梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

合コン

2023-02-14 10:30:38 | 漂泊の記
当時の清洲橋
18歳になった頃小岩の借り上げアパートから食堂付きの寮に引っ越した
新京成線の高根木戸と言う所で二人部屋が15室の2階建て渡り廊下でつながった食堂のある新築の寮にである。
これで休日以外は寝るところと3食が保障されることとなったのでいよいよ貯金は残らなくなった、
北川さんと言う夫妻が管理人で10代の女の子が4名で朝食と夕食を提供してくれる、
亀戸の工場までは1時間弱だったが当時のラッシュは想像を絶する状況でピークに乗ると亀戸で降りることが出来ず両国まで行って戻ったこともあったくらいだった
朝食は7時からだったが大急ぎで取って出勤する、
工場の正門が開くのは8時だったので開くまで待つこともあるがラッシュよりましだ、
自分は田舎育ちで繁華街に出るより野原山谷が好きの方だがどっかお調子者の所が有って人に煽てられるといい気分になって色んなことをやらされた
組合に「レクレーションリーダー」と言うのが有って通称「レクリーダー」と言うのだが組合委員から「お前に向いているから」と言われて引き受けることになった、
亀戸工場は基本的には男性工が多い、と言うより殆どが男である
しかし錦糸町と亀戸の中間位に精工舎の工場が有ってこちらは殆どが女工さんである
組合付き合いからそこのリーダーと連絡を取り合って合同で色んなことをやった、
今でいう「合コン」の様なものである、いつの世も需要と供給はマッチする
合同で「クリスマスパーティイーをしよう」と言う話になって高根木戸の駅前の食堂の様な所を借りて計画をした、
この当時は「スナック」と言う形態の店は無かったので今考えるとよくわからない店だったが一階は八百屋や魚屋肉屋が入っている「何とかマーケット」と言うやつで2階が食堂兼飲み屋である
古い記憶なのではっきりはしないが男女合わせて50~60人位が入ってもそれほど狭く感じなかったので結構広かったと思う、
組合からスポットライトと音響装置を借りてきて気分を出そうとミラーボールを取り付けることにする
何しろ電機工場である、部品も技術屋も十分にある、部品のモーターにギヤを取り付けてその先に昼休みに使っているドッジボールをセットし、機械加工の連中がステンレスの切れ端を丁寧に貼り付けて即席のミラーボールを作ってしまった、
これは成功し絶賛されたのだが企画した自分たちは準備に1ヵ月、パーティーがはねてから撤去、清算と殆どパーティー自体は楽しまなかったのだが達成感で充分におつりが来た、
通いの若者達には冷たい眼で見られていた気もするが少し優越感も味わえたものだった


若気の行ったり来たり

2023-02-13 16:31:28 | 昭和の頃
15歳の9月に日立製作所の臨時工になり、半年で試験を受けて正社員になった、
翌年17歳の夏休みに突然思いついて自転車で田舎まで帰る事にする、
寮のあるのは江戸川区の小岩、此処から掛川まではおよそ230㎞位あるが(自転車で帰る)と決めた、
今考えれば無謀どころの騒ぎではない、正気の沙汰ではないのだが(行ける)と信じて疑わなかった、
それも「1日で」行くと言うムチャクチャの予定を立てる、
自転車は半年ほど前に組合の訪問販売会で同僚3人と買った、ブリジストンのドロップハンドルの4段ギヤ車である、
オプションで速度計を取り付けて中川放水路を浦安迄行ったり、木下街道を走ったりして自信をつけていた、
明らかに過信だが兎に角根拠のない自信で本気で思い込んでいた
テントをもって三浦半島を一周すると言う同僚2人と夜中の3時に寮を出る、
横浜駅前で16号線に行く二人と別れ自分は1号線を西に向かう、
戸塚の坂で苦労したがその後は順調に藤沢バイパスから1号線に入って小田急線の箱根湯本についたのは午前8時過ぎ、此処迄100km少し、しかしここからが大変で殆どは押してゆく事になった、
芦ノ湖畔で新潟から来たという同じ年の高校生は1か月かけて山陽道から山陰に廻って帰ると言っていた
背の高い20代の方は富士フィルムに務めているそうで「今日はここでキャンプをする」そうだ
箱根峠まで自転車を押し上げたら午後2時を廻っていた、箱根湯本から6時間、しかしここから三島まで40分で降りてしまった、
清水を過ぎて安部川を渡る頃日は完全に落ちてしまい、東名高速道路のない頃の国道1号線はトラック街道で引っ切り無しに大型トラックが行き交う歩道のない国道を只管走る、トラックの風圧の恐怖とさすがにたまって来た疲労で諦めて列車に乗る事にした、
恐らく(疲れた)と考える力すらなくなっていた気がするが時間が9時を廻って(これは無理だな)島田駅に向かう、
駅の自転車預かり所に預けると東海道線に乗って掛川に、姉の家に着いたのは11時を廻っていた、
鍵のかかっていなかった玄関に入ると起こすのを憚ったのか力尽きたのか上がり框に倒れこんで寝てしまったらしい、姉に起こされた、
「凄い鼾が玄関で聞こえて恐る恐る見に来たら」私が寝ていた様だ、
「兎に角上がって」と言われて「何か食べる?」と言われたのだが疲労困憊すると胃が受け付けない、
西瓜が有ったので半分位食べた、布団を敷いてくれたが火照った体には縁側の板敷が気持ちよくそこで寝てしまった、
あくる日島田に自転車を取りに行き日坂峠を押し上げて掛川に帰り夏休みを自転車で田舎を廻ったので「東京から自転車で帰った奴」と言う話は同級生の間に広がってその後同窓会に行ったときには「今日は自転車じゃないのか」と揶揄われていた、
しかし、車に乗るようになって「なんであの時帰る事が出来ると思ったんだ?」とつくづく思う、よく体力が持ったもんだ
今なら車でも東名じゃなかったらあそこ迄運転するのも嫌になる、
当時は東海道しか思い浮かんでいなかったのだが今考えたら国道246を廻れば恐らく三島まで4時間以下で着くはずだから無事掛川まで行けたんじゃないのか、
それを考えると少し残念な気もするが箱根越えもそれはそれでいい思い出になった
同窓会のはがきを眺めながらこんなことを思い出した


