講演会第二部、 順天堂大の樋野先生による「がん細胞に学ぶ ~がん化のメカニズムから がん哲学まで~」。
樋野先生の「がん哲学外来」の本は、昨年図書館で借りて読んでいたので、直接お話が聴ける
ということで楽しみにしていました。
私(アッピア)もそうですが、がんになって、初めて死に直面してあるいは死を意識して、哲学的なこと考えたり
しませんでしたか?
ある新聞記事の書き出しにはこうありました。
「死に直面した病を得て、人はどう生きるべきかを問う、21世紀に必要とされるがん哲学」
樋野先生は、独特の語り口で、時にまじめ顔でジョークを飛ばし、とてもユニークな方でした。
『武士道』で有名な新渡戸稲造などをテーマにシンポジウムを開いたり、全国各地で無料で「メディカルカフェ」
と称して「がん哲学外来」を開いたりしているのです。
そして、がん哲学外来コーディネーター養成講座まで作っています。
配られた資料から、いくつか抜き出してみます。
がん哲学外来の基本姿勢
1. 生活環境や言葉が違っても心が通えば友達であり、心の通じ合う人と出会うことが人間の一番の楽しみである。
2. 学問より実行
3. 何人にも悪意を抱かず、すべての人に慈愛を持って。
(遠友夜学校 1894年-1944年)
奥ゆかしさは最も無駄のない立ち振舞いである。
(新渡戸稲造)
「がん哲学外来」とは?
「人のからだに巣食ったがん細胞に介入しその人の死期を再び未確定の彼方に追いやり死を
忘却させる方法を成就すること。」
「人生いばらの道however(にもかかわらず)宴会」
「人は、最後に『死ぬ』という大切な仕事が残っている」
以上 資料より
何が言いたいかわからないようななんとなくわかるような・・・・だから『哲学』なのか?
だから「お茶」が飲みたくなるそうです。だから「カフェ」なんだそうです。
印象に残った話(これはわかりやすいよ)を二つほど。
□がん哲学外来に来る人の相談内容
3分の1の人は、死に対する恐怖や病気の悩みなど。
残り3分の2が、人間関係の悩み。そのうち一番多い3分の1が、家族が嫌になるということ。
例えば、
「私はがんで苦しんでいるのに、夫は何でこんなに冷たくて何もしてくれないんだろう。」
「がんだからといってわがまますぎるし、やりたいことをやる、などと言って勝手すぎる。」
がんになった側も、その家族の側も、下手をすれば30分同じ部屋にいたくないほど相手を嫌になる。
そういう相談が多い。
しかし、これは家族ががんになったことが原因というよりは、元々(例えば)夫婦の間に会話がなく、
関係がうまくいってないから、という傾向がある。
がんになると、感受性が高まり、健康な時には気づきにくい嫌な事が目についてしまう。
「患者に寄り添う」というのは、「そばにいる」ということ、「支えなくては」なんて考えなくて
よい。
人は、病気になると、「自分は何のために生きてきたか」という人生の目的を考えるようになる。
□がんになる原因
・全て遺伝子が原因となってがんを発症する人:全体の5%。
・遺伝と環境両方が原因(ミックスの比率は様々):70%。
・原因がわからない:20%。
環境要因の内訳は、1位:たばこ、2位:食習慣。
※ストレスががんの原因になった説は、はっきりとはわかっていない。
免疫力云々と言われているが、それが癌化にどうかかわったかは、わからない。
※「生きる」ために必要な細胞の受容体や特殊なたんぱく質が、「細胞のがん化」に深く関わっている。
すなわち、「生きて行く上でがんになることは必然。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は、珍しく眠くならずに、1時間食い入るように聴いていました。
「がん」から、いろいろな切り口の話題がひろがるものなんですね。
乳がんの私たちは、ダンナの態度がああだこうだ、と愚痴を言ったり、中には離婚に発展する人もいます。
「がん闘病=献身的な家族の支え」は、ドラマの中だけ、とは言わないまでも多数派では
なかったようです。じゃあ、ウチの場合も仕方ないか、と思うのもなんか納得がいかないけれど。
ダンナにこの話をすると、男と女の「価値観・脳、人との距離感」の違い、に片づけられてしまって、
己をかえりみる態度が見られない・・・。
それから、がんの原因やストレス説の話は、私の中でずーっとモヤモヤしていたので、病理医から
数字で示してもらい、しかもわからない部分はわからない、とハッキリ言ってもらえたので、とてもスッキリ
しました。
いろいろ議論したいテーマなので、もしよろしければご感想なりご意見なりコメントでお寄せ下さるとうれしいです。
よろしくお願いします。
2日がかりで書きました。よろしければ労いのクリックを!
