波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

アッピアを応援し続けてくださった皆様へ

2013-11-21 22:56:25 | ごあいさつ
はじめまして。
アッピアの実弟です。
これまで,姉のアッピアを励まし,勇気付け,見守って頂いた皆様に深く感謝しています。

姉の最後の入院の様子をお伝えしたくて,義兄の了解を得て書き込みさせて頂きます。
最初にお伝えしたいのは,アッピアは最後まであきらめず治療をやり抜いたという事です。
助さんがおっしゃられていた様に,120%の力で病気と向き合っていたと思います。
当然120%の力を出すためには,家族のサポートがあるからこそ出来た訳で,
今は義兄と甥っ子にも感謝の気持ちでいっぱいです。

常に一緒に居たわけではないので情報は断片的ですが記憶に残っている事を
時系列でまとめてみます。

10月19~末(母談)
19日に入院し,精密検査を繰り返して数日後には髄膜転移がわかりました。
その頃はすでに両目の視力をほとんど失っており,
介添えがないとベットから下りることも難しくなっていました。
すぐに放射線治療が始まりましたが,同時に吐き気やだるさ,
食欲不振等の副作用と戦う日々も始まったのです。
それでも弱音を吐く事はなく,視力が戻る事を信じて放射線治療と向き合いました。
しかし,治療の効果が劇的に現われるような事は無く,
早く効果が出るといいのにと話していました。

11月1日
夕方に病院に着くと,吐き気が酷く苦しんでいる姿に直撃しました。
食事は1人で摂れないので,可能な限り母が病院を訪ねて介添えをしていました。
その際,母お手製の野菜スープを持参し食べさせていました。
本人はそのスープを食べると元気が出るようでした。
(その後も母は1日おきに野菜スープを運び続けました)
気持ちが悪くても,栄養を摂らないと体力が落ちると言って頑張って食べていました。
病院から自宅に電話し,息子と会話している時はさすがに楽しそうで
一緒に点字を覚えよう,お母さんに教えてねと頼んでいました。
この人の向上心には本当に頭が下がります。
前日の日本シリーズのTV中継は音だけで楽しんだそうですが,
テレビの解説は画面を観ている事が前提の解説なので,
状況が判りにくいとラジオの差し入れを要求されました。
またブログの書き込みが増えている事も伝えました。
コメントを言ってくれれば,私が更新しても良いと持ちかけましたが
復活してから自分で更新する!
と力強い反応だったのでその意思を尊重しました。

11月2日
私の家族と母で病院を訪れました。来てくれた事をとても喜んでくれて
プチパーティーだと言って私の娘にお気に入りのゼリーを振る舞い
自分でもおいしそうに食べていました。
前日要求されたラジオを早速持って行くと,これで別の世界が広がるぞ!と喜んで
早速日本シリーズ第6戦の中継を聞き始めました。
土日は放射線治療が無く,副作用から解放されるので調子は良さそうでした。
目が見えないながらも介添え付きでベットから下りて椅子に座りながらストレッチをするなど
行動は相変わらず前向きです。

11月5~10日前後(母談)
放射線治療が続くも,副作用だけが目立ち視力の回復や症状の改善は
見られなかったようです。
いつもの野菜スープを食べると元気が出るようでした。
この頃は,治療の効果が見られない事に母も参っていたようで,
先が見えないとぼやいていました。

11月14日(母談)
記憶力が下がったのではないか?と。。。(私は少し前から気付いていましたが)
まず,時間感覚が曖昧になる事です。視力を失った事も大きいですが
今,朝なのか昼なのか夜なのかがわからなくなります。
なので,良く時間を聞くようになりました。
昼の2時だよ!と答えても,5分後に今何時?と・・・
また,話が長くなると途中で何を話しているかがわからなくなり,
ちょっと休憩!と言って話を止めてしまいます。
夕飯はいつもの様にお手製の野菜スープを鳥の唐揚げと一緒においしいと言って食べました。

11月15日(夫談)
急に体力が落ち,ベットから下りるのがやっとです。
トイレに自力で行く事も出来ず。
この辺りから症状が一気に悪い方に進みます。

11月16日(母談)
ベットから下りる事が出来ず,カテーテルが付けられました。
会話もあまり成り立たず,母が病室に居る事も分かっていなかったかもしれないとの事。
本人はベットから下りて椅子に座る事を懇願しているようですが,
それさえ上手く伝えられない状況です。
食事も摂ることができず,心配が深まる。

11月17日(夫談)
薬で半分眠らされている状態。
主治医から,状況が急変する事があり得る事を伝えられ,家族に連絡取れるように
しておく事を告げられる。
苦しそうな感じはない。

11月18日
呼吸が安定しなくなったと,午前3時過ぎに病院から一報あり。
その一報を受けて,病院に駆けつけるも間に合わず午前4時05分に永眠しました。


振り返ると,11月14日からの症状悪化のスピードが速かったと感じます。
というよりも,視覚異常が出てからの進行スピードがすごく速かったのでしょうか。
あまりの急展開についていけない自分が居ましたが,
最後まで波乱万丈の転移ライフだったと思います。

書き慣れていないので,単なる長文でまとまりがない文章ですが
少しでもアッピアの最後をお伝え出来ればと思い書き綴りました。

最後になりましたが,皆さんから頂いた励ましのお言葉にどんなに勇気付けられ
パワーを頂いていたことか,アッピア自身も感謝しておりました。
本当にありがとうございました。


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コメント (26)
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