梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

婆娑羅峠と百日紅

2020-08-13 16:27:37 | 旅行
中伊豆方面から新天城トンネルをぬけ、ループ橋を降りて河津七滝を過ぎ下り坂が緩やかになり始めるところから右に橋を渡り狭い山道を登る、
静岡県賀茂郡松崎町と下田市を繋ぐ県道15号下田松崎線の峠の名前婆娑羅峠(ばさらとうげ)サンスクリットで金剛石と言う意味らしいが何となく好きな名前である
この辺りには姥捨ての伝説があるそうだが峠の頂上付近に小奇麗な喫茶店があったが今でもあるのだろうか、
峠を通り過ぎるとやがて右手が開けてきて小さな谷沢を挟んで傾斜地にポツポツと家が見え始める、
この辺の家には大抵百日紅が植えてあって家まで続く小道にも彼方此方に咲いている
普通の淡い紅も多いが白い花の木も多い、間に混ざって紫色の花も咲いている
この景色がとても好きで、あれから40年近く経ってもう一度今度は写真を撮りに行ってみたくなった、
若いころ友人とこの峠を超えて松崎の方まで素潜りに行ったことが何度かある、
お盆に入ると猟師は殺生を控えるので漁に出なくなるので狙い目である、
東海岸は爪木崎付近まで海水浴客が多いので漁に出なくても小型漁船で素潜りの監視がかなり厳しいのだが西海岸は線路が無いうえに道が狭く砂浜も少ないので海水浴客は少ない、
松崎の断崖を降りるとゴロタ石の海岸があってこの辺りから大瀬崎に向かって潜りながら沼津方面に移動する、
石廊崎から中木と言う小さな港までの海水は驚くほど澄んでいて10m近くの底に沈んでいる王冠が見える位である、
しかしそのせいでサザエやアワビと言った獲物は殆ど居ない、姫サザエがたまにいればいい方で大抵尻高くらいしかいない、
二人で半日潜って蛸が2匹と言う有様だがそれでも塩揉みをして海水で茹でると中々いける、
テントを持って伊東の菖蒲沢から中木、大瀬崎と泊まり歩き結局大瀬崎のやたらに大きい尻高と雑魚ばかりでそろそろ塩を落としたくなって静岡の知り合いの旅館に泊まった、
最後にと近くに潜ったらここで凄い根を見つけてしまったがこれは密漁になるので詳細は×!
その時一緒に潜って歩いた悪友夫婦も既に鬼籍に入ってしまった、
未だ潜れるのだろうか?自転車と泳ぎは体が覚えているので大丈夫だとも、若い時のつもりで泳ぐと体力が追い付かないから危険だとも言うが、それよりなによりこの暑さに既に追いつきそうもない、やはりクーラーの効いた部屋でビールでも飲むのが無難々、

故郷の夏、子供の頃

2020-08-10 15:39:12 | 昭和の頃
一気に暑くなった、まるで7月分を取り返すかのような暑さだ、
全国で猛暑日の街が出ている、昔からこんなに暑かったんだったけ?
「江戸の雨は馬の背を分ける」と言われたそうだが田舎から出て来た私にとっての東京は夕立の無い都市だった、
集中して人が住み、生活行動も田舎に比べれば格段に活発だ、
エアコンの排熱、車の排気熱、人間自体の熱でいわゆる「ヒートアイランド現象」が起きて突然襲ってくる様な雨が無いのか、
子供の頃遠州の山奥、海岸から直線で50kmに満たない距離で標高500m程度の山襞の村では夕立の降り方はまさしく「馬の背を分ける」様な降り方をした、
抜けるような青空の下未舗装の道路は真っ白で土埃が歩く足元に舞い上がる
海の方向に勢いよく立ち上る入道雲から湧き出る様に真っ黒な雲が低い位置を勢いよく進んでくるとたちまち暗くなり雲の下に白いカーテンの様な雨が襲ってくる、
雨の先端が滝の様に進んでくるのが見えると近くにある神社や公民館や小屋の軒下まで必死で走る、
飛びこんだ直後に散水車の様に雨が通り過ぎる、もっともこの頃はそんなものがある事は知らなかったが、
道路はあっという間に水浸しになると巻き上げられた埃の匂いがする、
来るのもすごいスピードだが通り過ぎるのもあっという間だ、でこぼこの未舗装道路に泡立った水たまりが出来るがカチカチに乾燥した道路に吸い込むことはなく瞬く間に乾いてゆくが打ち水をしたような清涼な風が夕立の後ろを吹いて来た、今でもあの村ではあんな風に夕立が走りすぎているのだろうか、
とうの昔に帰る故郷ではなくなってしまった村だが記憶の中では懐かしい故郷は夏でも懐かしい匂いがする、