樋野先生の「がん哲学外来」の本は、昨年図書館で借りて読んでいたので、直接お話が聴ける
ということで楽しみにしていました。
私(アッピア)もそうですが、がんになって、初めて死に直面してあるいは死を意識して、哲学的なこと考えたり
しませんでしたか?
ある新聞記事の書き出しにはこうありました。
「死に直面した病を得て、人はどう生きるべきかを問う、21世紀に必要とされるがん哲学」
樋野先生は、独特の語り口で、時にまじめ顔でジョークを飛ばし、とてもユニークな方でした。
『武士道』で有名な新渡戸稲造などをテーマにシンポジウムを開いたり、全国各地で無料で「メディカルカフェ」
と称して「がん哲学外来」を開いたりしているのです。
そして、がん哲学外来コーディネーター養成講座まで作っています。
配られた資料から、いくつか抜き出してみます。
がん哲学外来の基本姿勢
1. 生活環境や言葉が違っても心が通えば友達であり、心の通じ合う人と出会うことが人間の一番の楽しみである。
2. 学問より実行
3. 何人にも悪意を抱かず、すべての人に慈愛を持って。
(遠友夜学校 1894年-1944年)
奥ゆかしさは最も無駄のない立ち振舞いである。
(新渡戸稲造)
「がん哲学外来」とは?
「人のからだに巣食ったがん細胞に介入しその人の死期を再び未確定の彼方に追いやり死を
忘却させる方法を成就すること。」
「人生いばらの道however(にもかかわらず)宴会」
「人は、最後に『死ぬ』という大切な仕事が残っている」
以上 資料より
何が言いたいかわからないようななんとなくわかるような・・・・だから『哲学』なのか?
だから「お茶」が飲みたくなるそうです。だから「カフェ」なんだそうです。
印象に残った話(これはわかりやすいよ)を二つほど。
□がん哲学外来に来る人の相談内容
3分の1の人は、死に対する恐怖や病気の悩みなど。
残り3分の2が、人間関係の悩み。そのうち一番多い3分の1が、家族が嫌になるということ。
例えば、
「私はがんで苦しんでいるのに、夫は何でこんなに冷たくて何もしてくれないんだろう。」
「がんだからといってわがまますぎるし、やりたいことをやる、などと言って勝手すぎる。」
がんになった側も、その家族の側も、下手をすれば30分同じ部屋にいたくないほど相手を嫌になる。
そういう相談が多い。
しかし、これは家族ががんになったことが原因というよりは、元々(例えば)夫婦の間に会話がなく、
関係がうまくいってないから、という傾向がある。
がんになると、感受性が高まり、健康な時には気づきにくい嫌な事が目についてしまう。
「患者に寄り添う」というのは、「そばにいる」ということ、「支えなくては」なんて考えなくて
よい。
人は、病気になると、「自分は何のために生きてきたか」という人生の目的を考えるようになる。
□がんになる原因
・全て遺伝子が原因となってがんを発症する人:全体の5%。
・遺伝と環境両方が原因(ミックスの比率は様々):70%。
・原因がわからない:20%。
環境要因の内訳は、1位:たばこ、2位:食習慣。
※ストレスががんの原因になった説は、はっきりとはわかっていない。
免疫力云々と言われているが、それが癌化にどうかかわったかは、わからない。
※「生きる」ために必要な細胞の受容体や特殊なたんぱく質が、「細胞のがん化」に深く関わっている。
