【転移後シリーズ】ずいぶん間が空いてしまい、すいません。
前回は、転移発覚後のタキソール投与と家族旅行(独房ホテルよね)のことなどを書きました。
2005年7月、子供が保育園に通いだして、私も昼間にゆっくり買物や用事をこなしたりでき、
気持ち的にもゆとりが出てきた。こうして保育園側にいろいろ配慮してもらい、少しでも自分が楽に
なることができて、本当にありがたい気持ちだ。ちなみにその時の保育園の担当の先生(50代)は、
私の体調のことも常に気にかけてくれて、お母さん達の間でも絶大な信頼を得ていた。
ここにも、大きな支えがあったのだと、感謝せずにはいられない。(幼稚園の先生はその点クールだったが。)
幼稚園入園のため保育園を去るときには、私は慣れない手作りケーキを作って、先生にプレゼントした。
2005年8月は、ダンナも夏休みが取れて、那須高原に2泊3日の2回目家族旅行に出かけた。
那須にした理由は、高原・涼しい・子供向けレジャー施設が豊富・ホテルやお店がたくさんありそう、
などである。もちろん、宿にはこだわった。「普通」であることに!
那須ロープウェイ、りんどう湖ファミリー牧場、那須サファリパークなどお馴染のところで存分に
遊んだ。息子はまだ抱っこ星人でたいへんだったが、気持ちいい自然と美味しいものも食べて、
やはり旅行はリフレッシュする。小さい旅行でもいい、年に数回は絶対に行きたい、と思った。
(旅行のアルバム写真を見たら、息子がちっちゃくてカワイイし、私も若い、今よりはね!)
さて、タキソールが予定の6クールを終わり、主治医のベテラン女医の診察があった。
「肝臓の転移巣も小さくなったし、予定どおり6クールで一旦タキソールを終わりにしましょう。」
と言われた。私は少し前から、セカンドオピニオンに行ったりネットで調べて、タキソールは
副作用が重くなければ、効果が持続している間は継続投与が望ましい、という意見を得ていた。
私自身も、このままタキソールを続けたいという希望があったので、ベテラン女医にそう伝えた。
するとベテラン女医は
「抗がん剤をこのまま続けると、免疫力が落ちて日和見感染など重篤な副作用が出る可能性があるから
お勧めできない。」旨のことを言った。
私「ん???・・・・・・。」継続投与を心の中で決めていた私は、結局ベテラン女医と中堅女医2人を
相手に格闘?して、ついに継続投与を勝ち取った。最後は、「どうしてもというなら仕方ないけど」と。
これは病院の方針なのだろうか。このころから、私の中でこのままこの主治医でいいのかなあ、
と漠然と思い始めた。
そしてタキソール後半戦に入る。
2005年9月からタキソール治療をしながら、子育てに追われ、子供をいろいろなイベントに連れて行ったり、
ママ友と交流したり、たまに患者主催の乳がん講演会に行ったり、手帳は結構埋まっていた。
10月には、母親に息子を預け、夫婦2人で立山黒部アルペンルートに旅行に行かせてもらっている。
既に病気の印籠を掲げてワガママをやっていたのでだ。
立山の室堂平(標高2450m)の景色は圧巻だった。
11月には、半年ぶりに肝臓の画像検査を受けた。タキソール継続の評価が出る。
結果は、画像ではほとんど確認できないほどに転移巣縮小。やった!
クリスマスイベントを楽しんで12月も終わり、年末年始は予定どおりダンナの実家である大阪に帰省した。
2005年は、再発が発覚するも治療が軌道に乗り、副作用もそれほどでもなく、旅行や遊びも行けて
良い年だったのでは、と思った。
こうして年が明けて2006年。1月から3月も、毎週通院しながらもつつがなく過ぎた。
タキソールの後半6クールが終わったので、3月からはハーセプチンとアレディア(ゾメタの前身)
だけになる。抗がん剤はこれからどうするのだろう。さらにタキソールを継続した方がよいのだろうか。
また女医連合に進言する勇気が私にはあるのか?