終戦と敗戦と隷属国家と自民党政治

2020-08-09 10:48:49 | 雑記
終戦記念日が来る、記念日と言う言い方も妙なんだがこれは終戦だが同時に敗戦でもある、 まあ戦勝記念日と言うのはあっても「敗戦を記念する」奴はいないだろうから当然だ、

戦後世代と言われる我々世代は「耐えがたきを耐え忍び難きを忍び・・」と言う玉音放送の言葉と皇居前広場で正座をして皇居に向かって泣いている写真が終戦の日の光景でその後は進駐軍とオンリーの写真、マッカーサーのコーンパイプが象徴だった、

70年もっ経って当時の色んな話が出てくるとやはり「敗戦」と言うより「終戦」だったのが実感だったようだ、 「負けた」と言うより前に「やっと終わった」と言う感情が湧き出してきたと言う、

戦争をやりたかった庶民は殆ど居なかった、国の戦意高揚報道や教育で鬼畜米英を倒せという雰囲気はあった様だがそれも赤紙で大黒柱を徴収され、失い、生活は困窮し最後は空爆と言う命を危険にさらされて考える事すら出来ず飢えた逃げまどい希望があるとすればまさしく終戦 でしかない、

”この戦争さえ終えれば、戦争さえなかったら”と言う状況での玉音放送は「負けた」と言うよりやっと「終わった」と言う気持ちが正直な実感だったろう、

戦争を始めたのは戦争が無ければその存在意義が無い「軍隊・軍人」だ

無論国際紛争、対外外交は緊迫してやむを得ないという部分もあっただろうがある外交官が言っていたが「本当の戦争は外交交渉であり軍を動かした時点で敗戦である」と言う通り話し合いが通せず殴り合いになったら手を出した方が話し合いでは負けだ、

日本は空襲と艦砲射撃の被害は多大に被ったが実際に本土が戦場になったぼは沖縄だけで戦場になった事はない、 しかし大日本帝国は韓国を併合し中国大陸や東南アジアに派兵しそこを戦場としている、

日本にとっての終戦記念日は併合と言う植民地化されていた韓国にとっては確かに「記念日」だという事は納得できる話である、

韓国が話し合いをひっくり返して請求し続ける事は隣国間の発展的な関係を考えるとあまりに政治的ではないとは思うが同時に「終戦記念日」は韓国にとって「解放記念日」であり「戦勝記念日」に等しいという事を我々も理解しなければならないだろう、

敗戦処理から占領終結、朝鮮戦争と言うファクタがあったにせよ戦後の奇跡的復活までほぼ一貫して政治を担ってきた自民党の力は無視することは出来ない 、しかし現在まで安定して続けて来た一党独裁は完全に澱んで腐臭を放っている、

アメリカの属国でそれも隷属国としか思えない様な状況はだんだん酷くなった、欠陥品と言われる戦闘機を何十機も買い、アメリカ自体採用していないイージスアショアが駄目になったら敵基地攻撃能力のあるミサイルを検討しているのは代わりに何かを売りつけられているという意見は説得力がある、

トランプ大統領が「派兵の経費をもっと負担すべきだ」と言っているが奇しくも中曽根総理は「日本はアメリカにとって不沈空母だ」と言ったことがあるがこれはアメリカに対するリップサービスと受け取られて紛糾したのだがそれが駐留軍の本質であり「日本を守る」事が主題ではなく東側勢力が太平洋に出て来ない為の橋頭保でしかない、

生活圏を基地に提供している事は第一次攻撃目標であり最前線である、しかし米軍は出陣をしても二時以降は後方に退去し或いは機動部隊に戦力は移して日本国土を守るための戦力は残すことはしないだろう 、

本当にアメリカ対中国或いはロシアとなればそれこそハルマゲドンだろうから日本の防衛は自衛隊に任せて日本基地被害で痛み分けと言う決着になるだろう、

トランプ大統領・プーチン・習近平と殆どが個人が元凶で国政治自体がそれほどひどいとは思えない、トランプ大統領は次期で落ちる可能性が高いが他の2人は健康寿命が尽きるしかないのかもしれないのが恐ろしい 、