すなわち、「生きて行く上でがんになることは必然。」
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私は、珍しく眠くならずに、1時間食い入るように聴いていました。
「がん」から、いろいろな切り口の話題がひろがるものなんですね。
乳がんの私たちは、ダンナの態度がああだこうだ、と愚痴を言ったり、中には離婚に発展する人もいます。
「がん闘病=献身的な家族の支え」は、ドラマの中だけ、とは言わないまでも多数派では
なかったようです。じゃあ、ウチの場合も仕方ないか、と思うのもなんか納得がいかないけれど。
ダンナにこの話をすると、男と女の「価値観・脳、人との距離感」の違い、に片づけられてしまって、
己をかえりみる態度が見られない・・・。
それから、がんの原因やストレス説の話は、私の中でずーっとモヤモヤしていたので、病理医から
数字で示してもらい、しかもわからない部分はわからない、とハッキリ言ってもらえたので、とてもスッキリ
しました。
いろいろ議論したいテーマなので、もしよろしければご感想なりご意見なりコメントでお寄せ下さるとうれしいです。
よろしくお願いします。
2日がかりで書きました。よろしければ労いのクリックを!
ありがとうございました。
昨日のブログにリンクさせて頂きました。
心より感謝申し上げます。
記事のリンク、構いません。
よろしければどうぞリンクしてください。
哲学外来は、やはり興味深かったです。
またいつでも遊びにきてくださいね。
ひょんなことから、貴ブログに出会いました。このURLを当ブログの本日の記事の中に、リンクさせて頂いてもよろしいでしょうか?お尋ね致します。
宜しくお願い致します。
シャローム
ニーズがあれば、これからも増えていくのかもしれませんが、どうなんでしょう。
じゅん8008さんは、人生で本当に本当にお辛い体験をされたので、死生観なども見方が変わられたのかもしれませんね。
人間は、乗り越えられない悲しみは無いのでしょうか。
乗り越えた行かないと生きていけないのでしょうか。
じゅん8008さんのご体験は、自分のがん闘病云々の次元ではないと思います。
お察しします。本当の理解はできないかもしれませんが、想像することはできます。
よければまたお気軽に立ち寄ってくださいね。
私の病院ではこの先生のがん哲学外来があります
田舎の病院ではありますが
メディカルカフェも開催しているようです
私はフラのレッスンと重なるので
参加したことはありません
私は息子を事故で亡くしてから
グリーフケアの勉強していく過程で
自身に癌が見つかりました
治療は大変でしたがメンタル的には
人生の無情を経験した私にとって
自身の病気は超えれました
永遠の生命観に立ってみれば
見えてくる景色も変わりますよ
私は、死=虚無 かな。例えば、全身麻酔かけられて眠っているとき、意識はもちろん無く時間の感覚も無く、虚無なわけです。それが永遠に続くということ。
でも全身麻酔の後は必ず目が覚めるので、やはり「死」はわからない。だからやはり恐れますね。
執着をすてる、という切り口だと、哲学というより初期仏教にヒントがありそう。
こんなやりとりも楽しいです!
みなさん、ありがとうございます!!!