同窓会

2023-02-10 10:56:41 | 雑記

同窓会のはがきが来た、
「月日が経つのは早いもので、中学を卒業して早60年となりました、年齢も75歳となり鬼籍に入られた方も多くなりました」とあった、
何年か前に未だに親交のある友人に「お前は同窓会に出ないのか」と言われたのだが会場になるのは当然だが故郷の町になるので
「時間も金もかけてみたい顔もないからな」と言ったのは正直な気持ちである
広兼憲史氏が「老年になっての同窓会と言うのは自分の人生結果を確かめる為にある様なものだ」と書いていたが解る気がする、
尾羽打ち枯らして同窓会に出る奴はあるまい、
ずっとそこに暮らしている連中はちょっと集まると言う程度なんだが遠いところに住んでいれば結構な負担になる、経済的にではなく精神的なストレスになるのだ、
中学の三年間は家事を担っていたので遊ぶと言う事は殆どなかったせいもあるが友人との関係は学校以外には全くなかったせいでもある、が自分の性格のせいもあるのかもしれない
別に何があったと言う事もないのに故郷を捨てたという言より捨てられたという気持ちがずっとあった、
啄木の「故郷は遠きにありて想うもの、そして悲しく歌うもの、異土の乞丐(カタイ)になろうとも帰るところにあるまじや」と言う歌が腑に落ちたり「石もて追われる如く」と言う言にうなづいたりしていた
そんな事はまったくなかったのだが小学生の頃村では田畑を持たない貧乏人はやはりかなり肩身が狭かった事は否めない
他所から田舎に入るには「大尽か乞食でないと住めない」と言われる様に我が家は「乞食並」と言う扱いだった気がする、
それに輪をかけたのは親父の性格で捨てた故郷に一度は錦を飾り(と本人は考えて行動したらしい)敗戦で一文無しになって戻ったがそのころの気持ちが捨てられず貧乏だが「お前たちとは違う」と言う態度がありありとあったらしい、
毎日それを親父から聞いていた自分にもどこかそんな気持ちがあったのだろう、
故郷は「居る場所」では無い事は体感として持っていたせいもある。
同級生達がそんな気持ちを持っているとは思えないのだがやはり自分の中には忸怩たるものがって中々その気になれなかったのだが曾孫も出来てとりあえず何とか生きていける状況になった今なにも考えないで「懐かしいな」と言いあう事にちょっと気が動いている
まあ、新幹線を使ってまでの価値があるかは若干疑問でもあるが

