都落ちの日、平経正は幼い頃に稚児として仕えた仁和寺を訪れ、
かつて賜った琵琶「青山(せいざん)」を返上します。
青山というのは、平安時代の初め頃、唐から朝廷に献上された
琵琶の名器「玄象(げんじょう)・獅子丸・青山」のうちの一つで、
胴の中央に夏山の緑の峰と木の間から出る有明の月が
描かれていることから名づけられたといいます。
その後、帝から仁和寺に与えられて、
覚性法親王から経正に下されたものでした。
経正は経盛の嫡子で経俊・敦盛の兄にあたり、
父経盛は清盛の弟で笛の名手でした。
祖父忠盛、父の素養を受継ぎ音楽・和歌、特に琵琶に優れ
「北陸追討の途中、竹生島に参詣して弁才天の前で琵琶の秘曲を
弾いたところ、弁才天が白竜の姿となって彼の袖に現れた。」とか
「経正17の年、九州宇佐八幡宮へ勅使として派遣され、神殿に向かい
青山を弾じたところ神官たちはみな涙で袖を絞った。」という
エピソードが平家物語に見えます。
和歌を藤原俊成に学び、父経盛とともに勅撰歌人で、
経正の歌は『千載和歌集』に入集されています。
仁和寺は平安時代、宇多天皇が開山し御所を御室と称します。
その後、代々皇族が法親王として入り寺を管理し、
法親王も御室と呼ばれます。
当時、貴族の子弟が元服まで学問や礼法を習うため
寺院で過ごすことはよくあることでした。
経正は鳥羽天皇の皇子、覚性法親王に仕えていましたが、
都落ちの時にはすでになく、
その甥、後白河院の皇子・守覚法親王の代になっていました。
守覚法親王は経正と同年代、
やはり幼い頃から仁和寺に入り、覚性法親王に共に仕える間柄でした。
経正は門前で馬を下り
「平家一門はもはや運が尽きて、すでに今日都を立ちいでました。
この世に思い残す事はただ御室の君へのお名残惜しさばかりです。
また帰ることができるとも思われず誠に残念でございます。
甲冑をつけ弓矢を携えた物物しい姿ですのでご遠慮申しあげます。」と
武装姿をはばかり御室にお目にかかるのを遠慮したが、
御室は「構わぬからその姿のままで参れ」と申される。
経正が兜を脱いで中庭の白砂にひざまずきかしこまっていると、
御室は御簾を高く巻かせ「これへ、これへ」と広縁にのぼらせました。
「これは先年、賜った青山です。名残惜しいのですが、
これ程の名器を田舎の塵に埋もれさせてしまうのは
何としても残念な事です。
万が一平家の運が開けてまた都に帰ることでもありましたら、
その時改めて頂戴したいと思います。」と経正が涙ながらに申しあげると、
御室は哀れに思われ、和歌を一首詠まれた。
♪あかずしてわかるる君が名残をば のちのかたみにつつみてぞおく
(こころならず別れて行くそなたの名残のこの琵琶を、
後々までの形見として、大切に包んで預かっておこう)
経正は硯をお借りして返します。
♪呉竹のかけひの水はかはるとも なほすみあかぬ宮のうちかな
(庭先の筧の水の流れは昔と変わっていますが、
「先代と当代と御室が代わったということ」
それでも水は今なお澄んで美しく、
この御所は私にとって飽きることのない住みかです)
別れを告げる経正に稚児たち・坊官・侍僧にいたるまで、
袂にすがり袖を引っぱって別れを惜しみ泣かない者はなかった。
中でも経正が稚児の頃、兄貴分だった行慶は、
名残を惜しむあまり桂川の岸辺まで送ってきます。
しかしどこまでも見送るわけにゆかないから、
別れを告げ涙ながらに歌を詠みます。
♪あはれなり老木(おいき)若木も山桜 おくれ先だち花はのこらじ
(早い遅いの違いはあっても、山桜がみな散ってしまうように、
平家の人々が都を去っていくのは悲しいことです。)
♪旅衣夜な夜な袖をかた敷きて 思へばわれは遠くにゆきなん
(夜毎、旅に独り寝する私の前途は思えば遥か遠いことでしょう)と
返すや供の者に巻いて持たせていた赤旗、ざっとさし差し上げる。
するとあちこちに身を潜めて待っていた侍どもが「すわ」とて駆け寄り、
その勢百騎ばかり鞭をあげ駒を早めて程なく行幸に追いつきます。
半年後、経正は一の谷合戦で武蔵国の住人河越小太郎重房に討ち取られます。
神戸市兵庫区にある清盛塚の傍らには経正を偲んで琵琶塚が建てられています。
尚、その後琵琶青山は持ち主を転々として、宇和島伊達家に伝られたという。
仁和寺旧御室御所御殿
仁王門を入った左側にある御殿は平安時代の法親王たちの住居で、
勅使門・宸殿・白書院・黒書院などがあり、
門跡寺院らしい美しいたたずまいを見せています。
御殿の廻廊
経正が武装姿をはばかり跪いた書院前の階(きざはし)
宸殿内部
北庭
中門
金堂
鐘楼
守覚法親王は和歌や音楽に秀で、当時の歴史にも深い関心を寄せています。
平家の人々を偲ぶ思いを『左記』に著し、経正都落ちのエピソードもその中に
綴られています。また建礼門院の安産の祈りを、守覚法親王は孔雀法で行い
安徳天皇が誕生しました。その天皇を奉じて平家は西へと落ちていきます。
平経正竹生島詣(宝厳寺・都久夫須麻神社)
明石市源平合戦の史跡馬塚(経正最期)
『アクセス』
「仁和寺」京都市右京区御室大内33
嵐電(京福電鉄)北野線 御室仁和寺駅下車 徒歩約2分
JR京都駅から JRバス:高尾・京北線 約30分 バス停「御室仁和寺前」下車すぐ。
『参考資料』
村井康彦「平家物語の世界」徳間書房 新潮日本古典集成「平家物語」(中)(下) 新潮社
「平家物語」(上)角川ソフィア文庫 水原一「平家物語の世界」日本放送出版協会
竹村俊則「昭和京都名所図会」(洛西)駿々堂 「仁和寺と洛西の名刹」小学館