そうこうしているうちに、腫瘍マーカーCEAが少しずつ上がってきた。
またどこかにがんが増殖し始めたのだろうか・・・・・。
つづく・・・。
一日一回クリックお願いします。励みになります。
前回は、転移発覚後のタキソール投与と家族旅行(独房ホテルよね)のことなどを書きました。
2005年7月、子供が保育園に通いだして、私も昼間にゆっくり買物や用事をこなしたりでき、
気持ち的にもゆとりが出てきた。こうして保育園側にいろいろ配慮してもらい、少しでも自分が楽に
なることができて、本当にありがたい気持ちだ。ちなみにその時の保育園の担当の先生(50代)は、
私の体調のことも常に気にかけてくれて、お母さん達の間でも絶大な信頼を得ていた。
ここにも、大きな支えがあったのだと、感謝せずにはいられない。(幼稚園の先生はその点クールだったが。)
幼稚園入園のため保育園を去るときには、私は慣れない手作りケーキを作って、先生にプレゼントした。
2005年8月は、ダンナも夏休みが取れて、那須高原に2泊3日の2回目家族旅行に出かけた。
那須にした理由は、高原・涼しい・子供向けレジャー施設が豊富・ホテルやお店がたくさんありそう、
などである。もちろん、宿にはこだわった。「普通」であることに!
那須ロープウェイ、りんどう湖ファミリー牧場、那須サファリパークなどお馴染のところで存分に
遊んだ。息子はまだ抱っこ星人でたいへんだったが、気持ちいい自然と美味しいものも食べて、
やはり旅行はリフレッシュする。小さい旅行でもいい、年に数回は絶対に行きたい、と思った。
(旅行のアルバム写真を見たら、息子がちっちゃくてカワイイし、私も若い、今よりはね!)
さて、タキソールが予定の6クールを終わり、主治医のベテラン女医の診察があった。
「肝臓の転移巣も小さくなったし、予定どおり6クールで一旦タキソールを終わりにしましょう。」
と言われた。私は少し前から、セカンドオピニオンに行ったりネットで調べて、タキソールは
副作用が重くなければ、効果が持続している間は継続投与が望ましい、という意見を得ていた。
私自身も、このままタキソールを続けたいという希望があったので、ベテラン女医にそう伝えた。
するとベテラン女医は
「抗がん剤をこのまま続けると、免疫力が落ちて日和見感染など重篤な副作用が出る可能性があるから
お勧めできない。」旨のことを言った。
私「ん???・・・・・・。」継続投与を心の中で決めていた私は、結局ベテラン女医と中堅女医2人を
相手に格闘?して、ついに継続投与を勝ち取った。最後は、「どうしてもというなら仕方ないけど」と。
これは病院の方針なのだろうか。このころから、私の中でこのままこの主治医でいいのかなあ、
と漠然と思い始めた。
そしてタキソール後半戦に入る。
2005年9月からタキソール治療をしながら、子育てに追われ、子供をいろいろなイベントに連れて行ったり、
ママ友と交流したり、たまに患者主催の乳がん講演会に行ったり、手帳は結構埋まっていた。
10月には、母親に息子を預け、夫婦2人で立山黒部アルペンルートに旅行に行かせてもらっている。
既に病気の印籠を掲げてワガママをやっていたのでだ。
立山の室堂平(標高2450m)の景色は圧巻だった。
11月には、半年ぶりに肝臓の画像検査を受けた。タキソール継続の評価が出る。
結果は、画像ではほとんど確認できないほどに転移巣縮小。やった!
クリスマスイベントを楽しんで12月も終わり、年末年始は予定どおりダンナの実家である大阪に帰省した。
2005年は、再発が発覚するも治療が軌道に乗り、副作用もそれほどでもなく、旅行や遊びも行けて
良い年だったのでは、と思った。
こうして年が明けて2006年。1月から3月も、毎週通院しながらもつつがなく過ぎた。
タキソールの後半6クールが終わったので、3月からはハーセプチンとアレディア(ゾメタの前身)
だけになる。抗がん剤はこれからどうするのだろう。さらにタキソールを継続した方がよいのだろうか。
また女医連合に進言する勇気が私にはあるのか?
そうこうしているうちに、腫瘍マーカーCEAが少しずつ上がってきた。
またどこかにがんが増殖し始めたのだろうか・・・・・。
つづく・・・。
一日一回クリックお願いします。励みになります。
胃薬を変えてもらったせいか倦怠感がすごくて思うように動けません。
FECもあと1回、でもその後のタキソールが毎週12回。なんだか気が遠くなりそうです。
継続って言葉が自分から出るってアッピアさんはすごいです。私なんて、早く終わってくれと思うばかりです。
地味な症状のようで、対処療法がないので、以外に厄介ですよね。
タキソール12回、大丈夫ですよ。
終わることばかり考えるより、続けながら楽しむこと、楽しめることを考える方がラクに過ごせると思います。
治療を、自分の生活の中に上手く組み込むことがコツかもしれません。