これが現実

2023-02-07 10:12:17 | 雑記

東京新聞にスシロー事件の記事が掲載された
しかし「SNSの拡散暴走」と言った論調で「教育の問題も・・」と言う様に迷惑行為の問題は副次的に扱われていた、
確かにSNSの炎上の節度のない暴走は批判されても仕方ないが事の本質は到底許されざる迷惑行為にある、
SNSで炎上するとあっという間に同じ様な迷惑行為をSNSに上げて喜ぶ輩が続発している。
迷惑行為と言うくらいだから面白がる奴らの相手は「迷惑を被った被害者」が居る、
それも不特定多数と直接被害者だ、
迷惑行為が今言われる「承認欲求」だという言い方をすればSNSで炎上拡散している連中も根本は同じ「承認欲求」の充足だろう、
この事件を普通に一般紙が取り上げて報道していれば恐らくこんなにSNSでは拡散は起こっていない、
しかしこのような迷惑行為は連鎖して増え続ける、その分被害者は増え続け数年前に流行ったバイトテロでは何件もの食堂やコンビニが倒産させられている
プライバシーを侵す報道に関しての違法なSNSも出るだろうがそれは名誉棄損に抵触する行為だからここまで大々的な現象にはなるまい
「報道されないから我々がする」と言う間違った正義感と言う言い方をされているが一般報道がされない事に腹を立てる事は「間違った正義感ではない、」と言う言い分は解らなくもない、
何よりも「社会全体がこの事を許さない」と言うメッセージと「その事による甚大な被害が出ている」事をデジタル社会だけの問題ではなく一般社会の問題として認識すべきだ、
被害者は確実に現実世界の人間だし愚かな加害者の家族の生活を破壊することを「一般常識」として広く大きく報道すべきだ、
一方では女子駅伝で17人抜きをした中学生選手に本人だけでなく家族友人迄執拗な取材を繰り返しついには次期大会欠場に追込み、このままではカナダに行ってしまうのではないかと言う心配まで出ている
政治家に忖度をし、一部の学識権威者の「加害者養護派」に怯え、一方では被害者のプライバシーを無視し、この様な良い話題を売らんかなだけの取材攻勢をする
報道機関、ジャーナリストを標榜するならもう少し襟を正してもらいたいものだ

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%82%88-%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%81%84%E3%81%9D%E3%81%86-%E3%82%B9%E3%82%B7%E3%83%AD%E3%83%BC-%E7%94%98%E3%81%A0%E3%82%8C%E3%81%AB%E9%86%A4%E6%B2%B9%E3%82%92%E5%8B%9D%E6%89%8B%E3%81%AB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A5%B3-%E3%81%AB-%E6%96%AD%E5%9B%BA%E3%81%9F%E3%82%8B%E6%85%8B%E5%BA%A6/ar-AA17bk2w?ocid=msedgdhp&pc=U531&cvid=90d0bf8d32da479db6649f1cdbb116d8

悪ふざけで済む話ではない、

2023-02-05 12:02:35 | 雑記

元アナウンサーのタレントが「スシローぺろぺろ事件」に
「ただの悪ふざけじゃないか、2~3発げんこつを見舞って許してやれよ」と発言していた、
しかしこの事件はとても悪ふざけで済まされる話ではない
教室や公園で、或いは町の道路でする悪ふざけとは影響が違い過ぎる
高校生だからとても子供の悪ふざけの範疇ではないが小学生にスケールダウンして例えれば給食配膳で食器を嘗めまわして更におかずに唾を塗り付けてクラスに向かって指を突き立てて笑ったと言う事だ、
自分が面白い事が他人に受けると言うとんでもない勘違いをしている子供はどの時代にもいる事は間違いない、
この発想は虐めの発想にも共通しているだろう、虐められる側が嫌がるのが面白いと言う社会性に欠けた発想であり且つ同調する側が囃し立てる事で英雄気取りになる、
しかし狭い範囲の悪ふざけではなくネットワーク時代の拡散性は昭和・平成の時代と違う
学校に迷惑をかけると言う様な狭い範疇ではなく一気に世界に拡散してしまうのだ
クラスメイトや通行人だけの話ではない、
日本中、世界中に不快感と生活環境の不安を拡散し経済に損害を与え更に同じ様な愚かな人間を励起している、
迷惑系ユーチューバーと言う存在がそれで大きな収入を得ているという、
明らかに犯罪行為で逮捕されていても繰り返して高所得者として有名人となる、
SNSには功罪が多くあるが余りにその与える被害は甚大だ、
グローバルなネットワークと誰でも発信できるという時代が生んだある意味「奇形児」だ
海外から闇バイトで犯罪を指示し、それに簡単に応募実行すると言う新しい形態の犯罪にも厳正に対処しなければならない
「凶悪な犯罪を抑止するために死刑判決」を設置しているなら「甚大な被害を抑止するために」刑事罰の設定と「損害補償」に関しては「因果関係は時系列で発生した損害はすべて負担させる」位の民事判決を出しても良いのではないか