行の政府も聞いた事はない、彼らはいったい何を目指しているのか?
見え隠れするのは独裁政権ではないか、
しかし世界中、国連からも国内は知識人だけではなく一般庶民からもこの強権政治に多くの懸念が出ているのに強行に推し進めるのは自民党は今後永遠に政権の座に座り続けられると言う驕りがある、
「安倍は嫌だが代わりが居ない」と言うのが実際の処だろうが与党内も安倍一強で党の歴史に汚点を残している彼を何とかしなければこのままでは一級戦犯の東条英機の後を追いかねない、
日本が世界の常識から外れて孤児になりつつあるのは多くのジャーナリストから発信されている、
これまでの「特定秘密保護法」「共謀罪」の強行採決を見ていてこの次も又与党に座るとしたら国民も野党も本当に舐め有られたものである、
成立したと言っても次の政権が自民党でなければ直ぐにこれらの法律を廃案或いは条文を付け加えて骨抜きにすることは十分に可能だ、それなのにこの強硬な方法は「与党の座は渡すことは無い」と高をくくっているのだろう
次の選挙では必ず与党の座から引きずりおろしてやると言う気概を野党も有権者ももたなければなるまい、
野合と言われようとこの独裁政権を倒すと言う一点に野党は協力し大連合でも構わないから政権を取り返してもらいたい、
敵の敵は味方、小異を捨てて大同につく、野党はこの事を理解して戦わなければ野党内の主権争いから纏まらない事を安倍・菅は大笑い、嘲笑している事を理解しもう少し大人に、そしてしたたかになってもらいたい、それが出来ないから民主党はどんどん支持率が下がっている事を理解し「どんな手段をとっても自民党を野党にする」事をお願いしたい


酒場遍歴記 喫茶店で

2017-06-13 09:44:29 | 昭和の頃
その頃は行き付けの喫茶店と言うのが何軒かあり、常連と飲み始めると言う事も結構あった、今のスタンド喫茶とは違いほとんどがボックス席でビールやウィスキー、ジンベースのロングカクテルなんかも置いている店が多かった、
「CO」と言う店はあるディーラーの中に合って基本は車を見に来るお客の為の様だったが一般客も入れる、
マスターは30を少し回った中々の美男子で一度は歌手を目指していたらしい、少し年上の奥さんとアルバイトで切り回していた、
その付近には多くの町工場と、どう言う訳か車のディーラーが4軒もあるが食堂と言うのがあまりない、小さな中華料理店、日本蕎麦の店、鰻屋と定食屋が各々一軒づつ、
この定食屋は味噌汁、ご飯、カウンターの上にあるケースから魚だの炒め物だの奴や漬物を勝手に取る形式の店だが近くにタクシー会社が2軒もあるので朝から酒を飲んでいる運転手が居る店だった、しかしこの辺りで洋食系はこの喫茶店だけだった、
と言っても定番のピラフ・スパゲッティ・生姜焼き・ハンバーグのセットだけだが若い客はこの店に集まる事になる、
余談だがこの店にハンバーグを教えたのは六本木のキッチンカロリーで修業したコックで絶品だった、
彼はその後独立して池上にレストランを出したのでここも我々のたまり場になっていたのだが数か月前に池上の本門寺参道でおなじ名前の店を見つけて寄ってみたら彼の店だった、今はどう言う訳か釜飯屋になっていた、40年ぶりである、「見るかげねえな」とお互いに言い合って来たがあの頃の連中が来たら一度行ってみようかと思っている。
閑話休題
この喫茶店は通常21時が閉店だがここからが我々の時間だ、大抵11時ころまで、休日前は日が替わるまで飲んでいる、ポーカーだのブラックジャックだのを興じたりして飲んでいるのだが飲み時間になると来る連中も結構多く職業も幅広い、
反社会的連中も何人か来ていた、その中の一人にその後私の最良の友人になった「ミヤちゃん」が居る、
彼は五反田のファラオと言うキャバレーの黒服だったがどう見てもやくざ者に見えるのだが全くの気質で宮城の坊主の倅(と言っても口減らしに幼少期に養子になったらしい)
店はある組の組長の持ち物だったが彼は組長に可愛がられていて「お前は気質を通せ」とついに杯はもらえなかったそうだ、
もう一組若い兄弟が居たがこれは看板を持っていたのか知らなかったが彼らともよく飲んだ、「正義の味方」と言うのが彼の決まり文句である時私が「社長の正義は字が違うでしょ?」と言ったのがえらく気に入ったらしい、
そしてその正反対の人種、なんで居ついたのか覚えていないが月に何度か来る眼付きの悪い背広姿中年男性、マスターに紹介されたら警視庁1課の人らしい、
兎に角目付きが怖い、酔って来ると更に怖い、が怖いのは目付きだけで人は良いようだ、
同席して結構くだらない話をして深夜まで飲んでいた、
ある日12時を廻ってから帰ると言う事になったが当然公共機関は終わっている、
マスターが「車で送ってやってくれないか」と言うが自分も結構きこしめている、乗せてゆくのは警察官と言うより刑事だ、しかし本人は「大丈夫、Iさんはどう見ても酔っていない、」とその気になっている、聞いたら家は横浜の青葉区、中山の駅近くらしい、
「万が一検問が有っても俺が居るから大丈夫」と言うので納得して送って行ったのだがおろしてから気が付いた、この状態で検問に掛かったら通行手形はもういないのだ、
幸い何事もなく帰宅したが今考えると大変な事だよな
名前も覚えていないしまあ亡くなっているだろうしまあ、全て時効々、