我が家には池田満寿夫のデッサンとかエッチングが沢山あった。この絵もその中の一つ。現在は池田満寿夫美術館に置かれていて、我が家には2、3点しか残っていないが・・・。
長野高校を出て、画家になりたかった父は芸大油絵科目指して上京。1年後に後輩だった池田満寿夫も父を頼って上京してきた。もうひとりの仲間と3人で東京貧乏浪人生活をしていたらしい。その頃の話をしてくれ、と時々TVの出演依頼をうけ、ほいほいと薄い髪の毛を人前にさらしている父・・・。先日もBSの池田満寿夫特集に出演したそうだ(私は見てないんだけど)。
結局父も満寿夫氏も3回芸大受験に失敗。それでも『もぐり学生』で芸大のデッサンの授業などに顔出していた。ピカソの青の時代などに憧れ、暇さえあれば父とスケッチブックを交換しあったりしてデッサンしまくっていたそうな。
その頃、父は新劇女優を目指していた祇園育ちの母と旅先で知り合い、父は絵描きの道を捨てて母と結婚。満寿夫ちゃん(我が家ではそう呼んでたので・・・満寿夫さんって書くとサザエさんみたいだしw。)は「俺はパン齧ってでも絵を描いていく!」母との生活の為にデザイナーを選んだ父とは対照的に芸術への道へまっしぐらに突き進んで行った。
当時の貧乏生活の糧は新宿歌舞伎町での「似顔絵描き」。父の話だと、器用な父はそっくりに描いてお客に喜ばれていたらしいが、満寿夫ちゃんはピカソのような絵なので「こんなの、似ていない(怒)!」とお金をちゃんともらえなかったそうだ。だから、「あの頃は俺が満寿夫を食べさせてやったんだ。」と未だに自慢している。
その頃の母と父の話は「エーゲ海に捧ぐ」の中の「テーブルの下の婚礼」や青春時代の懐古エッセイなどでちょくちょく描かれていて、私は赤面しながら本を読み、親の青春時代を知ってしまったのだけど、父親とは深い話をした事がない。まだまだ元気そうなのでいいか~って思っているのだが、そろそろ歳も歳だから、父の青春時代の話、聞いておこうかなあ...。
長野高校を出て、画家になりたかった父は芸大油絵科目指して上京。1年後に後輩だった池田満寿夫も父を頼って上京してきた。もうひとりの仲間と3人で東京貧乏浪人生活をしていたらしい。その頃の話をしてくれ、と時々TVの出演依頼をうけ、ほいほいと薄い髪の毛を人前にさらしている父・・・。先日もBSの池田満寿夫特集に出演したそうだ(私は見てないんだけど)。
結局父も満寿夫氏も3回芸大受験に失敗。それでも『もぐり学生』で芸大のデッサンの授業などに顔出していた。ピカソの青の時代などに憧れ、暇さえあれば父とスケッチブックを交換しあったりしてデッサンしまくっていたそうな。
その頃、父は新劇女優を目指していた祇園育ちの母と旅先で知り合い、父は絵描きの道を捨てて母と結婚。満寿夫ちゃん(我が家ではそう呼んでたので・・・満寿夫さんって書くとサザエさんみたいだしw。)は「俺はパン齧ってでも絵を描いていく!」母との生活の為にデザイナーを選んだ父とは対照的に芸術への道へまっしぐらに突き進んで行った。
当時の貧乏生活の糧は新宿歌舞伎町での「似顔絵描き」。父の話だと、器用な父はそっくりに描いてお客に喜ばれていたらしいが、満寿夫ちゃんはピカソのような絵なので「こんなの、似ていない(怒)!」とお金をちゃんともらえなかったそうだ。だから、「あの頃は俺が満寿夫を食べさせてやったんだ。」と未だに自慢している。
その頃の母と父の話は「エーゲ海に捧ぐ」の中の「テーブルの下の婚礼」や青春時代の懐古エッセイなどでちょくちょく描かれていて、私は赤面しながら本を読み、親の青春時代を知ってしまったのだけど、父親とは深い話をした事がない。まだまだ元気そうなのでいいか~って思っているのだが、そろそろ歳も歳だから、父の青春時代の話、聞いておこうかなあ...。