「生きなおす力」柳田邦男著。
ノンフィクション作家で、自身も次男を自殺で亡くす、という経験がある。
「生きなおす」という視点で、何人かの生き方を紹介した本。
またしてもアッピアの理解力と文章力の問題で、要約は難しいのですが、
死生観に関して印象に残った部分を抜き出します。
以下抜き出し。
・・・・・精神科医がこの話を持ちだしたのは、がんが進行して死が避けられないとわかった患者が、
懸命に日記や闘病記を書いたり、仕事や研究や社会活動に情熱を燃やしたりするのはなぜかという話を
している時だった。人間は人生の中で、様々な危機に直面するが、危機を乗り越えることで心が大きく成長する。
そして、死は人生最後の危機であり、人間として本当に成熟する最後のチャンスなのだ。そのことをはっきり
意識しなくても、人はこの世の残された時間が少ないと知ると、精神的な飢えを満たそうとするかのように、
自分がこの世に生きた証を求めて、必死に何かをしようとする。・・・・・・
私は長年にわたって、様々な人々の最後の日々にかかわったり、「生と死」について学んだりしてきた。
そしてたどり着いたのは、人はたとえ病気になったり老いて動けなくなったりしても、心は成長し続け、
死によって肉体を失っても、その人の心、生き方、言葉は、人生を共に生きた他者の心の中で生き続ける、
という「いのちの精神性」のライフサイクルのとらえ方だ。人生を共にした人の心の中で生き続けることを、
私は「死後生」と呼んでいる。
以上抜き出し終わり。
私の死生観はただいま熟成中にて、良い味のワインになるのはまだまだ時間がかかりそう。
京都から帰って3日目。実は身体がまだだるい。相当疲れ過ぎたね。
旅行中は、家に戻ってぶっ倒れてもいいからもっと廻りたい、などと欲がが出てしまい、
「この試合で倒れてもいい、野球人生失ってもいいから投げ切りたい。」なんて言うピッチャーの気持ちが
少しわかったかも、て一緒にするな、ですね。
とっておきの(?)紅葉写真、後日UPしますのでお待ちくだされ。
1日1回、クリックお願いします。励みになります。
ノンフィクション作家で、自身も次男を自殺で亡くす、という経験がある。
「生きなおす」という視点で、何人かの生き方を紹介した本。
またしてもアッピアの理解力と文章力の問題で、要約は難しいのですが、
死生観に関して印象に残った部分を抜き出します。
以下抜き出し。
・・・・・精神科医がこの話を持ちだしたのは、がんが進行して死が避けられないとわかった患者が、
懸命に日記や闘病記を書いたり、仕事や研究や社会活動に情熱を燃やしたりするのはなぜかという話を
している時だった。人間は人生の中で、様々な危機に直面するが、危機を乗り越えることで心が大きく成長する。
そして、死は人生最後の危機であり、人間として本当に成熟する最後のチャンスなのだ。そのことをはっきり
意識しなくても、人はこの世の残された時間が少ないと知ると、精神的な飢えを満たそうとするかのように、
自分がこの世に生きた証を求めて、必死に何かをしようとする。・・・・・・
私は長年にわたって、様々な人々の最後の日々にかかわったり、「生と死」について学んだりしてきた。
そしてたどり着いたのは、人はたとえ病気になったり老いて動けなくなったりしても、心は成長し続け、
死によって肉体を失っても、その人の心、生き方、言葉は、人生を共に生きた他者の心の中で生き続ける、
という「いのちの精神性」のライフサイクルのとらえ方だ。人生を共にした人の心の中で生き続けることを、
私は「死後生」と呼んでいる。
以上抜き出し終わり。
私の死生観はただいま熟成中にて、良い味のワインになるのはまだまだ時間がかかりそう。
京都から帰って3日目。実は身体がまだだるい。相当疲れ過ぎたね。
旅行中は、家に戻ってぶっ倒れてもいいからもっと廻りたい、などと欲がが出てしまい、
「この試合で倒れてもいい、野球人生失ってもいいから投げ切りたい。」なんて言うピッチャーの気持ちが
少しわかったかも、て一緒にするな、ですね。
とっておきの(?)紅葉写真、後日UPしますのでお待ちくだされ。
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無事、強行軍の京都旅行からお帰りなさい。
あ、アッピアさんもこの本をお読みになったのだ!と思ったのですが、私のご紹介がきっかけだったとはびっくりしました。
抜き出された部分、私もとても印象に残っています。
ブログを綴りながら、これは自分にとっての生きた証を求めてのものなのかな・・・と思うことがあります。
もちろん私もまだまだ・・・ですが。
新聞のベストセラー欄とロッキングチェアさんのブログ記事拝見してから、図書館の貸出予約しています。
生きた証・・・精神科医の「残したいメッセージを考えて」が頭をよぎります。
あ、でも考えてもループ状態の私なんですが・・・。