平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 



大阪市西淀川区の大野下水処理場正門前に大阪市が建立した
「判官松(ほうがんまつ)伝承地」の碑があります。





大野下水処理場傍に架かる中島大野高架橋。

 高架橋は国道43号(大野2丁目)と中島2丁目を結んでいます。

碑文には、「このあたりは 元暦二年(1185)源義経が平家追討の途次
しばしの休息をとったと伝えられる景勝の地で
明治の初めまで近くに判官松と呼ばれる老松と小丘が残っていた
 昭和六十三年三月  大阪市建立」と彫られています。


大和田住吉神社境内にも「判官松之跡」の石碑があります。
文治元年(1185)二月、屋島へ向けて暴風の中を船出した源義経は、
波浪のため大和田の浦(西淀川区大和田)へ押し流されたという。

そこで、当地の住吉大明神(大和田住吉神社)に
海上安全を祈願したところ、
嵐もやみ無事渡海に成功し、平氏を討つことができました。
その時、記念に植えた松を判官松と呼び、
明治10年落雷で焼矢するまで
大和田住吉神社に繁茂していた。と伝えられています

判官松之跡・大和田万葉歌碑(住吉神社)  
『アクセス』
「大野下水処理場正門前」 
大阪府大阪市西淀川区大野2丁目4 阪神なんば線「福駅」下車約700m
大阪シティバス「大和田橋」下車 西約200m



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