未知なるもの=ワクワクもしくは恐怖・不安のどちらかだよね。
でも「死」に対してワクワクドキドキできるのは、これはスゴイ強みだよ。
人生怖いものなしだね。
もっとその話の続きを聞きたいな、近々にきっとね。
家族に対しては、私も期待したり当てにするのを止めたら少し楽になったわ。
私も、ただ漠然となのだけど、死=終わりって気がしません。同時に死=無って気もするのだけど。
こればかりは経験してみないとわかりません。
ただ、今のこの肉体も、この世に生まれる前は無かった訳だし…。
そう思えば死んで肉体が無くなることもそう怖いことではないのかな…
う~ん、難しい…
いろんな執着を捨てることが出来ればもっと楽になれるんだろうな…と。なかなかそれも難しいのですが。
ひとつ言えることは、生きてる以上、絶対に避けては通れないことをここでこうして皆さんと語り合えることが何より嬉しいです。
アッピアさん、みなさん、ありがとうございます。
でも死生観ってホント人それぞれなんだよね。
私はちょっと人とは感覚がずれてる気がする。
死=恐怖ではないんだよね。
文章で説明するのは難しいんだけど…
もちろん健康で長生きしたい気持ちもあるんだけど、死後の世界(丹波てつろうみたいね^m^)ってあるんじゃないかな?って思ってるからあんまり怖くないってゆうか…
きっと魂だけになったら行きたいところ(宇宙の端っことか)にいけんじゃないかな~って思うと少しワクワクすらするよ~
ま、誰に言っても理解できないみたいだけど~(^_^;)
家族に関しては期待しないようにしてるよ。
治療費払ってくれるだけで十分ありがたいかな。
自分もそうだったけど、病気になってみなきゃこっち側の気持ちとかモロモロってわかんないもんね。
まずはゆっくり休んでください。
傷は、あわてて見なくても、見られる心の余裕がある日がきっと来ますから!
そうですよね、何をしてほしい、というよりもまず、痛みや辛さをわかってほしい、ということなんですよね。
そばにいて聞いてくれるだけでいい、まずそこからなんですよ。
私は犬や猫は買ったことがないのですが、そうらしいですね。
具合悪くて寝ていたら、ペットのネコちゃんもそばでじっとしていた、なんてよく聞きますもの。
動物でも癒してくれるのにー!
いやいや乳がんはこれからがスタートだというのに。
目につきにくい副作用や心の痛みは、家族であってもこちらから訴えないと、いや訴えてもなかなか届かないですよね。
ウチも同じです。
でもマールさんのお子さん、冷静で痛いところをついてきますね。
確かに病気を免罪符にしてはいけないのかも、といいつつ辛いのわかってよ・・・・
だよね。
今日退院しました。
初めて傷を見て、ちょっとショック
を受け、そのせいか?
痛みも出て来ました。
患者に寄り添う というのは
そばにいる ということ。
本当にそう思います。
気持ちを受けとめてくれるだけで
十分なんですよね。
ペットってまさにそうなんです。
苦しそうにしていたり、
泣いている時に
じっと横で寝ているんです。
随分癒されました。
私も大切な人に寄り添えるような
人間になりたいな。
私もがんにまつわる講演会などに出席したいと思いつつ、ついつい後回しになっているのが現状です。
アッピアさん、偉い!!
どうやらうちの家族はがんについて、手術が終わった=過ぎ去ったと思い込んでいるようです。いたわりの気持ちはゼロ!
そんな家族に対して喧嘩の際には「私はいつ死ぬか分からないのに!!!」と啖呵をきってしまいます。いけないと思いつつ…。
先日、子供に病気を切り札にするのはずるいと言われてしまいました(笑)確かにその通りです。
そう、毎日を全力で、なんて難しいです。でもそれも日常なら、やさしく受け止めてあげようかな、と。
「原因=わからない」でokです。あなたは食生活が原因です、なんて言われても、節制できそうもないから。
家族は、人によって考え方によって、ストレスに元凶にもなるし、宝物にもなるのでしょう。
2日にわたる講演会レポート大変お疲れ様でした。
がん哲学外来、実に奥が深いですね。
確かに、再発して、私の残りの人生はいったいあとどのくらい、という問いを突きつけられた時に、ずいぶんいろいろ考えました。
最近どうも惰性になってきて、あまり勉強していないのが、恥ずかしいのですが。
やはりがんの原因をストレス云々と言い切るわけにはいかないのですね。どうしても人は原因をはっきりさせたがりますけれど。確かに当時の診断書などをみると原因は不詳になってしいました。
それにしても、がんになって家族と30分たりとも一緒にいるのが嫌になる、というのはあまりに淋しすぎます。
ただ、確かにとても感じやすくなるので、それまでスルー出来ていたことがいろいろ気になってしまうというのは事実ですね。
それもこれもひっくるめて家族なんだ、と私は思いますが・・・。