源平一ノ谷合戦で、平家軍の守りは固く戦いは一進一退、
勝負は中々定まりません。
この時、義経が一ノ谷背後の急坂を攻め下り、平家陣を総崩れにさせました。
当時、大輪田泊には4、50艘の軍船が用意されていましたから、
それに逃れたら助かるのですが、荒々しい坂東武者に追い回されて
討たれる者や海に沈む者が数多くいました。
平家物語は、あちこちに逃げ散らばる平家の武者、
一人一人の痛ましい最期を描いていきます。
乱戦の中、血気にはやる平経俊は清盛の子清房・清定とともに、
わずか三騎で敵中に駆け入り、さんざんに戦い、
多くの敵を討ち取ったものの、ついに討たれてしまいました。
『平家の群像』には、「若狭守経俊は、大手の東の木戸、すなわち、
生田ノ森付近の防御陣地にいて、平知盛の配下に属していた。」と記されています。
現在、西出町の鎮守稲荷神社の境内には、
佐比江の堤から移されたという経俊の五輪塔が祀られています。
平経俊1(鎮守稲荷神社)
竹尾稲荷神社境内には、文化文政時代の絵図があり、
経俊のもとの墓の位置が記されています。
昔、佐比江の入江は湊川総門の東側まで深く入り込んでいました。
西出町は、古くは「佐比江の入江」が入りこんだ浜辺でしたが、
江戸時代になると周辺は大きく変わります。
北前船などの廻船がさかんに兵庫津へ寄港するようになり、
佐比江は船入江として整備されて活気づき、
廻船問屋高田屋の本店は、嘉兵衛が引退するまで同町にありました。
一方、佐比江は次第に埋め立てられ、新たに町として
佐比江新地が加わり、西国街道に面した花街として賑わいを見せます。
その後も埋め立ては進み、町家が次々に建ち並び、
明治6年に佐比江新地という町名は、佐比江町と改められます。
太平の世が訪れ、旅ブームが巻き起こると、様々な名所を扱った
名所案内記が編纂され、一般に広く普及しました。
兵庫津近辺も平家伝承に重点をおいて紹介され、
現地を訪ねる人が次第に増えていきました。
寛政十年(1798)に秋里籬島(りとう)が著した『摂津名所図会』には、
平経俊は「若狭守経基(俊)墓佐比江橋の北にあり。側に稲荷祠あり。
平相国第四の舎弟修理太夫経盛の次男なり。但馬守経政の弟にして、
無官太夫敦盛の兄なり。」と紹介されています。
古くから大輪田泊とよばれ、瀬戸内海航路の要衝として栄えた港を
平清盛は国際港に改修し、日宋貿易の拠点を九州の大宰府から
都に近い大輪田泊に移し、直接宋との貿易を始めます。
大輪田泊は鎌倉時代以後、兵庫津として発展し、
現在の神戸港へとつながります。
当時の海岸線は、埋立てや開発によって、大きく変わってしまいました。
ここで兵庫津佐比江を江戸時代の古図で見てみましょう。
文久二年(1862)の『兵庫津絵図』(早稲田大学図書館蔵)
下は現在の七宮交差点付近の地図です。
『摂津名所図会』は、七宮神社付近の船入江の賑わいを挿絵で紹介しています。
兵庫県教育委員会で行われた兵庫津遺跡の七宮交差点の調査では、
絵図に描かれた船入江の石垣が国道2号線の下に
埋もれていることがわかりました。
また、この船入江は、幾度も修築を繰り返しながら、
明治時代中頃まで兵庫津の重要な施設として機能していたと考えられます。
車の往来が激しい七宮交差点付近(竹尾神社側より撮影)
竹尾稲荷神社由緒
御祭神 宇迦御魂大神(うがたまのおおかみ)
創立
文化十酉年十一月吉日(1813)及び文政元年寅六月吉日(1818)の
刻記ある石灯籠二基が奉献現存す。
よってこの頃に創建されしものと推定さる。
明治六年八月(1873)、村社格に列せられる。
高田屋嘉兵衛翁略伝
生誕
明和6年元旦(1763)現津名郡五色町都志の産。
青年期
寛政二年(1790)二十二才にて兵庫に移り樽廻船の船子、
同四年に船頭。同七年に独立。1500石積みの辰悦丸を建造。
北前船の一角に参入。経済的地位を高め蝦夷地に着目し、
以後経営の飛躍的発展を遂げ巨冨を得て豪商となる。
壮年期
御用船頭となり、幕府の蝦夷地政策に協力。
エトロフ島を開拓し、すぐれたる航海技術を発揮、更に漁場を開発。
享和元年(1801)、名字帯刀を御免さる。
頓に険しくなりしロシアとの紛争に一身を投げ打ち平和的解決をなし、
その能力を当時両国の賞賛の的となりむ。
晩年
文政元年郷里都志村に隠居。近隣の港湾改修などに協力。
文政十年四月五日(1827)同地にて
五十九才の生涯を閉じ、同村多聞寺に葬らる。
(現地説明板)
高田屋嘉兵衛顕彰碑
昭和二十八年(1953)、入江育友会立上り、入江婦人会これに呼応し、
当時の原口神戸市長題字を享け、入江小学校の校門脇に建立。
平成五年十一月吉日(1993)、当境内に移設す。
天壌無窮之碑(てんじょうむきゅう)之碑
天地の存在する限り永く繁栄し続けるの意。
この碑は明治四十五年(1912)三月、神戸市入江小学校卒業生の記念として
大正元年十二月に建立。
平成五年十一月吉日翁の碑と共に当境内に移設(現地説明板)
『アクセス』
「竹尾稲荷神社」兵庫県神戸市兵庫区七宮町一丁目
JR「神戸駅」下車 国道2号線沿いに西へ、七宮交差点を南へ進みます。徒歩約10分。
『参考資料』
安田元久「平家の群像」塙新書 「兵庫県の地名」平凡社 「兵庫県風土記」旺文社
「日本名所風俗図会」(13)角川書店 「源平と神戸」神戸新聞出版センター
「神戸と平家」神戸新聞出版センター 「兵庫の街道いまむかし」神戸新聞出版センター