蝉の声

2020-08-04 15:34:58 | 昭和の頃
やっと梅雨が空けて雨空が消えた途端一斉にセミが鳴き始めた

東京はアブラゼミでミ~ン ミ~ンでこっちに来て既に50年を超えたのでおなじみになったが生まれた静岡はクマゼミでシャン、シャン、シャンと鳴く、

子供頃の記憶には景色として青空に入道雲、開け放した部屋から聞くセミの声と宿題だがそのセミ声がいつの間にか「ミ~ン、ミン」になっていた

実際聞いていたのはクマゼミの筈で静岡ではアブラゼミはいなかったはずなんだが記憶の画面ではアブラゼミになっている

夏休みの宿題は毎年「初めに全部終わらせてゆっくり」楽しむつもりではあったが成功したことは一回もなかった、

近くの川で唇が紫になるまで泳ぎ、裏表が解らないくらい焼いて畑からトマトや甜瓜や胡瓜を採ってまるかじりして開け放した畳の上で只管寝る、

河原ではアブに喰われ、家で昼寝していれば蚊に喰われるが物ともせずに寝続ける

風が気持ちよく汗が畳に形を作っても只管寝た 、目が覚めれば夕飯である

おかずなんか殆どない、昼のおやつと同じでトマト、胡瓜、茄子の味噌汁と運よく行商が来れば味噌漬けの鯖か秋刀魚の開き干しの焼いた奴、

それでも麦飯を数杯流し込んで蚊帳に潜り込めばすぐ寝てしまう

テレビどころかラジオも無かった時代、それでも退屈どころか時間は幾らあっても足らなかった気がする

何しろ、宿題する時間なんかどうやったって出て来ない位時間は足らなかった、

雨戸どころか障子まで外して開けっ放しの八畳間に蚊帳をつって寝ているのだから裸電球を消したら外が良く見える、

川を挟んで向かい側の山の稜線に切り取られた空に星が一杯見える、

カジカの笛の様な声が聞こえたり、食用蛙の牛の様な声が聞こえたり、親父が「うるせえ!」という位殿様蛙が鳴き続けたり、ゴイサギの不気味な声が響いたり田舎の夏は結構賑やかなのだ、

もしかしたらゴイサギは季節が違ったかもしれないがまあ記憶なんかそんなもの、 何しろいる訳の無いアブラゼミが鳴いているくらいだからな

夏休みの終えるころになるとセミは日暮に変わってくる、夕方はだんだん涼しい風に変わって来るのだがやはり泳ぎ続ける、やはり宿題はやらない、

後三日位になって大騒ぎで片付けるのだが片付いた事はなかった、

あの頃雑貨屋では必ず「昆虫採集セット」と言う奴を売っていたり小学校何年生と言う雑誌の付録についてきた、

宿題の自由研究と言うのは「朝顔の成長絵日記」か「昆虫採集」が多かったがあのセットの中の注射器と薬液は何だったんだろう、

「腐敗防止」のような事を書いてあった気がするが大体昆虫は腐敗する事はない、 ボール紙の箱の中に虫ピンで止めて作るのだが季節がらセミ以外は殆どいない、蝶は春だしトンボもバッタもイナゴも秋である、

一体何をそろえたのか覚えていない、どころか完成した記憶もない、

あっという間に過ぎた子供時代だが今考えても濃密な記憶の時代だった、 貧乏だったが決して不幸ではない、夢中に生きる事が出来た貴重な時代、今の子供達には想像も出来ないだろうがそれなりに輝いていた記憶の話である

無政府状態

2020-08-03 14:18:51 | 雑記
新型コロナの拡散がどんどん広がっている、

毎日記録は書き換えられて止まるところを見せない

放送も新聞も此のまま行ったらどうなるんだと連日言い続けているが政府は何も言わない、

菅官房長が「検査が増えた分だけ増えている、想定内であり検査が確実に整っている」と発表しているがそれ以外は何もしていない、

「国民の皆さんの自覚と協力をお願いする」と言うだけで何もしない、

そう、何にもしない、国会が閉会したら本当に何にもしない、

政府はあるのか?今まではいる事自体が障害だったともいえる安倍政権は国難になったらいなくなった、

声すら聞こえない、医師会が言っていた様に「コロナには夏休みはない」と言っていたが当然医師たちも休み自体ない、

各界からも「安倍出てこい!」と言われても全く出て来無い、

今日久しぶりにコメントがあったらアベノマスクをつけていない写真についての言い訳だ、

経済を動かさないと皆が困っている、大変なことになるというがその為に保菌者を拡散し、その為医療崩壊になれば経済は根本的に崩れてしまう、

個人レベルで生活を補償して拡散の原動力になっている人の動きを止める事が重要だ、

それは先の緊急事態宣言のあと10日あまりであれだけ沈静化した事が証明している、

まさしく燎原の火のごとく広まっているウィルス渦に自己責任で逃げてくれとしか言わない

山火事が広がっているのに如雨露で水をかけろと言ってはばからない、一斉に消火しなければ努力している人間も火に巻かれてしまう、

臨時国会を収集し的確に対処して貰いたい、「死亡率は低い、毒性は下がった」という様な希望的予想で手遅れにするな、

日本は世界的にも感染者が少ない、しかしその原因がわかっていない限りただ遅れてくるだけかもしれないのだ

予備予算1兆円を早急に発効して生活を補償したうえでロックアウトし、ウィルスを餓死させるしか現状では対策はない筈だ

政治家や高所得層は安全な場所に居ればいいと思っていてもそれ以外の国民が疲弊したら金は食い物にはならない事を知るべきだ、経済活動が止まれば金があってもそれは只の紙切れだ