舞楽蘭陵王(らんりょうおう)の像が、宮島行フェリー乗り場ロータリーに建っています。
厳島神社で挙式した新郎新婦・参列者のために舞楽が舞われました。
たまたま近くに居合わせ、高舞台から聴こえる
雅楽の調べに駆け寄り舞台に見入りました。
廻廊と釣り灯篭
国宝高舞台
平清盛が厳島神社に伝えた舞楽がこの舞台で舞われます。
厳島神社の朱塗りの欄干に囲まれた高舞台で舞われる舞楽、
テレビ、写真等でよく見る独舞の「蘭陵王」が目の前で舞われました。
空の青、群青の海、波間に浮かぶ大鳥居、朱色の衣装、潮の香り
この間僅か七~八分だったように思います。
厳島神社の舞楽
舞楽は雅楽ともいい、宮廷や寺社の儀式で演じられてきた古代の音楽舞踊です。
久米舞、倭舞等国風歌舞も含めますが、普通は外来の楽舞のことです。
舞楽は唐楽とうがく(中国、インド、ベトナム、中央アジアから伝わったもの)と
高麗楽こまがく(高句麗・百済・新羅 及び渤海より伝えられたもの)に大別されます。
『日本書紀』によると、天武天皇12年(684)正月高麗楽が行われていた記事があり、
この頃には機会あるごとに舞楽が舞われていたようです。
厳島神社の舞楽は、古くから「都に恥じず」との
名声がとどろいていた四天王寺から平清盛によって移され、
神社には平家一門が納めた舞楽面九面が伝えられています。
ちなみに我国に初めて舞楽が伝えられたのも四天王寺です。
清盛が宮廷の舞楽を移さなかったのは、藤原氏に対する対抗意識によるものです。
高倉上皇が厳島御幸の際にも、雅楽に合わせて舞楽が舞われ、
神楽が奉奏され、上皇自筆の金泥の法華経が奉納されました。
舞楽面「陵王」
「陵王」は眉目秀麗な中国の王、蘭陵王長恭(らんりょうおうちょうきょう)が、
味方の士気を鼓舞するため勇猛な面をつけて戦いに臨んだとの故事にちなみます。
深く刻まれたしわ反り返った鼻、むき出しの前歯は醜悪ともいえ、
動眼とよばれる別材製の眼球が、鋭い視線をむけます。
またつり顎の仕掛けは、舞に合わせて揺れ動きます。いずれも、
猛獣に似た激しい息づかいが聞こえてくるような緊迫感があります。
舞楽面陵王の記事および舞楽面の画像は、
古寺をゆく「四天王寺」より引用させていただきました。
『参考資料』
「伊都岐島」厳島神社社務所 古寺をゆく「四天王寺」小学館
「日本の伝統芸能」(第16巻) 錦正社
「日本庶民文化史料集成」(神楽・舞楽) 三一書房